見えなかった「大文字」

きのうの撮影場所から数10mほど上流へ歩いたところ。家庭菜園風の畑が近づく。歩く向きが山に対して斜め前方ということで、例のアンテナはあまり動かない。それでもピークははずれ右側へ。
さて昨夜は京都の五山送り火。毎年この日が過ぎると今年の夏も峠を越えたなと思う。あれは昭和21年だったか22年だったか。「大文字が復活する」という。記録によると戦時中の1943年から45年まで灯火管制などの理由から中止されてたいというから、復活は1946(昭和21)年ということになるのだが。
そのころ私は、京都の伏見に住んでいた。「タカセへ行けば見える」という。タカセというのは、市街地の西を流れる新高瀬川のことであって、家から歩いて5分ぐらいのところである。当時、住所は京都市伏見区だったが、京都駅や河原町へ行くことを「京都へ行く」という。京都駅と京阪電車「中書島」を結ぶ市電伏見線は途中田んぼの中を走った。そんな南の端から北山に点る火が見えるというのである。中学1年生にとっては人生初めての体験である。張り切って出かけていったのは言うまでもない。
見えた。確かに見えた。鳥居だったか、船だったか、とにかくオレンジ色の小さな火が見えた。北山の斜面に点った火が15Kmも離れた京都市の南の果てから見えた。今なら感激ものだけど、その時の中学1年生はそうは思わなかった。なんや、「大」文字は見えへんのか・・・。その字が御所に向いており、伏見からでは絶対に見ることが不可能な位置関係にあることを知ったのは、高校生になってからだった。
写真ステージ 「近江富士」
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