お遊び

きのうから由良谷川を訪ねている。きょうはその途中でのお遊びである。川岸を歩くのが一番短距離だけれどそうはいかないこともある。きょうもそのケース。ちょっと遠回りをして三雲小学校の横に出た。ネット越しにのぞき込んでいて、あれッ、あんなところに。手前に考える人。二宮金次郎はよく見るが、ロダンとはしゃれている。滋賀県中探しても三上山と合うのはここだけだろう。長いレンズは持っていないが、後でトリミングすれば何とかなるだろう。ネットにカメラを押し付けての1枚。これが標題写真。
と、そのときにどこかで踏切の警報機が鳴りだした。校門の前から一直線に伸びた道路の先で赤ランプが点滅している。よし、先頭車が踏切に入ってきたところを一発で決めてやろう。・・・と構えていたが、なんやこれは。電車は青大将ともう一種類、何型といったかな、昔、東海道線で新快速に使われていたやつ。この2種類しかないと思っていたところに急にけったいなやつが飛びこんできたのである。一瞬のとまどいだった。シャッターが切れたのはすでに通り越した後だった。忍者ごときに惑わされるとは、だまだ修行が足りません。
写真ステージ 「近江富士」
■近江非名所全集
■滋賀を歩けば


由良谷川

正面に菩提寺山が見えその右後ろに三上山が立つという構図である。そして、その手前に例によって甲西陸運のみどりの倉庫。手前、なだらかにカーブする堤防は、阿星山山麓から流れ出る由良谷川である。両側の堤防が新しい。この川もご多聞にもれず天井川で旧東海道がその下をくぐるトンネルが残っている。いまその平地化工事が行われている。手前が新しい川である。
標題写真は、旧東海道から1つ下流の橋から撮ったものだが、両岸の堤防が新しい。というのは実は、この由良谷川はかつては直接野洲川へ注いでいたのだが、いまは途中で水路を変え、1つ下手の家棟川(野洲市を流れる家棟川ではない。野洲市は右岸、こちらは左岸である)へ流入している。そして、航空写真から想像するに、旧の川はここで右へ向きを変えていたと考えられる。そして草津線をまたぐ。
写真はその遺構である。2014年1月の撮影だから、そんな昔の話ではない。大きなU字溝を渡したような構造で、川が鉄道をまたぐというイメージである。1つ上手の大砂川は何度か見てもらったように、完全なトンネルで鉄道が川をくぐっている。旧由良谷川の場合、写真のように電車が田んぼに沈み込んでいる。おそらく大砂川より、堤防そのものの高さが低かったのであろう。
このあと、同じ年の12月に行ったときにはその遺構はなくなっていた。
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地溝帯

昨日の写真で地溝帯の意味が分かってもらえたかどうか。鏡山と三上山を見せたかったがために箕作山を外してしまった。山と山とに挟まれた、海でいえば海峡に当たる地形を考えていたのだが、昨日の写真ではそれがうまく表現できていなかった。ということで、もうちょっとバランスの取れたのを追加して1枚。
目加田の岩倉川堤防から山に向かって左へ移動。西出・東出という集落を通過する。そのちょうど真ん中あたり。左へ移動したので、当然遠くの三上山も左へ動く。鏡山は箕作山の陰に隠れてしまう。一応絵としては成り立っているのだが、何としてもその部分に電柱が多い。これから逃げ出すにはもう少し高い位置がほしい。そういう意味ではきのうの岩倉川堤防は条件を満たしていた。なかなか両方満足な場所は難しい。
で、結局はもっとバックした名神・多賀サービスエリア裏の胡宮神社からということになってしまう。条件が悪くて、山がはっきりしないが、ここでもやはり鏡山が出てくる。三上山だけ真ん中に収まるという場所はまだ見つかっていない。
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目加田

国道307号、犬上川沿いにに「金屋北」という信号がある。南から行くと西明寺を越えて少し行ったあたりである。何年か前に交差点の南西側に道の駅ができた。そのあたりから見ると右に繖山(観音寺山)、左に箕作山の二山が立ちはだかり、そのあいだ、一つの地溝帯とも言うべき低部に三上山が見える。山の風景としては十分魅力的だが、残念ながら電柱が目立つ。道の駅で一休みした後、電柱のないところを探して走ってみた。
条理の目と風景とが合わない。前へ進めば山は左へ寄り、右に折れると右へ寄る。それを繰り返して舞い込んだところが愛荘町目加田というところだった。一度来たような初めてのような。岩倉川という川が流れていて、その堤防の上からの撮影である。右のでかい山が繖山、左画面外に箕作山が隠れていて、遠景左の広い山が鏡山、その右に三上山という構図である。ちなみにこの低部を新幹線と国道8号が通っている。
川岸に「目加田城跡」との案内が立っていた。落ち着いた町中を抜けて、行きついたところは公園になっていて、土塁が残るだけの静かなたたずまいだった。城址案内。
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金勝川

