消えた柿の木

旧北流跡と旧来からの乙窪の農地の境界上を歩いてみた。何となくさっぱりしている。よく見ると木がなくなっている。畦に生えていた4本の柿の木がきれいさっぱりなくなり、畦のあとがしっかりした農道になっていた。これはびっくりした。しかし、この例はいくらでもある。考え方によっては当たり前だともいえる。でもつい最近まであったのになー。
ということで、帰って確かめてみた。残っている写真で一番新しいのはどれだったかと。結果出てきたのがこれである。撮影日は2013年5月4日。2年前。そんなことはない。もっと新しいのがあるはずだと繰り返し調べてみたが、結論は同じだった。去年も何度か来ているはずだがこの木は撮らなかったのだろう。
古いほうではこんなのがある。写真集『近江富士遊々』に収録した「春立つころ」(1997年2月9日)である。望遠レンズを使い一段高い旧北流跡地から撮っているので、イメージは違うが、間違いなく畦に生えていた木である。
三上山の手前に見える竹藪の位置が、3枚ともわずかに違う。4本の木が立っていた位置を確定するには、竹藪の位置の見直しから始めなければならない。もっとも竹藪自体も姿を変えるだろうが。
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セパレートコース

昨日の標題写真で、右の竹藪から手前に伸びてきている小道である。右側は旧北流跡、左側は旧来からの乙窪の農地。北流跡には例のカーブ式畝が続く。念のために同じ場所から後ろを向いたところ。画面奥が比良山系である。左右が逆になって左側が北流跡。カーブ式が続く。片や右側には一切そういう方式はない。ここまではっきりすると何か意味があるのだろう。推測するにも素人の私には手の下しようがない。誰かに訪ねたらいいではないか。その誰かがいないのである。
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セパレートコース

旧野洲川北流跡、広い土地である。川が付け替えられ勤めが終われば、すぐにでも水田に戻るのかと思っていたが、そういうものでもないらしい。右の藪の方から細い道がこちらへ続いてきているが、そこまでが旧野洲川の跡地、その向こうはもともとからの乙窪の農地。北流跡地のほうが数10cmほど高い。
その跡地に、このような陸上競技のセパレートコースのような畦が作られている。旧来の乙窪の農地にはこのような畑はない。北流跡地独特の・・・といっていいのかどうか、基本的な知識がないからそれ以上のことは何とも言えない。いずれにしてもこのような曲線の畦が多くみられるのは事実で、写真を撮る立場からすると変化があって楽しい風景になる。
余談:昨日(2月16日)、今年になって初めての見事な青空に引かれて柳川湖岸園地へ行ってきた。下の2枚は、ぎおう教室で I さんの木と公称されている巨木と雪の比良山。
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森蔭から

野洲川と十二坊連山とにはさまれた農地。以前は静かな地域だったが1号バイパスが開通したのち、徐々に変化しつつある。一つの例としてバイパスと直交する方向に山側の県道27号と川側の広域農道とをつなぐ新しい道路が1本開通した。撮影場所はその道路の山に近いほうである。左側の森が川田神社の森。右側のなだらかな稜線が十二坊の裾。県道27号沿いの正福寺集落が見える。川田神社の森の向こうに生田病院や、「デイケアこうせい」の建物があるが写真には写っていない。
ちなみに、300mほど左へ移動すると1号バイパスとクロスする。そのあたりから見ると左に菩提寺山、右に三上山という、この農地からの一般的なイメージになる。
写真ステージ 「近江富士」
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屋根光る

きょうは野洲市三上の身近なところで。県道504号の旧道を野洲高校の前から三上に向かう。日通の倉庫横の畑。集落の屋根瓦が光っていた。屋根が光るのはどの季節かと時々質問を受ける。そんなものぐらい自分の目で確かめればいいじゃないかと思うのだが、そういうものでもないらしい。ぼく自身あまり意識したことはない。いつでも光っているような気がするが、屋根の向きにもよるし、勾配にもよるし、新しいか古いかにもよるし・・・。その中でもいつかと食い下がられると、さあ、太陽が高い時期のような気がしますかなと、適当な返事をしておくことにしている。もっとも、相手も本気で質問しているようでもないのだが。
このときは手前が麦畑だったのが幸いした。 耕作前の土のままだと、しっくりこない。1月から2月にかけて野山は色を失う。山は青いというけれど、これも2月の今はほとんど黒に近い。そんな中で麦畑だけが緑。早春の畑には麦がよく似合う。
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ネコヤナギ

野洲市八夫、湖南病院の南に広がる田んぼの中である。童子川沿いの一角に墓地がある。そこから小さな橋を渡って堤防へ出ると、そこは2本の川の合流点で、「起点・童子川」と刻んだ小さな標石が立てられている。2本の川が合流して、そこから下流が童子川ということだろう。合流点はひらがなの「て」の字をなしているが、それが不思議、琵琶湖側からやってくる。このあたりの水路は琵琶湖の方へ流れるのが常識である。それがここでは逆向きに流れている。農業用水路の芸の細かいところである。
前置きが長くなった。これはその逆向き水路がさらに細い水路とT字型に交わるところ。川岸に生えているネコヤナギ。植物音痴の私などは、自慢じゃないが芽が出てくるこの時期にしか木の種類が分からないという、早春の期間限定風景である。
写真ステージ 「近江富士」
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ウミガメ出現

岬を曲がって少しの間、道路沿いに大きな岩が並ぶ。この岩などは、竜宮城からやってきた巨大なウミガメといったところ。もう一つ向こうに積みワラのような岩があるが、木の枝に隠れて判然としない。余談だけど、これは2008年春の撮影である。カメ岩も積みワラ岩も、そしてサクラまできっちり写っている。岩が動くとは考えられないから、樹木が変化してきているのだろう。
話を戻して標題の写真、カメ岩が真中にどーんと大きく目立ちすぎる。もうちょっと右へ置きたい。自分が左へ動けば岩は右へ動く。それはいいんだけれど、それをやると三上山も左へ動き、木の枝に隠れてしまう。そこをなんとかとやりだすとどこかに無理が見えてくる。写真というのや厄介なものである。
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岬から

長命寺港から県道25号を国民休暇村の方へ向かうとき、最初の2.5Kmほどは、岬から三上山が見える。ここは長命寺港から200mほどのところの最初の岬、道がくっと90度ほど右へ曲がるところである。その岬の突端に立つ1本の木。北西の季節風に耐えている姿が痛々しい。
道が湖岸から数mほどの高さのところで湖面を見下ろす感覚になる。普段の水面のときは取り立てて気になるほどでもなかったが、今日の輝く水面をバックにした姿は、大型画面にシルエットを映し出したような錯覚にとらわれた。あれは学生のころだったか、シネマスコープだとか、ビスタビジョンだとか、やたらでかい画面がもてはやされた。ちょうどあの感覚である。
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