尖がり富士

おなじみの南桜「尖がり富士」である。JA近江富士主催のデジカメ講座(全6回)が始まった。午前中は近場のポイントを巡って撮影、午後それを使って解説するというスケジュールである。第1回目は花緑公園とこの尖がり富士へ案内した。
そのときの写真だけど、落葉樹が増えたことに改めて驚いている。いつごろから落葉樹が現れだしたのか、はっきりした記憶はない。大概の場合、こういう「変化」は徐々に気がつかないうちに始まる。気がついた時にはかなり進行してからということになるこの写真は2003年の撮影、山麓で変化がみられるが中腹から上は今ほどではない。
「湖国と文化」誌1991年冬号に、私の夢として、・・・いま三上山は全山常緑樹に覆われている。これを落葉樹に置き換えられないか。そうすれば三上山は一躍紅葉の名所となり・・云々の文章をのせている。内容はともかくとして、この時点ですでに変化が始まっていたかも知れないが、少なくともは私の目にはまだ「落葉樹化」は見えていないということである。それが20年余りでこの変化である。この後はさらに加速度的に変化していくだろう。本当に全山紅葉のときが来るのかどうか。
写真ステージ 「近江富士」
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赤いモミジ

5月も半ばを過ぎ太陽が高い。午前9時半をちょっと過ぎたころなのに、頭の真上にあるように感じる。場所は近江富士花緑公園の前庭。
新緑の中で「赤いモミジ」が印象的。去年はこんなにきれいだったかと思う。となれば調べてみるしか仕方がない。で2013年4月と2013年8月の2枚を探し出してきた。どちらもシャクナゲであったり、サルスベリであったり、その時々のものを前に出しているので、何とも言えないがそこそこの赤さではあったようだ。それでいながら、今回このモミジが前景の主役になったのは、やっぱりこの日の太陽の光だったらしい。
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麦畑

三上山の右に菩提寺山が見える。基本的な形としては一昨日の津田江から見たのと同じである。しかし、きょうの標題の写真では津田江からの写真で三上山と菩提寺山のあいだに横たわっていた十二坊が見えなくなっている。すなわち菩提寺山が左へ寄り、十二坊が三上山の後ろへ回って見えなくなったことになる。
菩提寺山は三上山より若干遠くにある。自分が動くと遠くにあるものは同じ向きに動く。その代表的なのが月。月は地球上のすべてものものより遠くにある。だから月はクルマから見ても、電車から見でも、動きに合わせてついてくる。標題写真の撮影場所は、津田江から見た時よりも左へ寄った場所である。
前方は赤野井集落。お寺の屋根が3つ見える。左から本願寺赤野井別院、常照寺、福正寺である。
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麦畑

新守山川の河口近く、左岸に広がる農地である。今は麦畑になっており、それがわずかずつ色づいてきた。畑の向こうの家並みは山賀町の集落。
ここへくるとある冬の日の光景を思い出す。快晴の冬の朝、新守山川の左岸を浜街道からびわ湖へ向けて走っていたとき、この田圃だけ、高さ1mほどの霧に覆われていた。道路1つ越えると普通の冬の日の風景であるのにである。堤防上から見ているので、それを上から見ることになり、本当に不思議な風景に見えた。たまたまその時、カメラを持っておらず地団太を踏んだものだった。丹念に通えば、その光景の再現はあろうかと思うが、まだ再会は果たしていない。
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津田江

烏丸半島ハス群生地のすぐ南に位置する入り江である。びわ湖との間にいくつかの水門が並び、湖岸道路がその水路を橋で渡っている。
この入り江の風景が最近変わってきたなと感じていたが、きっちり確かめることができていなかった。先日久しぶりに行ってみて、その変化を実感した。対岸に木が増えたのである。たとえば2004年5月撮影のこの写真(写真集『近江富士まんだら』所載)、対岸に樹木は見えるが隙間が多く、特に西から日が当たる午後の時間帯では白い建物が目立っていた。それから10年、ご覧のように樹木が増えた。
2004年の写真、左端に樹木が見えて電柱が建っている。そのころまでは入江の左側(ハス群生地に近いほう)には樹木が多いが電柱も多いという状態だった。右のほうにも樹木が増えたらいいのに…と思った記憶があるが、いつの間にかその状態になっていたわけ。
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新守山川

守山北中学校門の前の道路を南西に走ると小津小学校にぶつかり、あとは細い道になる。その手前で新守山川というちょっとした川を渡る。橋には「都賀山中の島大橋」とたいそうな名がついており、親柱には少年剣士が剣か槍かわからないがとにかく武具を持った姿が描かれている。何か意味があるのだろうが、尋ねるにも人に出会わない。
昨日の撮影位置を基準としていえば、三上山を前に見て、2Km強右へ移動したことになる。その結果、雌山が三上山の前に回ってきているのがわかる。その右に見えていた菩提寺山が画面右外へ移動、その間に十二坊のなだらかな稜線が入ってきている。
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田植えのころ

守山北中学の南西に広がる農地。細い農業用水路の両側に水田が広がる。ところどころで田植え機が動いているが、こちでは用水路が一番存在感を示す時期である。
田んぼの向こうは播磨田町の市街地。三上山の右、凸の字側に見える山が菩提寺山。画面左端、横に長い台形状の山が妙光寺山。
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下之郷遺跡

下之郷遺跡をもう1枚。標題の写真は遺跡の写真というよりは遺跡への進入路といったほうが正しいのだが。この遺跡は市街地の中にあr、その北西側と南西側を主要道路が通っている。出入り口もそれらの道路からも2つのルートでつながっている。
今日見てもらっている写真はそのうちの北西側を通る道路からのもの。下之郷史跡公園との標識があって、そこから石田川沿いに100mあまりの遊歩道が続いている。幸い市街地にありながら高層建築がなく、こうして三上山を望むことができる。きのう書いたようにこの状態がいつまで続くか。山が見えなくなったときこの遺跡の景観は死ぬ。
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