下之郷遺跡

下之郷遺跡、およそ2200年前、弥生時代中期の環濠集落遺跡である。手前に見える小川のような流れ、これが集落を何重にも取り巻いていたとか現場の案内図によると、この遺跡では第2、3,4環濠の3本が出土しているという。この案内図において、三上山は画面左遠方にある。カメラは第3環濠と第4環濠の間の土塁の上から第4環濠を前にした構図である。
写真を見てわかるとおり、周囲に新しい住宅が増えている。前方に現役の田んぼが見えるが、これも何時まで持つか。これがなくなればここからの三上山はなくなる。
写真ステージ 「近江富士」
■近江非名所全集
■滋賀を歩けば


静かな風景

矢橋帰帆北橋の南詰め、帰帆島内のメイン道路と湖岸道路がつながっている。ただし大きな車止めがあって車は進入禁止。その威圧感からか、人間もあまり入らない。湖岸道路の帰帆島パ-キングが大勢の人でにぎわっているときでも、この道路は静かである。この時も400m余を往復してみたが、出会った人は散歩人1人、釣り人2人、自動車0。とにかく不思議な静寂を感じるところである。
対岸の橋は新草津川にかかる橋。草津川というとかつてはJR東海道線、草津駅のすぐ南を流れる天井川だった。鉄道も国道も川の下をトンネルでくぐるということで社会科の教科書にも写真入りで掲載されていた。それらのトンネルは今も残っているが、改良された草津川は少し南を流れ、この入り江に注いでいる。
写真ステージ 「近江富士」
■近江非名所全集
■滋賀を歩けば


ボートが来た

矢橋帰帆北橋の最高点あたりにいた時のこと。琵琶湖側からエンジンの音が聞こえ、こちらへボートが向ってくる。その勢いからして橋の下をくぐり、矢橋の入江のほうへ向かうことは確からしい。これはチャンスとカメラを構えたが、かなり手前を通るらしい。山が小さくなるが仕方ないか。
読んだ通りすぐ近くを通過する。相手があることだから仕方がない。と左へ曲がりだす。お、これは面白いぞ。と思っていると白波が小さくなる。エンジンを止めたらしい。これ以上仕方がない。ということで山を少し大きくして・・・オワリ。
写真ステージ 「近江富士」
■近江非名所全集
■滋賀を歩けば


旧南流堤防

旧南流堤防跡へ回ってみる。左に新しいグランド、その奥に遊具が見える。子の堤防の左側が、うっそうと茂る竹藪だったわけ。ところどころにこのような木が以前のままに残されている。竹藪のふちに生えていたので、外側へ倒れるように立っている。
例によって2012年3月の撮影である。標題の写真と100%同じ場所というわけではないが、当時のおよその様子をうかがい知ることはできる。木のてっぺんに鳥の巣が見え、その近くにアオサギがとまっている。図体がでかい割に警戒心が強い鳥で、そーっと近寄ろうとしても、すぐに逃げ出すのが普通であるが、ここに限ってはほとんど真下まで近寄っても、お前ら人間はここまでは来れるはずがないと言わんばかりに、知らん顔をしていた。
写真ステージ 「近江富士」
■近江非名所全集
■滋賀を歩けば


旧南流河川敷跡

昨日の場所より少し左、新放水路左岸堤防沿いへ移動したところ。グランドの左端が見える。車が往来しているのが放水路左岸堤防。その左が河川敷内のグランドゴルフ場。
同じ場所を撮った写真として、昨日と同じ2012年3月撮影のもの。どちらかといえばこちらのほうが放水路の堤防に近い。今の公園の敷地がこのような藪で、ここまで左へ寄らなければ三上山が見えなかったということである。同定の材料としてもう1つ。標題の写真で見えている堤防から下ってくる白い道。これがよく見ると2012年版にも写っている。昔は草が生えて、車のわだちだけが残る道だった。もう少しはっきり写っていたらよかったのだけど。
もう1枚。これは三上山とは関係ないが旧堤防の高さを示す資料として。現在の堤防と旧堤防の交差点から。現在の堤防上に身長170cmの私が立って旧堤防を見たところ。その差170cmを優に超していることがわかる。
写真ステージ 「近江富士」
■近江非名所全集
■滋賀を歩けば


旧南流河川敷跡

野洲川放水路川田大橋左岸畔の旧南流跡地。長年竹が密集するにまかせ放置されていたが、ここ1,2年かけて公園として整備され、その姿を現した。まだ芝生などが養生中で、解放されるには至っていないが、周囲の道路からは新しい姿を見ることができる。
これはそばを通る県道151号の歩道から撮ったもの。どこかの古代遺跡のコンピュータグラフィックスを見るような妙な写真になったが、駐車場、休憩所、その向こうのグランドが見える。さらにその向こうには子供の遊戯施設などが備えられ昔日の面影はない。もう1枚。川田大橋と遊戯施設。道路は新放水路の左岸堤防。撮影は旧南流堤防の高みから。
2012年3月撮影の現場。川田大橋下流の堤防上から。左奥の竹藪が新しい公園の場所。車が行き交っているのが県道151号。標題の写真は木の陰に見え隠れするガードレールあたりから撮ったもの。
写真ステージ 「近江富士」
■近江非名所全集
■滋賀を歩けば


枯れアシ

たしか小学校5年生のとき、国史の教科書(もっともそのときは國史だったが)。その冒頭の文章が「豊葦原の瑞穂の国 (とよあしはらのみずほのくに)は・・・・」で始まっていた。80年の人生で教科書の冒頭の文章を記憶しているのはこれだけである。
この風景を前にして、ふとこの文章がフィードバックされてきた。場所はおなじみ、野洲川放水路の川田橋上流。黄白色の昨年のアシの中に、新緑の葉をつけた灌木が立つ。これも期間限定の風景である。あとしばらくすると、この枯れアシの間から、新しい緑の葉が伸びてくる。
野洲川は、たくさんの中洲があるということから、八洲川が語源とされるが、一方で古事記に出てくる「天の安川」に由来するという説もある。そうなれば、もちろん三上山が「高天原」となる。豊葦原の瑞穂の国。もちろん民族のロマンとしてであって、大日本帝国に戻れというわけではありません。
写真ステージ 「近江富士」
■近江非名所全集
■滋賀を歩けば


ハナミズキ

いつの間にか新緑の季節に。そんななかで大山川さくら緑地を遠くから見ていて何か白い花が咲いているのに気がついた。はて、いまさらサクラでもあるまいし。行ってみるとハナミズキだった。これも期間限定で、ちょっと終りかけてはいたし、時間的なこともあって光は真上からだし、決して感心した風景ではなかったが、まあせっかくだから記録のために撮っておこうか。
大山川、どちらかといえば近江富士団地に近いほう、岸の壁面にムカデ退治のタイル画が見える。
写真ステージ 「近江富士」
■近江非名所全集
■滋賀を歩けば

