阿星山林道

先日、大砂川の堤防から雪の比良を撮った時、平和堂の看板が見えた。あの桜はどうなったかな、と、ふと思った。読んでくださっている皆さんからすれば、何の話やねんというところ。イヤイヤ、もっともな話。
実は、美し松自生地の近く、美松台住宅地の横から阿星山に通ずる林道がある。1990年代後半ごろそこへせっせと通っていた。その林道への入り口が、国道1号「針」の信号。角にある平和堂を目印にしていたというわけ。住宅地から林道へ抜けるところに生えていた山桜が見事だった(1997年4月撮影)。そして林道が山中に入るまで、アカマツの間から見る三上山は平地から見るのとは一味違った趣を見せていた。
その日の帰り平和堂の角を曲がった。10数年ぶりである。一、二箇所、心もとないところもあったが、とにかくたどり着けた。さあどうなっているか。と、住宅地から100mほどのところで通行止め。・・・やっぱりそうか。標題写真はその通行止め看板の前から、たった一か所、背伸びをして見えたところ。例に山桜はどこかにあるのだろうが。・・・昔の夢の懐かしく、訪ね来たりし林道は・・・。
写真ステージ 「近江富士」
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雪の比良

野洲川に架かる甲西橋から1つ下流の甲西大橋を見たところ。ただしアーチ形の橋は水道橋で、その奥に甲西大橋が重なっている。右に見える校舎が甲西北中学。橋を右へ渡ると1号バイパス・県道27号とクロスして十二坊温泉にへとつながっている。三上山の左が菩提寺山、右が天山。三上山と天山との間に比良山が見えるという寸法である。今年はどういうわけかスカッとした快晴が少なく、2月も下旬になってやっとこのような風景が見えるようになった。
番外編:早春の雪山鑑賞。福井県、道の駅みくに周辺、国道305号から見た白山。同じところから見たカシミール3Dによるシミュレーション画像。風景は三段構造になっており、実際の風景では一番手前にほとんど雪がなく、2段目と3段目に雪がある。カシミールでは、3段目の白山のみ雪がある状態になっている。もう1枚おまけ。
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イオンタウン

イオンタウンの構内から見たところである。昨日の進入路より100mほど左へ寄った場所である。昨日の写真では右から伸びてきた十二坊の山すそにふさがれてれて見えなかった比良山が、こちらまで来るとちらっと姿を見せている。道路から見た場合、左に見えていた鉄塔が右に見える。
昨年7月に撮った写真で、1号バイパスと直角に交わっている県道13号から工事中の構内を見たところである。進入路(昨日の進入路とは別のもの)が見える。標題写真を撮った場所の後ろが県道からの進入路だったから、ひょっとして同じ方向から見たところかと思ったが、途中に見える工場との関係などから、同じ場所ではないらしい。もう1枚よく似たのがあったが、これも微妙にずれている。
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真正面富士

昨年12月、湖南市岩根に誕生したイオンタウン前の進入路である。1号バイパスからの進入路として10mほど離れて並行に走る。見事な真正面富士が見える。画面右端、トラックが走っている道路が1号バイパスである。googleMapも未改定である。
たまたま、水口方面から野洲へ向かう途中、「岩根」信号の手前からの写真が残っていた。昨年(2014年)3月の撮影である。信号の左奥が現在のイオンタウンである。当時、周囲は広い田んぼだったが、地理的には湖南市の中心的な位置になるであろうとの予感はあった。しかし、こんなに急変するとは思っても見ないことだった。
もう1枚、これは工事が始まってその記録として撮ったものである。「岩根」交差点の横断歩道(撮影:2014年7月30日)。ここも真正面富士ではあるが、赤いパワーショベルの左に見えるトラックのあたりが、標題写真の撮影位置かと思われる。2枚ともに高圧線鉄塔が写っている。仇のように忌み嫌ってきた鉄塔であるが、周囲がここまで変化すると、鉄塔自体が位置同定のランドマークになるのだから因果なことである。
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雪の比良

