竹生口交差点

12月23日。昨夜からNHK・FMで年末恒例のバイロイト音楽祭が始まった。例年より若干早いような気がするが、それでもこれが始まると年末を感じるから不思議。昨夜は『ラインの黄金』。ラインの黄金といえば、昭和34年だったか5年だったかに出たショルティー版。とにかくぶったまげた。考えてみればもう半世紀も昔の話だ。(「昔語り音楽夜話」をどうぞ)。FMでは夜9時から始まって到底最後まで聞きとおせないのが心残り。
さて竹生口交差点。日に日に変わっていく。新しいルートが舗装された。川田大橋からやってきて、堤防を下ってくる道がぐっと大きく外へ回り込んで北野小学校のほうへつながっていくらしい。道路に囲まれた部分は緑地になるのだろうか。
写真ステージ 「近江富士」
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蜃気楼異聞

12月22日。きょうが冬至。一陽来復。太陽が戻り始める。
古い写真を探していて、おもしろいものを発見した。2010年12月24日。北から帰ってきて、白髭神社あたりで、琵琶湖大橋が凸レンズ状に見えるのに気が付いた。琵琶湖の蜃気楼は珍しいことではないが、この日は特に見事だった。北小松漁港の広場に車を止め、水鳥の遊ぶ向こうの大橋の撮影をした。その写真にびわ湖タワーの観覧車が写っていた(下の写真左側)。その時どう考えていたか。何の記憶もないが、今となっては面白い記録である。三上山の写真はそのときの「便乗写真」である。下右の写真は今年12月12日の撮影。
★蜃気楼異聞
もう10年以上も昔の話である。高校で非常勤講師をしていたころ、「これどう教えたらいいのでしょうか」と若い女性の先生が英語の教科書を持ってきた。教科書の内容を訳しても、その日本語を生徒がわかってくれないという。ほとほと疲れ果てた表情である。見せられた英文は「Mirage」というタイトルだった。そんなもの見せても私にわかるはずもないのに。
聞けば蜃気楼の原理だという。それはわからないはずだ。空気の密度によって光の速さが変わるという話から説き起こさなければならないわけで、そんなこと考えてみたこともない英語の先生が、なんぼ日本語でしゃべっても高校生が理解できるはずはない。教科書会社も罪なことをする。
話が一段落したところで、その先生が、「蜃気楼てホンマに見えるんですか」という。「それは見えますよ、琵琶湖で冬の晴れた日ならたいがい見える」、「うっそー」、「嘘じゃない、ボクはウソとちょんまげだけはいうたことがない」。
後日、その当時フィルムで撮っていた凸レンズ状大橋の写真を焼いて持っていった。ボクの写真が英語の授業に役立った唯一の例である。それを見て生徒がその英文を理解したかどうかは別の話である。
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色とりどり

新しい写真が撮れない。1週間前(12月15日)のびわ湖クロスカントリーの写真を。曇り空で風fが強い寒い日だった。あの広い芝生ランド一帯にコースを設定して、そこを縫うように走る。男子の部だけ色とりどり、どユニフォームだけ見ていると男子か女子か区別がつかない。世の中変わった。
撮影場所は陸上競技場のすぐ下。三上山は天山の横にちょっとだけ顔を見せている。芝生ランドの奥のほうへ行けばもっと大きく見え場所があるのだが、コースを横切っていかなければならないことと、なんせ寒いのでつい億劫になりずぼらな1枚。
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桐の実?

早くも12月20日。今年も残り36分の1。1年なんてあっという間。これを80回繰り返してきたわけで、たった80回かとも思う。人の命なんてあっという間。
花緑公園・里の家の近くにある桐の木。毎年(ひょっとして1年おきだったかとも思うが確たる自信なし)この時期になると赤い実をつける。以前花緑公園に勤めておられたSさんに詳しい種類なども教えてもらったが、とうの昔に忘れてしまった。何とも情けない話で。
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遠くへ行けない

ここ何日か、見えるのか見えねいのか、禅問答のような写真を見てもらったので、今日は誰が見てもはっきり分かる写真を・・・と思って家を出たのだが、空を見上げると何と空の半分が真っ暗。もう少しカメラを回すと手前は明るいが奥は暗雲立ち込めというところ。
これはうっかりすると何がどうなるかわからない。仮にどうにもなりはしなくても到底写真にはならない(近くは撮れたとしても肝心の三上山が見えなくなるだろう)。
で、ちょっと走って引き返すことにする。写真は行きがけの駄賃の1枚。行畑アンダークロス横からの新快速。こちら向きは晴れていました。
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高木浜から

海津浜から2Km弱南下したマキノサニービーチ高木浜水泳場。冬場は誰もいない。そこのテラスと街灯。その向こうに三上山が見える。といってもよほど注意して見てもらわないと街灯だけ見て三上山は見落としてしまう。沖島の右端と街灯のポールとの真ん中あたりに見える。ぜひその気になってみてほしい。
沖島からこうして離れて見えるということは、カメラの位置が三上山に向かって右へ移動したことを意味している。
水平線上に太い黒い線として見えるのが安曇川のデルタである。そこの新金丸橋から見たときとバックの金勝山系との重なり方がほとんど同じである。ということは2枚の写真は同じ方向から見ていることを意味する。三上山も同じ形に見えるはずだが、高木浜からの写真には、雄山の右にあるはずの雌山が見えない。地球が丸いために三上山の下半分が見えなくなっているということである。
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海津浜から

海津浜である。桜の時期は賑わうが冬の今は閑散としている。左から沖島が伸びてきて、その右端に三上山がくっついて見える。その奥に金勝山という並び方で、新金丸橋から見たのと同じ重なりになっている。
昨日、新保川河口から見た時、三上山と沖島とはずいぶん離れていたが、北上するにつれて近づき、ここまで来て元の位置に戻ったことになる。新金丸橋から左へ進むとき、沖島の向こうを左へ動き出した三上山が、いつの間にか右側に回ってきている。手品を見ているような思いがするのだが、ここでは詳述する余裕がない。いずれ稿を改めて・・・。
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どこから来たのか

琵琶湖を一周する湖岸道路、今津町からマキノ町海津あたりまでは必ずしも湖岸を走っているわけではない。浜側にもう1本細い道があって、夏はにぎわうのだろうけど冬場の今はひっそりとしている。その道が新保川という細い川を渡る。その河口から見た三上山である。実際に現場でも漠然と見ていたのでは見えない状態で、画像処理でコントラストを上げて強調した。画面左端に見えるのが沖島。三上山はそこから少し離れて立っている。
新金丸橋では沖島の右端に見えた。そして湖岸道路を北上するにしたがって三上山は左へ動く(沖島の陰に隠れる)ことは前回確かめておいた。今ごろは沖島の後ろを通り抜けて画面の左端へ抜けているはずである。その三上山がこうして沖島から離れて見えるのである。さて、この三上山はどこから来たのか。
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