番外編:紅葉紀行2014・3

同じく水槽広場から穂高に向いて左を見たところ。見えているのは焼岳の頂上部である。峠へ登って来る途中でもよく似た見え方をしたが、カメラの標高が上がった分、標題写真のほうが多少見やすくなっている。それでも至近距離から見上げる形には変わりない。左のピークと中央のコブとの間に噴気孔があるらしく、時々白い噴煙を出している。
焼岳は私の最初の山だった。山の入門コースとして、1955(昭和30)年夏、今振り返るとよくあんな無茶なことをやったな思う。1915(大正4)年の大噴火で大正池が作られたことは知識として知ってはいた。池に立つ枯れ木も今では想像できないぐらい多かったし、山頂付近にも枯死した樹木がたくさん残っていた。しかしそれはその時点で40年も昔のことであり、まさかその山が7年後(1967年)現実に噴火するとは思ってもみないことだった。
火口壁を越えて、旧(休)火口原へ下りて、火口湖(池)の岸を歩いたりした。有毒ガスの噴出があれば、それだけで命にかかわることだったし、ましてや噴火そのものが起これば死は間違いないことだった。登山規制はなかったとはいえ、大きく言えば前回の噴火と、前々回の噴火との間の登山ということになる。今回(9月27日)の御嶽山噴火で多くの方がなくなったが、私の場合、今こうして生きているのは、こと焼岳に関してはただ単にマンがよかったというだけだったといえる。
写真ステージ 「近江富士」
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