さくら緑地

今年のサクラはわーと来てワーッと去っていった。海津のサクラも4日に満開を迎えたという。例年の満開を見越して予約したツアー客などはどうするのだろう。標題写真は例の大山川さくら緑地のサクラ。土日の人出を避けて4月3日(火)に撮ったもの。それでも上流側には花見をする人が目立ったが、しだれ桜の若木があるこのあたり(下流側)までくると人影はぐっと減る。
結局、今年のサクラはこれが最後だった。きのうの夕方(4月5日)に見たときには、まさに”は花の色は移りにけりな・・・”、カメラを向けるのもはばかかられるような状態だった。ついでに遠景をどうぞ。緑の畦の突き当りを境として、右の花の多い部分がここでいう上流側。標題写真の撮影場所は、左端の大きな木のところ。
写真ステージ 「近江富士」
■近江非名所全集
■滋賀を歩けば


大賑わい

家棟川の桜、下流側である。こちらは人が多い。普段はめったに人に合うようなところではないのだが、こんなに来るのかと驚く。近づいたのでは写真など撮れる状況ではない。これで提灯でもぶら下げられたら、逃げて帰るしか手がないところ。
標題写真は橋を渡った反対側、家庭菜園のふちにたった1本咲いていた背の低い桜の横から。左の桜の小枝の間に白っぽいピンクの固まりが見える。気がついていたら外したのだが。実はこれが遠くに見える上流部分、ここだけしっかり太陽が当たっていたらしい。
写真ステージ 「近江富士」
■近江非名所全集
■滋賀を歩けば


堤防に咲く

野洲市比留田、家棟川畔のサクラである。左岸の1Kmほどにわたって咲いているが、これは一番上流側、比留田集落に近いほうである。下流の方の一角は公園化されていることもあり、結構に魏あっているが、さすがこのあたりまで来ると人もいない。標題写真は堤防の外側から見たもの。内側へ入るとまた少し表情が変わる。
◆番外編 場所は甲南町野田の磯尾川堤防上。たとえばこんな雰囲気のところである。その中の1本が倒れたまま花を咲かせていた。こういう状況を見ると、かつて大日本帝国だったころ、小学校(当時は国民学校)の修身だったか国語だったかで習った、”木口小平は死んでもラッパを離しませんでした”という一文を思いだす。日清戦争で戦死した日本陸軍兵士、木口 小平(きぐち こへい)が、ラッパ手として、死しても口からラッパを離さなかったという逸話が教材になったものである。教育のすごさというか、恐ろしさというか、いまの若い衆にはおそらくわからない感覚である。
根元のところを確かめてみると、こんな状態。素人目だが、昨日やきょう倒れたものではない。右上にある棒はおそらく植えられたときの支柱であろう。これも最後まで桜を支え続けて力尽きたというところか。いずれにしても、台風だとか、理不尽な力が加えられて倒れたものではなさそう。倒れてからどれぐらい経過しているのかわからないが、こうして花を咲かせる生命力。
写真ステージ 「近江富士」
■近江非名所全集
■滋賀を歩けば


電柱不揃

きのうと同じ朝鮮人街道のサクラである。ただし、きのう田んぼ側からの例としてあげたものは、直線区間の南半分。野洲市永原に近いほうである。それに対してきょうの写真は北半分、小南に近い。ちょっと注意して見てもらえばわかるが、三上山の真下あたりから左端に向かって、堤防が徐々に高くなってきている。家棟川の堤防に向かって高さを合わすためである。で、撮っている今の場所は家棟川の堤防。目の前の田んぼより随分高い。
三上山を高く大きく捉えようと、頭の中で考えてやってきたのだが、ご覧のように電柱が並んでいる。これは計算外だった。見ていなかったのである。確か南半分にはなかったぞ。どないなってたのかと、念のために帰りによくよく見ると、南北に分けたその境から続いていた。でもいいね、この電柱、高さも不揃いだし、好き勝手に傾いて、懐かしさすら感じる。
写真ステージ 「近江富士」
■近江非名所全集
■滋賀を歩けば


見ていなかった

野洲市永原から小南へ一直線に続く川沿いの道。朝鮮人街道沿いのサクラ並木である。三上山から見て道は川の反対側にあり、桜の木はさらにその外側に並んでいる。だからサクラを撮ろうとすると道の反対側の田んぼからの撮影になる。撮る立場からすると年によって田んぼの表情が変わるぐらいで、毎度おなじみのということになってしまう。
と、思い込んでいたのだが、もう一度見直してみようと小南から永原向きに街道を歩いてみた。すると、ところどころではあるが川側にも生えていたのである。ここを通るのは決して初めてではない。しかし、花が咲くのは1年のうちの10日ほど、それ以外の日は通ったとしてもただの素通り、何も見ていなかったのである。
写真ステージ 「近江富士」
■近江非名所全集
■滋賀を歩けば


勧請吊と

祇王井川と童子川とのバイパス”中の池川”が県道2号と交わるところである。中の池川堤防の桜が最近とみに元気になり、県道から見ると花が盛り上がっているように見える。バックの住宅の屋根と重なって見にくくなっているが、勧請吊が見える。
と、ここまで書いて来て、県内各所のスケッチ画で有名な福山聖子さんの最初の画集『夕げの匂いオレンジ色の空』に”勘定縄”という作品があったのを思いだした。引っ張りだしてみてびっくりした。彼女の絵には住宅がなく、勧請吊の下に日傘をさした人物が歩いていたりして、全く雰囲気は変わってしまっているが、勧請吊と三上山の関係は標題写真とほとんど同じであった。
もし勧請吊の状態が変わっていないとしたら、三上山頂上と勧請吊の中心を結ぶ線の延長線上で、彼女は県道の三上山側で描き、私は同じ道の反対側で撮ってきたことになる。その絵に寄せての文の中で、福山さんは次のように書いている。
----中の池川橋の上から見る三上山は、大きな首飾りをしていた。首飾りに見えたのは勧請縄で、背景の三上山を飾っているみたいにまったくいい具合にぴったりと重なって見える。----
文章にあるように、福山さんの絵では、森の上に首を出す三上山にきっちりネックレスがかかっているように見える。標題写真では、三上山の首より勧請吊のポールの間隔がほんの少し狭い。道の幅だけ遠ざかったことでポールの見かけの幅が狭くなったのだろう。
つけたし:福山さんと同じ側で撮ったのもあったはずだと探してみた。福山さんの絵と同じ関係のものが見つかった。急に山が小さくなっている。手前の桜を入れたかったから、少しレンズを短くしたためである。
写真ステージ 「近江富士」
■近江非名所全集
■滋賀を歩けば

