大収穫

人生には考えても見なかったことが起こることが多い。ところが私の写真の場合、前提として予感が先行している。だから何10Kmも離れた場所からでもこの小さい山を見つけだすことができる。多分ここ見えるだろうという予感というより予測といったほうがいいかもしれないが。ところがきょうの写真は、まったく予感も予測もなく突然現れた風景である。
まずこの写真、先月、1月31日の標題写真である。その撮影場所が湖南市石部・長楽寺の近く、電柱の右のガードレールのところである。ここ30年ほど、このあたりからはいま見てもらった写真しか撮れないと思い込んでいた。で、このときはこの下を流れる小さい川の水源はどこかという別の目的で訪ねてきたのだった。
川は思った以上の急勾配だった。直線距離で100mも登っただろうか。振り返ると段々畑の下に集落の屋根が沈み三上山が背伸びをしていた。これだけでも大収穫なのに、さらに150mも登ったところで振り返って驚いた。古い茅葺屋根に赤いトタンをかぶせた古い家。これだけでも十分絵になるのだが、もうちょっと登るとさらに視界が広がった。それが標題写真である。
写真ステージ 「近江富士」
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消え去る風景

いつかレポートした草津川と金勝川との合流地点。そこから下流側の新草津川は南の方へ曲げられている。旧草津川は廃川となって、その下をくぐっていた国道1号のトンネルなどは撤去工事の真最中である。ここは上流側にある廃川跡の防災広場から新幹線をくぐって、下流側へ出てきたところ。道路はまだそのまま残っている堤防上へ上っていく。遠くに草津駅周辺の高層ビルが見えている。
標題写真はこの道路が堤防へ上り切って少しバックしたあたり、下に見えている草は対岸の堤防のもの。すぐ下に建つ民家の屋根の間から新幹線が見える。広さがなく構図は苦しい。さらに電線が空間をよぎる。正直どうにもならない風景だけれど、将来、堤防が撤去されるとこの位置からの三上山そのものが消え去る。そういう意味で、あくまで記録としての三上山である。
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ふるさと富士二峰

JR草津線甲西駅の近くである。左端に半分だけ見える橋を右に進むと200mほどで甲西絵にぶつかる。駅から野洲川寄りは市街地で平和堂があったり文化ホールがあったりするが、山側は今まさに動き出している感じ。その代表的な例として、天井川だった由良谷川の改良工事がおこなわれている。その堤防から見た”ふるさと富士”が2つ。手前が菩提寺山(甲西富士・353m)、その右奥に三上山(近江富士・432m)が立つという構図。
気になるのが右端のグリーンの倉庫。きっちりした名称は確かめていないが、旧国道1号沿いに建つもので、風景としては正直難儀する。いつかも書いたが、上流の新生橋から見てもこれが邪魔をする。ついはずしにかかるのだが、外してばかりいると、はてあの建物は・・・となったときに困る。以前、中山道野洲川橋畔に白い大きなビルが建っていた。これが邪魔になった。これさえなければと写し込むことはほとんどなかった。それが撤去された。ここにXXがあったという写真は難しい。それが写っていてこそである。どんなに邪魔なものでも風景の記録としては5枚に1枚ぐらいは写しておかないというのがいまの思いである。
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家棟川河口から

家棟川というと野洲住民の私なんかは、希望が丘文化公園の奥を水源地として日野川のすぐ南側で琵琶湖へそそぐ川を想起する。ところがすぐ近くの湖南市にも、阿星山山中を水源として野洲川に流入する同名の川がある。御多聞に漏れずこちらも天井川だったが、現在は平地化が進んで、旧東海道などは川が道路の下をくぐる当り前の形になりつつある。しかしその少し山手では、驚くような落差工で一気に標高差を稼いでる。横から見たところをもう1枚。
さて、ここは野洲川左岸、湖南市を流れる家棟川の河口である。分かりやすく言えば、かつての甲西町役場、図書館などのすぐ下手、橋でいえば、甲西大橋(2月5日の標題写真)のすぐ上流、竹藪からちょっと覗いているのが、一緒に見える水道橋アーチの端っこである。竹藪の右側から見た写真をもう1枚。
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遅まきながら

