新海道

いま野洲川分水嶺峠道探訪で、杣街道(三雲・柘植間)を歩いている。先日、快晴の日曜日、油日の集落を歩いた。そのついでがきょうの標題写真。もう何度も見てもらっているのでさほどの珍しさはない。あえて言えば、いつもは比良に雪があるのが当たり前になっているところ。ひょっとしたら、メタセコイヤが色づいているのが初めてかもしれない。
で、きょうはここからが本文。先日紹介した高田さんの引札展覧会で、「ほう、そうか・・・・」という話が見つかった。展示の引札の中に”新海道油日上野XX商店”とあったのである。「ほう・・・」と思ったのはXX商店でも油日上野でもない。「新海道」の文字である。しかしこの「新海道」という言葉は杣街道歩き始めるまで知らなかった。要するにいまの今まで知らなかったということである。
その新海道、簡単にいえば、杣街道のことである。三雲・柘植間は壬申の乱のころからすでに東海道の一部としてそのルートが存在していたが、鈴鹿峠を越える東海道が整備されたことでいつしか衰退してしまっていた。それが明治20年から近代化政策の重要施策として道路の整備・拡張が進められ、県道草津柘植線の一部として復活した。それが「新海道」と呼ばれるようになったという。いま三雲の天保義民碑の近くにそれを示す碑が建っている。(以前は旧横田橋南詰めに建っていたのだが、いまはここに移されている)。油日町上野(現在のJR油日駅近く)のXX商店が誇らしげに「新海道」を掲げている。歴史の生き証人を見た思いである。ちなみに、きょうの撮影場所(油日町山崎)は、いわゆる新海道からはすこしはなれている。
写真ステージ 「近江富士」
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