石標の怪

旧堅田港をもう1枚。桟橋への入り口に建っている石標である。”すく”は、”すぐ”なのだろう。このように濁点を省略する手はよくある。そういえばかつての日本陸軍の文章などもこれだった。しかし後の字は読めない。情けない。”北国街道”だという。”すぐ”というのだからまっすぐ進めばいいのだろうが、先は琵琶湖だ。若いときだったらびっくりしたが、やっとこのトシになって、石標は動かされるものだということが分かってきた。あとの面は、たとえば桟橋から上がってきた人が見る面には”左かたた舟わたし”とある。平和堂から出てきたのに、”左平和堂”の石標を見るようなものである。
かつてはここからそう遠くない四辻に立てられていたのだろう。たとえば北国街道から里道を湖岸へ出て、北から南に向かう人には、左へ曲がれば”舟わたし”(堅田港)。琵琶湖へ向かってきた人には右へ行けば坂本・大津ということだったのだろう。道標には足がついている。
◆本日も晴天なり(2月6日)。電柱のすぐ右まで来た。明日天気やったらこれで決まりやなと思った。ところが世の中はそう簡単ではない。木と木の間から太陽が見えている勘定だ。もうちょっと時間が経つと(たかだか10数秒だけど)、こんなことになった。物事は、やってみなければ分からない。
写真ステージ 「近江富士」
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