住蓮房古墳

国道8号「六枚橋」交差点、小さい交差点だったが、現在拡幅工事中である。右折して県道14号を少し行くと、右側が開けて来て田んぼの中に小さい古墳が見えてくる。その横、鏡山の裾の上に三上山がちらっと姿を見せる。道端に『住蓮房古墳』との案内板が立っている。
古墳の横の案内板に曰く。「古墳時代の遺跡であるが、名のもとになった住蓮房は安楽房とともに、鎌倉時代の浄土宗元祖法然上人の弟子であった。住蓮・安楽の処刑された物語は、語り継がれ江戸時代に二僧の墓が古墳上部に建てられた。」とある(写真右下)。
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大型ジェット機

北のほうは雪だという。私が住いする野洲では快晴である。ときどきどっさり雪を乗せたクルマが南へ走り去る。どこまで行けば雪が見られるのか。
伊庭内湖を過ぎて県道194号を北上する。県道2号と湖岸道路の間の田園地帯を走る道路で、比較的のんびり走れる。道路に雪はないのだが、田んぼが急に白くなりだした。いつも走る道ではなので、風景が地名と結びつかない。以前でいえば能登川町のどこかだとは思うが。
Google Mapというやつはどういう仕掛けになっているのか。走った道をたどってその場所をクリックすると、地名はおろかその場所の標高までが出てくる。プログラムにするとたった数行だが、その裏にどんな仕掛けが隠れているのか。
さて三上山、左に城山、右に田中山を従えて、大型ジェット機が今まさに飛び立とうとしているところに見えてくる。
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再び上流側へ

今浜町の旧南流跡。以前撮った写真でよく似た場所はないかと探していたら、下の左のような写真が出てきた。妙な順番になってしまったが、一昨日(27日)の撮影場所によく似ている。撮影は2012年7月9日。そう昔のものではない。
ということでもう一度上流側へ逆戻り。工事中の写真を見ると手前の堤防には樹木が茂り、奥の堤防には竹が茂っていることがわかる。去年の写真では手前の樹木が大きく茂り、中の竹までは見えていない勘定になる。奥の竹に人間の手が入っていたかどうかは不明である。それにしても、堤防の砂のきれいなこと。堤防工事を見るたびに感心する。
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さらに下流へ

琵琶湖大橋取り付け道路の水保町中野信号からやってきて旧南流を横断する道がある。地球の森の工事はそこまでかと思っていたら、その下流部へも伸びていた。
そんなことで昨日歩いた左岸沿いの道をさらに下流まで行ってみた。森が伐採され、見通しがよくなっていた。以前南流をレポートした時には、樹木に圧倒されるような道だったが、それが消え三上山が見えるようになっていた。一昨日見てもらった高い鉄塔が見え、いちばん左の木の向こうに右岸堤防への登り坂が見える。下2枚もほぼ同じ場所からのものである。
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旧左岸堤防跡

きのう旧北流右岸から対岸の竹林を見てもらった。そのたたずまいが長年放置されてきた状態とは思われず、対岸はどうなっているのか、そちらのほうへ回ってみた。水保町側から、すぐそこまで住宅地が迫っており、堤防のすぐ下を新しい道路が走っている。30年ほど前までは農道だったところである。
今回の工事範囲内での上流部はまだ一部そのまま残っていたが、下流部では、下の写真に見るように堤防そのものが撤去され始めていた。たとえば左の写真などは、撤去された堤防の切れ目から、対岸(右岸)の堤防上を走る車が見える。上の写真でもちょっと見たところではわかりにくいが、カーブの標識のところで、一部堤防が削られ始めている。
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今浜町北流跡

地球の森の最下流地点。守山市今浜町で旧北流跡の整備作業が急ピッチで進んでいる。これは右岸旧堤防上から上流に向いて見たところ。左が堤防上の道路。撮影地点から100m足らずで平地へ下る。その先に背の高い鉄塔が見える。たぶんアンテナだと思うがよくはわからない。堤防から右の河川敷には、樹木がうっそうと生い茂っていたが、もうそのほとんどが伐採された。いま、手前の木の向こうにわずかに残る樹木が見える。
以上が上流を向いた視線だが、もう少し右を見ると残留水路の向こうに竹が整然と植わっている(下の写真2枚)。実際には自然に生えていたはずだが、誰かが整備していたように見える。まさに公園の一部のように「植わっている」と表現したくなる状態である。あの陰鬱な河川敷の樹木の中で、竹藪だけがこのように整然と残っていたことの不思議。やはり何らかの形で整備が続けられていたと考えるのが自然なように思える。
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朝焼け雲

きょうの朝撮り写真である。7時少し前、新聞を取りに外へ出たとき、東の雲が赤みを帯びだしているのを見た。家へ入って外を見るとさらに赤くなっている。たかだか1分もしないうちにである。こういう場合、慌てて飛び出してもたいてい後の祭りである。しかし今日は行ってみようかと思った。
今のこの時期、この時間帯は、私の自宅近辺から見て、太陽は三上山の真後ろにある。だから太陽が昇るまでには時間がある。しかしこの朝焼けがいつまでもつかは別の問題。新幹線の向こう側まで行くだけだけど、それでも2分や、3分はかかる。でもきょうの朝焼けは持ってくれた。薄れだしたのを見届けて帰ってきたが、それから1時間近くたつが、太陽はまだ雲の向こうである。あの朝焼けは、日の出前の太陽が雲の下面を照らしていたのだろう。
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旧北流跡地

休日だったので作業は完全休業。誰に邪魔になるわけでもない。住宅地内を歩いてみた。写真の木はかつて北流の堤防に生えていた木で、ここが野洲川北流跡地であったことを示す生き証人である。いつ伐採されるかと心配していたが、ここまで残されたということはもう切らないということだろう。手前の敷地が何になるのかはわからないが、仮に個人の住宅になるとしたら、落ち葉の問題で苦情が出て、いずれは切られていまう運命にあるのだろう。
奥の工場は別にして、いまはこうして三上山とで絵になっている。しかし宅地内の道路を見ると、昔の城下町でいう枡形が方々に取ってある。車の通り抜けを防止するためで、新しい住宅地はほとんどこの形である。これで住宅が建ってしまうと住宅地内からは三上山は無縁になってしまう。中央にどーんと三上山に向いた道路を通し、そこを通れば真正面に山が見えるというデザインは夢なのか。
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