市街地遠望

イネが伸びてきた。守山市大林町から十二里町に続く田園地帯。守山駅から駅前通りをまっすぐ琵琶湖の方へ向かうと立命館高校にぶつかる。そこから裏側へ回ったところ。守山市の市街地と農村地帯との境目当たり。そういう雰囲気のところである。
三上山の左のグレーの建物が、守山市民ホール。その左、白い建物が成人病センター。右側の茶色の建物が、立命館高校。30数年前、このあたりで撮った写真が何枚か残っているが、場所の特定すら困難である。
写真ステージ 「近江富士」
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新守山川

新守山川。守山・草津市境を流れる境川の1つ北の川である。撮影場所は守山市小津小学校の近く。橋の親柱には、「都賀山中の島大橋」とあり、子供が剣を振り上げているようなタイル画(写真右下)が添えられている。何か曰くがありそうだが、今のところ事情は分からない。
地図で見ると、この川も境川と同じ金森湧水公園を源としており、野洲川旧流路の一つのようである。
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遅い田植え

これも10日ほど前の撮影である。草津市志那町平湖のそばの田圃で田植えが行われていた。田植機の向こうの田圃に見るようにほとんどの田圃はすでに10cmほどに伸びているのに較べるとずいぶん差がある。
この差は大きい。3月生れの者が、太陽の動きにしたがって作られた1年という暦のもとで、いやおうなく前年4月生まれの連中と同じクラス放り込まれるようなものである。もっとも稲の場合は、刈り取りを遅くすればすむ話だろうが、人間の場合は簡単ではない。3月生のわたしが、4月生まれの連中に追いつけたと感じたのは、高校3年生のときだった。
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魚つり

ここのところ、なんやかやと雑用が多くて撮影に出ていない。もっともいまやっていることは全部雑用で、撮影に出ること自体雑用だけど。とまあ、そんなことで、これは以前に撮りためていたものの一枚。
草津の平湖畔、つり竿を何本か水辺にたらし、自分はクルマの中で本を読んでいる人がいた。魚釣りの楽しみて何なのだろう。ワカランねー。
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緑中白

野洲市安治と野田の境を新川が流れている。昨日の場所から橋を渡って野田エリアにはいる。風景としては同じような農地が広がっている。手前の明線は一見小川に見えるが、田植えの時期が遅かったところ。
緑の水田のところどころでシラサギが餌をついばんでいた。万緑叢中紅一点というけれど、赤よりさらによく目立つ、保護色もクソもあったもんじゃない、この鳥がいちばん映えるときである。
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湖岸近く

野洲市野田と安治の境を流れる新川である。以前はもう少し川幅が狭かったが、いつの間にかこのように広げられていた。後を振り向けば湖岸まで1Kmあまり。湖岸道路を往き来する車がときどきキラリと光る、そんな場所である。
岸に桜の木が植えられており、成長したときにはさぞやと期待したが、もう一つ木に勢いがないまま経過している。
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みどり濃く

昨日と同じブロックの農地内を200mほど北西へ移動した。三上山に近い方は麦が植わっており、残り半分は稲が植わっている。田植えから半月ほどがたち、みどりが濃くなってきた。遠く茶色の線に見えるのが昨日写っていた麦畑。
昨日の写真で三上山の下に見えた白い建物が、いまは田中山の下に移動している。三上山の右後ろの山が石部の阿星山である。
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麦みのる

旧中主町、さざなみホール前の麦畑。昨日の場所から、3Kmほど北西へ、三上山に対していえば、右後へ移動したことになる。その結果、山が少し小さくなり、田中山が三上山から離れた。
手前に麦畑が広がる単調な風景である。その上遠くによく似た家が点々と並ぶ。これが余計に単調さを増幅する。
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