JR草津線・旧東海道、ともに大砂川をトンネルで抜ける。その両者が湖南市吉永集落のはずれでクロスする。深く考えずに読めば、ああそうかということになるが、ちょっと考えると不思議な話になる。1本の川をトンネルで抜ける。とすれば常識では両者は並行のはずである。「平行な直線は交わらない」、そこまで堅いことは言わなくても、両者はそこそこ同じ方向を向いているはず。それらがクロスするとはどういう意味か。
ほぼ平行に進んできた両者がスーと左右ところを変える。スケート競技のバックストレッチで左右のレーンが入れ替わる、あんな感じである。しかし、それだけなら他にも例はないとは言えない。けれどもいまの場合は、その両者入れ替わる踏切にもう1本別の道路がそれらと直角に交わるのだからややこしい。手を打つにも打ちようがないというところだろうが、最初の2本はともかくとして、3本目をそこへ持ってきたのは大失策。でも、こんなところで道路政策を論じてもゴマメの歯ぎしり。要はきょうの標題写真の撮影位置がそのややこしい踏切のそばだというだけである。
さてその標題写真、画面左端に西濃運輸と平和堂の看板とが並んで見える。その下、水平に堤防が横切っている。ずっと手前に工事用の盛り土が見えるがそれではない。それの奥に見える堤防である。これが大砂川の堤防、そこまでの距離560mほどである。
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雪の比良

大砂川、天井川の堤防上から。昨日の写真と同じ場所である。細かく言うと昨日の写真が草津線の三上山側、きょうの写真が草津線を越えた反対側からということになる。なのだが、写真をしっかり見てくださる方なら、比良の見え方が全然違うとおっしゃるだろう。今日の標題写真など空が白いし、比良山が見えないといってもよい。
実はこれ同じ日の撮影である。撮影日は2月20日金曜日、ただし時間が違う。昨日の写真は午前中、きょうのは午後である。私は、快晴の比良山は午前中と決めている。しかし昨日の写真は何ぼなんでも真っ正直すぎた。どこにも影がないのである。それと午前中に電車を仕留めてはいたが、全部例の青大将。それも山の写真というより電車の写真だし、というとこで午後改めて出直した。しかしこの時期の快晴は半日とは続かない。西の空には早くも薄雲が。221系がやってきたときにはこんな情けない空になっていた。
余談:同じ場所から見た山手である。大砂川の源流あたりになるわけだが、稜線近くに大きな岩が見える。以前から気になっていたが、三雲城址を探しに行ったときに偶然その場所に出くわした。想像した通り展望抜群だったが、旧甲西町方面のみ。どうひねくり回しても三上山は見えなかった。
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雪の比良

大砂川。湖南市吉永で旧東海道やJR草津線をまたぐ天井川である。堤防に上ってみると水は一切流れていない。雨が降った時だけ流れるのか、それとも別ルートで新しい川に付け替えられすでに現役を退いているのか。いずれにしても、天井川をいつまでもそのままでというわけにはいかないだろうから、遅かれ早かれ撤去されていくのだろうが。
標題写真は大砂川トンネルの上(おばあちゃんと孫のシルエットの場所)から見た雪の比良。三上山の右、一番高く雪の多いピークが蓬莱山、その右にびわ湖バレイ。面白いことに左の菩提寺山(353m)と三上山(432m)が同じ高さに見える。見えている町並みは旧甲西町の市街地。三上山と比良山系との間に琵琶湖が横たわっている勘定になる。ちなみに菩提寺山までの距離が6.6Km。三上山までが9.0Km。蓬莱山までが31.4Km。
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消えた柿の木

昨日と同じ場所ではないかとおっしゃるかもしれない。しかしよく見てほしい。竹藪の位置が違う。きのうのこの欄で、最後に「4本の木が立っていた位置を確定するには、竹藪の位置の見直しから始めなければならない」と書いた。思い付きで書いたのだが、書きながら竹藪の位置の違いが結構大きなことが気になった。そんなことで「竹藪自体も姿を変えるだろうが」と予防線を張っておいた。きょうになってそれが気になりだした。どうも何かが起こりそうな気がするのである。
こういう場合はとにかく現場へ。推理小説にいやというほど出てくるシーンである。1997年の写真では三上山の左裾と竹藪の左端とが一致している。ところが昨日と同じ場所から見ると竹藪1つ分左へ寄っている。昨日の撮影場所が1997年の撮影場所ではない、もっと左だということである。100mほど左へ進むと、畦に挟まれた水路が現れた。これだ。これを忘れてしまい、木が切られ、畦が農道に早変わりしたと勘違いをしていたわけだ。水路をもう1枚。農道はもとから農道として存在しており、畦は畦としてちゃんと残っていた。ただし柿の木は切られてなくなっていた。これは間違いのない事実であった。
標題写真で一番手前の田んぼと次の田んぼとの境が見える。その境が1997年の写真にわずかに写っている。それと畦との交点に一番手前の木が生えていた勘定である。
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