湧き上る

またしても雨。昨日(13日)も一日中雨、今朝もまだ降り続いている。まるで梅雨である。雨が降っている間は三上山は霧にまかれて見えないが、小止みになってくるとちぎれた霧が斜面を湧き上る。
ここは近江富士団地の南東側、県道27号と野洲川に挟まれた農地。麓に並ぶ住宅が近江富士団地である。左側の低いピークが雌山、頂上から雌山に向かって1本の尾根が流れ下る。その尾根が左側の斜面と並行に見える。私が正面尾根ないしは鼻筋尾根と呼んでいる尾根である。晴れた日だとこの凹凸は見えない、それどころか野洲川の対岸栗東市出庭あたりから見ると雌山自体が見えなくなる。
写真ステージ 「近江富士」
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遅い満開

撮りだめ写真で4月9日撮影のものである。他の場所より少し時期が遅く、まだ満開の状況だったが、曇り空で人は少なかった。撮りにくい場所で積極的に行こうと思う場所ではないが、時間があったのでまあエエかというぐらいの気持ちで出かけていった。
三上山に近いためレンズが短くなり、山が寝てしまう。その上にピークがどてーっとしていて、何とも撮りにくい場所である。3つ並んで見える頂上部は手前の幹で隠し、白い空には他の枝を持ってきてと、あれこれやってはみたが・・・、まあそこまでの話。
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久しぶりに旧道を

県道27号が南桜集落から旧甲西町の方へ向かう。名神の下をくぐるまで川を挟んで細い道が並走する。これがかつての県道だったルート。名神をくぐる直前で新旧が合流するが、めったにこの道を通ることはない。リサイクル品回収業者の仕事場などがあるが、そのはずれ南桜集落の間の土手に見事な桜が生えている。そんなことで久しぶりに旧道を走ってみた。
これは旧道から見た三上山。左の電柱が並んでいるのが新道である。新旧とも名神のトンネルをくぐった後、三上山を真正面にして走る。朝日新聞のあいあい滋賀で『三上山物語』を連載していた時、クルマの真正面に見える「真正面富士」をテーマにしたことがあった。その時に、読者の方がこの道を推薦してくださった。電柱さえなかったら、新旧とも十分期待に応えられる道ではあるが。
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三上の祠小史・補遺

「三上の祠」といっても祠があるわけではないのだが、桜が1本残っているのでそのレポートを。「祠」で詳述したが、祠のそばの植え込みに生えていた桜。「平成の変」で他はすべて征伐され、たった1本この桜だけが残った。全盛期には他を圧して栄華を極めたものだが、いまはツルにまかれた後遺症が回復せず凋落の一途。自力での回復があるのだろうか。
と書きながら多少気になるのは、この桜は他の桜が散りはてた後で満開を迎えていたという記憶である。ひょっとしてまだこれから花を咲かすのかもしれない。もしそういうことが起こるとするならばありがたい話。補遺のホイでレポートをさせていただく。
余談:世の中には不思議なことがあるもので、花緑公園へ行ったらシャクナゲが咲いていた。サクラとの共演である。シャクナゲといえば4月末からゴールデンウイークのことだと思っていたが・・・、世の中変わったのかなー。もっとも知らなかったのは私だけかもしれないが。「西洋シャクナゲが早く咲くんや」。どこへ行っても必ず1人はいらっしゃる何でも知ってるぞといわんばかりのおじさんの話である。
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西向きの風景

古武士の桜対岸から川沿いに南北桜橋に近づいたところである。撮影場所は南北桜橋のすぐ上流。画面左の建物はさくら墓園の事務所か休憩所か、中へ入ったことがないのでよくはわからないがとにかく墓地関係の建物である。きのうも書いたように、大山川はいまのさくら墓園の三上山側を大きく巻くように流れていた。今の北桜・南桜をつなぐ道もなく、南北桜橋もなかった。
バス道の竹藪のそばから三上山の向かって下り勾配になっており、その斜面の下の方に梅林があった。そこから撮った「春の宵」(1978年3月撮影)、古い写真である。ホンマにそこなのかといわれても、証明するものは何もない。私の記憶を信じてもらうしかほかに手はない。あえていえば山そのものの形か。左斜面が凹み気味、右斜面が膨れている。
薄明が残る時間帯に弱いストロボで山とウメを撮っておき、夜が更けて高く昇った満月を望遠で二重撮り。結果、出来上がった風景は東向き、実際の風景は西向きである。最近では、私自身東向きで撮ったと、錯覚していることがある。人間の記憶の不確かさである。
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古武士健在なり

昨日(8日)午後から晴れ上がった。今年はこの束の間の晴れ間が貴重である。この木だけは記録くしておきたい。おなじみさくら墓園の古武士である。三上山と桜の位置が決まっており、その上にカメラの後ろが大山川と撮影場所が限定される。毎年同じ構図になる。昨年は4月7日だった。花の咲き加減にもよるし今年がどうの去年がどうのという比較はできないが、やはり青空のほうが映える。
橋を渡って対岸へ回ってみた。レンズを長めにしてアップしたもの。ワイドにして墓園の小山を含めたもの。手前が大山川である。改修される以前、この川はいまの墓地の敷地の向こう側(三上山側)を迂回しており、墓地に当たる部分はいまの川の部分を含めて森だった。森が伐採された後、この木が残された。当時の関係者の判断に報いるためにも、もうちょっと手入れができないものか。
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雨です

4日(土曜日)の午前中に晴れた後、全くパッとしない。ずーと曇り雨の天気。風も冷たく3月の気温だとか。そんな中で桜は早くも散り始めている。
7日午前中、小雨の中を三上の悠紀斎田記念広場へ行ってみた。ぎおう教室の I さんが来ていて、「今年はアキマセンな」、お互いこの一言しかない。御上神社から見て国道8号を挟んだ三上山側。記念碑を囲んで児童公園や、Gゴルフ場などがある。力のある木が多く立派な花をつけている。しかし青空があってこその桜。この天気の下では何とも侘しい次第。
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またしても雨

今年の天気はどないなってんの?。またしても雨。標題写真はきのう朝の撮影。我が家から見たとき、山頂に去来する雲に濃淡があり神秘的に見えた。その時にすぐに撮れればいいのだが、そこからでは電柱や住宅が邪魔になる。どうしても新幹線を越えた田んぼの中まで行かないと絵にならない。距離にして300mほど、時間にして2,3分ほどの話だが、この時間と距離が大きく影響する。山に対する雲の見え方が変わるのである。このときも結局は平凡な雨の風景になってしまっていた。
最初見たときと何がどう変わったのか。煎じ詰めれば雲に差し込む光かな。これがちょっとでもあると風景が生きるのだが。最初見たときは多少なりとも、太陽の光の末端が届いていたのだろう、それが雲自体に明暗を与えていた。しかしそれは瞬間の話、あとは濃淡のないのっぺりとした雲に・・・。ランニングする野洲高野球部諸君の姿が入ったのがせめてもの慰めか。
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