暮れゆく

西明寺という集落は斜面が多い。中程を通る道路の上にも下にも民家が存在する。そのうちでこの屋根が三上山とうまくバランスが撮れそうだ。
しかし、道路から直接見たのでは高すぎる。道路から見上げる位置に公園がある。そこまで登ると屋根が低すぎる。ハテ弱った、と下を見ると公園から道路へののり面の下半分が石垣になっており、その上端に人1人が通れる踏み跡がある。多分斜面の草刈りに使われるステップだろう。そこまで下るとこの絵になる。
三上山が顔を出している吊り橋状の尾根が見える。これは左が十二坊、右が鏡山に続く、竜王町と湖南市・野洲市の市町境である。三上山の左奥が比叡山。2つの山のあいだに琵琶湖が横たわる勘定。静かな山里の夕暮れである。
写真ステージ 「近江富士」
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勧請吊り?

きのうのススキが原の右端に見えている大杉である。何かの神事の対象になっているらしく、高いところからしめ縄が下がっている。しめ縄というよりは勧請吊りというべきかも知れないが、事情を聞こうにも人はいない。ふつう勧請吊りなら道に懸けられる場合がほとんどである。そういえばこの下にも細い道が通っていた。
こうしてPC の画面で見ると、もう少し山を大きくしたい。バックすればいいわけだが、それが出来たかどうか。次の機会に考えてみよう。
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ススキが原

湖東三山の西明寺ではない。こちらは鈴鹿山脈・綿向山山麓の日野町西明寺。小さな集落のはずれに広大なススキが原が広がる。西に開けた土地でそこから三上山がみえる。左に立つ杉の木のすぐ上。その木の右に何か建物のようなものが見える。ブルーメの丘あたりかと思うが、詳しいことは分からない。三上山の左奥に比叡山が見える。
「ススキが原」は私が勝手につけた名前である。地元の方がどう呼んでいるのかは知らない。誰かに聞こうにも人に会わない。
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段差越しに

守山市川田町喜多から琵琶湖の方へ向かって国道477号いわゆる浜街道まで伸びる直線道路がある。その道路が浜街道に達する直前、後ろを向くとこの風景が見えてくる。
何回もこの姿を見ながらそのままになっていた。その理由の一つにどう撮っても横一線に並ぶ木がおそらく気になるだろうということ、旧野洲川南流を横切ったところで浜街道の高さが、堤防跡より少し低く、山の姿が麓までしっかり見えないこと、などなど。しかし記録は記録と思い直して車を降りてみた。道路からでは左の建物と山とが重なる。畦道へ降りてやっと右へ持って来れた。
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解体作業中の琵琶湖タワー観覧車、琵琶湖大橋最高点から。


登り口

地球の森の下流部が元の南流のままの姿で残されている。きのうはその南西側から撮ったわけだが、きょうのは北西側から。当たり前のことだけど、きのうの写真は三上山が堤防の右に見え、きょうの写真では左に見える。その間に堤防に挟まれた旧の河川敷が残されているが、断面部を横断する道路から見ることが出来るだけで、中心部へはいることは不可能である。
写真はクルマが旧右岸堤防上の道路へ登っていくところ。クルマの上が河床林である。
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メモ代わり

夏空の下、入道雲が盛り上がっていた。野洲川南流の堤防上、左は河川敷の森。右は畑。堤防上の道の向こうに三上山がみえた。三上山を撮りだして始めのころ。30数年前の記憶である。
琵琶湖地球市民の森の最下流部に旧南流堤防の一部がそのまま保存されている。その昔の場所がそのまま残っているような気はするのだが、その場所が分からなかった。きのう、何気なく通った水保町の新しい住宅地の横。ここだったら、旧野洲川南流跡を歩いたときに通ったぞ。確かここで写真も撮ったはず。注意力低下を改めて自覚した次第。
上の写真は、冬の本番へのメモ代わりである。こうして撮っておかないと忘れてしまう。
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