田んぼだった

天気がパッとしない。JA近江富士の写真教室。予定していた野外撮影の場所を雨が降っても大丈夫なように、日野町旧鎌掛小学校に変更。その帰りの1号バイパス。岩根のイオンタウン入り口。十字に交差する県道13号も交通量が多く、最近は日常的に渋滞するようになった。それに輪をかけたような屋外広告、これ見よがしのオレンジ系統の色。何とも落ち着かない場所になってしまった。いまのところはイオンタウン以外、周囲はすべてまだ農地。一軒何かが建ったらバタバタと広がっていくのだろう。
そもそもこの十字路、もともとは縦も横もないただの田んぼだった。そこへ野洲川に新生橋がかかり、それにつながる県道13号ができ、十二坊の麓を走る県道27号のバイパスができ、いつの間にやらそれが1号バイパスに変身した。変われば変わるものである。
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水郷遊覧

手持ちの写真がなくなった。ここのところ天候が悪く撮影のタイミングが合わない。仕方がないので、去年、一昨年のいまごろの写真を見直してみた。面白いもので同じ場所の写真が2,3か所、両年ともに残っていた。2年続けて同じ時期に同じ場所へ行っていたことになる。この水郷の遊覧船もその中の一つ。ひょっとしたら一度使っているかもしれない。
いま撮影済みのデータは、年月日順と、場所別の2つの系列で保存している。普段使うのは場所別だが、今回のような場合は日にち順が役に立つ。フィルム時代、その保存はフィルムケースに撮影年月日を記入して保存するだけだった。三上山を撮りだしてからも少しの間は同じ方法で保存ていいたが、数が増すにしたがって、能率が悪いことが分かってきて、思い切って場所別に切り替えた。35mm判では到底無理な話だったが、6×7判の中判だったので何とかそれが可能だった。
フィルムを1枚1枚きり離し、それぞれの袋に撮影年月日と撮影場所を記入していく。面倒な仕事だったが、これでフィルム出し入れ能率が飛躍的にUPした。フィルムの切り離しが最初はどうなるものかと心配したが、結果的にそれが能率アップにつながった。デジタルの場所別分類が最初は面倒くさかったが、平成の大合併で〝市”が整理され楽になった。
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右へ傾く

基本的な構図が変わらないから、昨日の写真と同じだと思われるはず。今度はきのうの位置からまた200mほど、右前へ前進した。前方は丸種滋賀研究農場。素人には何が植わっているのかわからないが、50cmぐらいの白い棒が夕日に映え、何とも言えず強い印象を受けた。
さて、一昨日、昨日、今日と結果的によく似た写真を並べたが、撮影場所は一昨日の場所を基準にして、右後方・右前方と移動した。移動距離はどちらも200m、そして不思議なことに一昨日の地点から見て、きょうの場所は右へ200mの地点だった。言い換えたら正三角形の3頂点に立ったということになるが、きょうの写真は不思議に三上山が右へ傾いて見える。どこが違うのかといわれてもよくわからない。何か目の錯覚のようなものがあるのではないか。あれこれ考え続けているがよくわからない。
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上下の効果

きのうの高田砂川堤防より200mほどバックした。山より遠ざかったことになる。ちょっと山の見え方にこだわってみよう。ということで、念のために昨日の場所(高田砂川堤防)で撮った写真を1枚。山の重なりはきょうの標題写真とほぼ同じである。さて、ここからである。細かく言うと三上山がほんの少し右に移動している(三上山と菩提寺山が少し離れた)が、それはともかくとして、菩提寺山に対する三上山の存在感というのかな、別のいいかたをすれば鋭さといえばいいのか。きょうの標題写真がおっとりしているのを感じてもらえるだろうか。
たった200m右後ろへバックしただけである。本来ならば遠くにある三上山が大きく背伸びしてくるところである。ところがそうはならずに、なんとなくのんびりと昼寝をしているように感じられる。これがどうしてなのか。実はこれが高田砂川の堤防の高さによるのである。200mバックしたと述べたが、それと同時に堤防を下っていたのである。その高さが数mあっただろうか。何や10mもないのか。そう、その高さの差がこの表情の差につながっていたのである。風景は”前後左右”というけれど、それ以上に”上下”の効果が大きいのである。
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秋の夕光

あれは8月下旬だったか。1号バイパスと高田砂川が交差するところ。よく通るところだが、色づいたイネの美しさに魅かれて引き返した。ところがそれまで晴れていた空が曇りだし、中途半端な写真に終わったことがあった。あれからひと月余り、稲刈りはとっくに終わり、ひこばえの緑がきれいだった。天気も大丈夫だ。もう一度同じ場所へ行ってみた。ときどき千切れ雲が太陽を隠したが、待つほどのこともなく秋の夕日が広がった。
8月のままだといつの間にか忘れてしまう。もう一度こうして撮っておくとそれなりの記憶として残る。ただそれだけのことである。何度も記憶を重ねる。トシヨリの記憶法であるが、これすら最近は怪しくなった。左下の三角形の影は高みを走る1号バイパス。
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近暗遠明

山と山の合間から三上山が見える。左が三雲の烏が岳、右が朝国のTOTOの丘である。この山合いを国道1号、JR草津線、旧東海道など、そして野洲川が通る。平地といえる幅が330m、そのほとんどが野洲川の川幅で、1号バイパスなどは旧道の上を高架で通過する。三上山からの視線もそこを通過してくるわけだが、その方向が川の向きとわずかにずれる。平地が完全に見通せないのはこのわずかなねじれのせいである。
雲が動いたのだろうか。いまの今まで晴れていた空がわずかに曇り、近くの農地だけに陰りが来た。近暗遠明。三上山や比良山系を引き立たせる大自然の舞台照明である。
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隙間から

最近、野洲川分水嶺探訪で湖南市の三雲へ通うことが多い。その往復にバイパスのイオンタウン付近の混雑を避けて、旧国道(県道4号を)使う。これはその帰り、夏見交差点での信号待ち中の1枚。角度にして何度ぐらいだろう。非常に狭い隙間から三上山が見えた。ずーっと向こう三上山の手前に見える白い盾を伏せたような屋根は甲西高校の体育館。そこまでの直線距離は約1Km。両側の建物を思うとき、1Kmの間何の障害物もなしに見通せることが奇跡に近い。
画面上の信号、ほとんどLEDになったからライトが写らないことがある。確率は2分の1。3枚撮っておいたが、3枚とも写っていた。ということは逆の場合は3枚とも写らないこともあるということだから喜んでばかりはおれない。やっぱり5,6枚は撮っておかないとコワいかな。
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木は伸びる2

川田大橋上流の樹木の成長に驚いて、それなら新庄大橋あたりはどうなっているかと、改めて確かめてみたい思いがわいた。日没までまだ余裕があったからその足で。このあたりは晩秋から初冬にかけて川霧が発生する。写真は『あいあい滋賀』に連載したものの一つで、撮影は2008年10月。樹木の上半分が霧の上に出ている。
この後、1,2年してこれらの樹木がきれいさっぱり切り取られた。へーこんなに広くなるのかと驚いて見た記憶がある。この撮影が2010年10月。以後7年たって、標題写真ということになるのだが、やはり木がもこもこと大きくなっている。橋の上からの遠望でこれである。ちょっと場所を変えると、このように木のてっぺんが橋に届くぐらいになっている。間違いなく木は伸びる。
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