8月15日

8月15日、家の近くでもアキアカネが飛ぶのが見える。
あの日、わたしは国民学校6年生。京都府乙訓郡奥海印寺村楊谷寺、俗にいう柳谷観音にいた。夏止み中との感覚もない毎日だったが、その日は朝からの作業もなく、正午から行われる重大放送を聞くという。
11時半ごろ、唯一ラジオがあった奥の院に集合した。濡れ縁の縁に腰を下ろして時間を待った。眠かった。重大放送の記憶はこのときの眠さだけしか残っていない。放送を聞いている間の記憶はない。終わってからどうしたという記憶もない。夕方になって、誰からともなく、戦争に負けたのだという噂が流れてきた。軍国少年には、戦争に負けるということの意味が分からなかった。
写真ステージ 「近江富士」
■近江非名所全集
■滋賀を歩けば


ドクターイエロー

野洲市長島、JR篠原駅に近く在来線と新幹線に挟まれた農地である。この2本の鉄道は万里の長城のようなもので、その地域に対する土地勘がないとどこからはいっていいのやら分からない。もっとも私が住む野洲の町も、同じこと言えるわけで、線路の向こうへ行くのにぐるっと遠回りすることなど日常的な話である。
さてその長島、道順を書き出すと日が暮れる。光善寺川の畔に立って機会を狙っていたら、黄色のアオムシのようなヤツがやってきた。俗にいうドクターイエローだけれども、昼ひなか、こういう規格外の電車を走らすのは、ダイア編成が難しいだろうな。
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西向くヒマワリ

川田大橋西側の県道151号沿いの民家、その横の畑に咲いていたひまわりである。ヒマワリは東を向いて咲く。とすればこの花は朝陽を真正面から受けているところ、ということになる。ところが、川田町と三上山との位置関係が分かる方なら、おいチョット待てよ、それはおかしいぜ、ということになる。
そんな持って回ったことを言ってもらちがあかない。この写真の撮影時刻は16時33分。ということはこの花は、8月の夕日を真正面から受けていることになる。とすれば、「ヒマワリは東を向く」は間違いか。これは間違いない。広大なヒマワリ畑では、すべての花が同じ方を向いている。それは必ず東である。しかし、例外もある。今の場合、東側を塞いですぐ近くに家があった。
『ヒマワリはなぜ東を向くか』(中公新書・瀧本敦著)という本がある。その本によると、すべての花が東を向くのは、茎の先端に1つだけ花をつける品種であって、たくさんの花をつける品種では、茎の先端の花は東を向くが、下に続く花は茎を中心として外に向くという。この花がどちらの品種であったか。・・・そんなこと知りますかいな。それが分かっていたら、もうちょっとエライ人になってます。
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盛り土

野洲市乙窪から守山市新庄町へ戻ってきた。といえば大げさだが、北流跡道路を渡って普通に歩いて3,4分の距離である。風景ががらっと変わる。こちらは北流跡地そのもの。水田は一切ない。木の向こうが水田に見えるかも知れないが、これも草地か畑である。その向こうに新しく土が積み上げられて、パワーショベルが作業をしていた。何か始まるのかも知れない。右の大きな屋根は川田町の野洲川斎場。
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旧北流沿い

昨日とほとんど同じ場所である。旧北流跡地と乙窪の田圃とは明らかな段差がある。北流跡地の方が高い。地図を見ると旧堤防跡に沿って道が2本並行している。単純に考えると何でこんな無駄なことを・・、1本にすればいいじゃないかと思う。ところがそうじゃない。それら2本の間にはコンクリートで固められた1m近い段差がある。その間はクルマはおろか人間も越えられない。
そんな中でたった一箇所、段差がゆるくなりその斜面をクルマが往き来している場所がある。まさにクルマが造った獣道。そこに立って下の道(乙窪側の道)を見たところ。
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水田

昨日のカラスの道から、北流跡地を横断する向き(三上山に向いて左へ)に歩く。新しくできた北流道路を渡ると野洲市乙窪である。落ち窪んでいて洪水の度に水のたまり場になっていたことからその名がついたといわれる場所だが、今はそんなイメージはどこにもない。北流跡地との差は一目瞭然である。こちらは広々とした水田が広がる。跡地に水田は一切ない。
右奥に見える竹薮は、北流跡地との境に位置する。かつての堤防跡かと思われるが、高さとの関係から堤防跡そのままだとも思われない。いったん平地化された跡が再び竹薮になったと考えるとつじつまが合うが、詳しいことは分からない。
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カラスがいた道

旧北流跡の農地である。今新しく野洲川右岸跡道路が走っているが、それと放水路との間にこのような道が2本通っている。農道といっていいのかどうか分からないが、車の通行はほとんど無い。今もカラスが一羽ひょこひょこと歩いていた。どう見てもエサがあるようには思えないが。
拡大すると、森と森に挟まれて電柱の多いゾーンが見える。右岸道路と川田大橋から来た県道151号との交差点(野洲川斎場前交差点)辺りである。注意してみるとブルーの道路標識が見える。
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不思議な電柱

日野川右岸、琵琶湖に近い田園地帯。川から500mほど離れて1本の直線道路が走っている。その道路を湖岸道路から野村橋の方へ向いて走ると、右側にこのような4本の電柱が見えてくる。
といってもこの4本、ご覧のように電線でつながっているわけではない。お互いに関連があるような無いような。ただ田圃の中に勝手気ままに立っているだけ。何か意味があって立てられているのだろうとは思うが、その意味が分からない。通るたんびに首を傾げているが、いまだに納得できないままである。
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