地名の怪

地名の区分は曰く不可解。地名が区分されたときは理屈にあっていても、景観の構造が変わってしまうと、「なんで?」ということが多い。ここなどもその例である。野洲川放水路新庄大橋の笠原町側。そこにある公園も「笠原の公園」と呼ばれている。にもかかわらず地図を見ると守山市新庄ということになっている。これは放水路ができる前の旧野洲川南流で地名が区分されていたためである。新庄町についていえば西は南流を挟んで笠原町と区分され、北流を挟んで野洲市乙窪と区分されていたことになる。
この写真でいえば右のこんもりした木立、ここらあたりを南流の右岸(新庄町側)が通っていたとこになる。その向こうが笠原公園というとになるが、その広場は、もとをただせば旧南流を締め切るために土砂を盛ったものだという。そんなことで、当然この場所は現在も新庄町ということになるのだが、画面右に見えている小屋、これが地図によると笠原水防倉庫というのだからややこしい。我われ素人は、そんなことなら地名区分を現状に合うように改めればいいのにと思うのだが。
写真ステージ 「近江富士」
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