古武士を偲ぶ・2

何を書いているのかわからなくなってきた。できるだけ早くまとめます。もう少しご辛抱を。いつかも書いたようにフィルム時代の古武士が残っていないか、洗いだしてみた。そのときに思っても見ない写真(標題写真)が出てきた。山麓の集落が北桜。中央の白い鉄塔はいまも北桜・南桜連絡道路の近くに立っている。が、その道路はまだない。手前、ホッケーのスティックを寝かせたように続く森は大山川沿いのもの。
左下の空間はいまのさくら墓園に当たる。すなわち当時の大山川はいまのさくら墓園の外側を大きく迂回していたことになる。その川が直線に切り替わった時に、気がつけばその右岸に姿を現した。おそらくこの写真でいえば、左下の空間の外側に生えていたのだろう。田んぼの畦はくねくねモザイク模様。それはいいとしてこの高所からの写真はどこから撮ったのだろう。それの方が気になってきた。
もう1枚、こんな写真(1978年5月)。こちらは「近江富士百景」に収録して撮影日もはっきりしている。2枚は主峰と左のコブとの関係がよく似ている。名神を越した菩提寺山の中腹の展望岩から撮ったものである。きのうも少し述べたが、そのころのバス道路はいまの野洲慈恵会の角を曲がって名神下のトンネルに向かっていた。そこを抜けると第二びわこ学園の裏へ出る。そこから斜め右へ上りだしてちょっと登ったところに大きな岩の露頭があってそこから北桜の農地を前にした三上山が一望できた。標題写真もどうやらそこから撮ったものらしい。
写真ステージ 「近江富士」
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