30数年前の話である。一生のうちで、たった1回、3,4年ほど写真クラブに籍を置いた。ある日のこと、仰木の住人だというYさんが、「うちの近くに馬蹄形の棚田があって、その上にちょこんと三上山が見えるねん」という。いま考えると、ボクが三上山の写真を撮っていることを知って、その場所へ案内するよという意味だったのかもしれない。興味はあったが、ボクは僕で、自分の写真の撮影場所は自分で探すという思いもあって、「へー、そーですか」と気のない返事をして、その話はそれで終わってしまった。
そして話は、きのうの標題写真を撮った後へつながる。天気はだんだん良くなりそうだしもう少し歩いてみようか。と、200mほど離れたところにある農道の橋を渡った。例によってイノシシ除けのネットが張ってある。そしてその向こうにU字型の棚田。何や、こんなところだったのか。見るともなく見ていると、ネットの何箇所かがぐいと折り曲げられている。こんな大きな目だから、こんなことせんでも撮れるのに。
三上山はそのU字を横から見た方向、例の延々と横に続く森の向こうにちょこんと見えた。Yさんの話を聞いて、U字型の底から見て天井の開口部に三上山が見えると想像していた。しかしそれは勝手な解釈だった。たしかにYさんは、「U字型の棚田があって、その上に三上山が見える」といった。たしかに「その上」だ。標題写真は、30数年前のYさんの言葉を思いだし、遅まきながらも、僕なりにまとめた写真である。これで三上山でございますといえるかどうか。
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横たわる森

大津市仰木、奥比叡ドライブウエーの登り口から北へ分かれて伊香立までつながる県道47号。比叡山から比良山につながる稜線の東斜面に広がる棚田を縦断して走る棚田展望ラインともいえる道である。しっかりした道だが両端が主要道路につながっていないため交通量は少ない。写真撮影にはもってこいの道といえるが、残念ながら道を走るだけではほとんど三上山は見えない。
これは、そんな中でたった一か所、ちらっと見えるところである。去年の秋に来たときにはダンプの出入り口になっていて誘導員が立っていた。きょうは誰もいない。坂道を登ると展望が開けた。雪が結構残っていた。頭上は晴れているのに、東の方はどんよりとした雲に覆われている。それは天気を選べば解決することだが、難しいのは麓に横たわる森である。以前伊香立から撮った時(1996年10月)にも、同じ状況に悩まされた。この付近の地形の特徴のようだ。
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側面図

三上山を真横から見たところ。山にタテもヨコもあるものか、人間の顔じゃあるまいし。そうおっしゃる方はおられるはず。しかし私はこれが三上山の横顔だと信じている。右が前である。この場所から三上山を中心に90度ほど場所を変えると真正面が見えてくるが、今日は触れない。とにかくこの形が三上山の設計図の側面図である。
左に木が1本見える。これがかつての祠の横の桜の木である。祠が撤去されこの木だけが残った。もちろん雪の日も同じ場所から。道から畦道へ下りて、祠を山頂の真下に合わせるのが定番だった。たまに山歩きのガイドブックなどでセンターを外した写真を見ると違和感を感じたものだ。そんなことでここでは山の姿全体を見ることなど考えても見ないことだった。祠があれば、この日もやっぱり畦道を歩いただろう。
山麓右下から山頂につながる黒い稜線が見える。これが三上からの登山道である。ただひたすら登る。そして最後に岩場。下から見たときには大したことはないと思ったのだが・・・。初めて登った人から聞く異口同音の感想である。チョコレートなどでニヤニヤして登るとひどい目にあいますぞ。
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西林寺

昨日と同じ妙な色調になっている、悪しからず。
きのうの民家から数10mばかり後退したところにある西林寺。さくらの時期にも極楽浄土思わす風景になるが、雪のときもまたひとしおである。手前に空き地があって、ここに臨時の建物が建たないことが撮影の条件になる。事情は分からないが時々何かの作業所のようなプレハブ小屋が建つ。もうだめかなと思っているといつの間にかなくなる。いまは空き地の状態。
お寺は行畑から野洲高校の前を通る旧道の三上山に向かって左側にある。それを右側(三上の集落側)から見ると、左端に見える。大きな風景として見ると雪が降ると電柱が見えなくなるが、こうして拡大するとやはり見えてくる。もう1枚、元の日通の倉庫(いつの間にか「株式会社ダイアナ第2物流センター」という標識に変わっていた)の横まで行くと、大きく右端に見えるようになる。いずれにしてもこのお寺を撮るには、距離的に苦しいのを我慢して、横の空き地から狙う以外手はない。
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