金勝川と草津川の合流地点であるが、写っているのはほとんどが金勝川である。草津川は画面右外から、前に見えている水門の向こうへ入り込んできている。水は流れているのだが、枯草に重なって姿は見えない。普段はこんな姿の川が、ひとたび牙を向くと怖い。金勝川の場合、2013年9月の台風でこの少し上流の堤防が決壊した。上流の落差工が続く状態を見るとむべなるかな。滋賀県の治水の難しさ。
橋の左へ寄って、金勝川の流れを真上から見たところ。右に見える山が菩提寺山。三上山と菩提寺山、この2つの山はつかず離れず、見方によっては石部から見たときのように2つが重なってしまうこともあるのだが、ここから見るとずいぶん離れて見える。地図の上で見ると三上山から見たとき、石部と草津はほぼ90度離れた向きにある。
合流点を見てもらおうと思って持ちだした写真だけど、話がそれた。こんな曇天で、細かい地形を読もうとすることが無理だった。分かってもらえるかな、草津川。右端の森のすぐ下から画面に入って来るのだけど。見えないだろうな。
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歩くことの意味

同じ石部の東寺(ひがしてら)だけれども、ここはちょっと様子が違う。初めからひょっとしたら見えるかもしれないと目ぼしをつけたところである。集落の背後というのか、山の裾というのか。そこに地図にしっかり明示されている池がある。ひょっとしたらとの思いで、そのあたりを気をつけながら歩いてみた。以前はクルマで走ってみて、ここはアカンなで終わっていた。いまはとにかくどこかでクルマを降りて、歩くことにしている。見えないことの方が多い。それで当り前としなければこんなアホな遊びはできない。
イケヤ・セキ彗星で有名な池谷さんが中学卒業後、彗星を見つけようと、毎朝毎朝日の出前に屋根に上って双眼鏡で東の空を探し続けた。見つからないことに悩んで、倉敷天文台の本田台長に手紙を出した。思っても見なかった返事が来た。”(彗星を)必ず見つけようと思うのならばやめなさい。見つからなくてもいいのなら続けなさい。いつかは見つかるかもしれないから”とあったという。
そして何個かの彗星を発見した。自分が発見した彗星の軌道を計算したくなった。夜間高校へ通って数学を勉強したとか。もう30年か40年ほど前、いやもっと前だったかもしれない。このことを新聞のインタビュー記事で読んだ。このトシになって、歩くことで本田台長の言葉が分かってきたような気がする。
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狭い谷筋から

構造物自体が、山のようなというか谷を圧するというか、そこから見ただけで十分圧倒されるスケールだったが、やっぱり近寄ってみたい。舗装道路は堰堤直下まで伸びていた。とにかく行ってみることにする。途中からの1枚。目で見ると覆いかぶさってくるような迫力だが、写真になると逆に小ぢんまりしてしまう。
鉄製の三角形構造物。きのう見てもらった写真で流水の下半分を隠したやつだ。どこだったか、思川支流で見たような気がするが。これもオモチャのように写ってしまう。それはいいとして、これはいったい何なのか。「砂防堰堤の下流に立つ、鉄製の三角形構造物」で検索してみた。これでちゃんと教えてくれるのだから、人間アホになる。「流木捕捉工」だという。なるほど・・・でも、タテに通り抜けたら?。実際にはいろいろな型があって、これなどは一番単純なもののようだ。いやいや勉強になりました。
そしてたどり着いた堰堤直下。舗装道路はここまでだった。あとは堰堤のトップまでハイキングコースに見るような木の階段が直登している。勾配はエスカレーターぐらい。上ってみても向こう側の砂地が見えるぐらいだけど、と、だいぶ思案したが、ここまで来たのだから登っておこう。やらなければ後で後悔する。上りついたところで道は終わっていた。見えたのはお定まりの風景。まあしかし、これに文句を言ってはいけない。とにかくこの堰堤自体がすごい迫力だった。
と、後ろを振り向て、オッ・・・これは。遥かなる谷筋の向こうに三上山が見えた。歩き出してから今のいままで三上山のことは忘れていた。というより見えるはずはないと思い込んでいた。それが見えたのである。世の中に神さんはいる、そんな思いだった。こんな狭い谷筋から見えたのは桑實寺以来二度目かな。桑實寺には電線があった。ここはそれもない。
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思いもかけず

きのうの標題写真を撮ったとき、川沿いの道はそこで行き止まり、に見えた。赤いトタン屋根が茅葺だったらとは思ったが、いまの時代それは無理というものだ。それでも満足だった。引き返そうと思ったが、すぐそこの草付き斜面に数段のステップが切ってあるのに気がついた。上ってみた。すると思いもかけず舗装道路が現れた。そばの空地から三上山が見えた(標題写真)。
きょうの話はここからである。そのときの舗装道路、山側を見たのがこれ。後でそこらを歩きまわって分かったことだが、手前の左へ曲がっていく林道は、長寿寺の前から阿星山の方へ続く林道だった。この先3Km足らずのところに駐車場があって、そこからは山道につながっていた。『近江富士遊々』の取材をしていたころだから、1990年代の後半のことである。もちろんそのころは、ここから三上山が見えるなんてことは考えられなかった
問題は上で見てもらった舗装道路。右奥へ分かれていく道である。この道はどこへ行くのか。真ん中にポールが立っているが歩きだから心配はいらない。とにかく上ってみよう。と、前の写真にも一部見えているが、下の小川の姿からは想像できない巨大な構造物が現れた。まるで要塞である。(実はこの写真は失敗。奥の黒い堰堤から落ちている水が、途中で下から伸びる柱と重なっている。このときはこの巨大な構造物に圧倒されて、そこまで読む余裕はなかった。機会を見て撮りなおしに行くつもりだが・・・)。話が長くなった。きょうはここまで。
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