何やこれ!

撮ろうと思うこと自体どだい無理な話である。それは初めから分かっていた。が、このときは黄葉の色に負けた。川の岸に立つケヤキの木。見事な黄葉だった。いまのこの写真(橋の写真・三上山は左遠方にある)でいえば、画面右外の遠いほうの岸に立つのが常識。それでも近い。可能ならばその2倍も3倍も離れたい。しかしそのすべてが無理だった。それならば止めるのが本来の考え方。しかしこのときは無理でも何でも一部でいいから撮ってやろうと思った。
1960年(昭和35年)秋。一人で涸沢から奥穂へ登った。上高地ですでに雨だった。その中を半日歩き続けて見た屏風岩から涸沢への全山黄葉。俗な言い方だけどその色が脳裡に焼きついた。以来、秋は黄色でなければならないと思っている。目の前に立つ黄葉が50数年前の記憶をよみがえらせた。理屈ではない。とにかく撮ろう。80ジジイの郷愁が撮らせた写真である。いやいや、何とも恥ずかしい。
写真ステージ 「近江富士」
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新海道(杣街道)

昨日の山崎交差点は草津線のすぐ横、県道4号と油日バイパスとの三叉路である。一直線に走る現在の道が旧街道であるというとこはまず考えられない。油日集落を抜ける旧街道からたどった道は、現在の県道よりもう1本山側の道だった。何となく見た風景だとあたりを見直すと、そこは以前三上山を撮った場所だった。これは2012年2月の撮影である。今回は油日集落から三上山を背にして南へ進んだのだが、そのときはいったん県道で三重県境近くまで進んで、逆に引き返してきたところだったというわけ。
昔の撮影場所を今回の標題写真でいえば、イノシシ除けのネットが何段も重なるその向こう、電柱が2本立っているあたりだった。たしか初めてこの場所を見つけたとき、畑のすぐそばにネットやパイプが積み上げられていた。2回目に行ったときはネットが張られ場所は極端に限定され、撮りにくい状態になっていた。最初のとき何も考えずただ三上山が見えるということだけで探し出した場所だったが、そこが杣街道の近くだったとは、考えても見ないことだった。
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新海道

いま野洲川分水嶺峠道探訪で、杣街道(三雲・柘植間)を歩いている。先日、快晴の日曜日、油日の集落を歩いた。そのついでがきょうの標題写真。もう何度も見てもらっているのでさほどの珍しさはない。あえて言えば、いつもは比良に雪があるのが当たり前になっているところ。ひょっとしたら、メタセコイヤが色づいているのが初めてかもしれない。
で、きょうはここからが本文。先日紹介した高田さんの引札展覧会で、「ほう、そうか・・・・」という話が見つかった。展示の引札の中に”新海道油日上野XX商店”とあったのである。「ほう・・・」と思ったのはXX商店でも油日上野でもない。「新海道」の文字である。しかしこの「新海道」という言葉は杣街道歩き始めるまで知らなかった。要するにいまの今まで知らなかったということである。
その新海道、簡単にいえば、杣街道のことである。三雲・柘植間は壬申の乱のころからすでに東海道の一部としてそのルートが存在していたが、鈴鹿峠を越える東海道が整備されたことでいつしか衰退してしまっていた。それが明治20年から近代化政策の重要施策として道路の整備・拡張が進められ、県道草津柘植線の一部として復活した。それが「新海道」と呼ばれるようになったという。いま三雲の天保義民碑の近くにそれを示す碑が建っている。(以前は旧横田橋南詰めに建っていたのだが、いまはここに移されている)。油日町上野(現在のJR油日駅近く)のXX商店が誇らしげに「新海道」を掲げている。歴史の生き証人を見た思いである。ちなみに、きょうの撮影場所(油日町山崎)は、いわゆる新海道からはすこしはなれている。
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片翼の山

きのうの浜街道を2Kmほど南へ下った。いつの間にか草津市に変わっていてここは片岡町。道を挟んだ反対側が例のゴルフ練習場というところである。三上山の麓、日が照っているのが守山の市街地。さて昨日の写真と比較して、三上山だけを見ているとほとんど変わらないが、周囲の山が変わる。たとえばこれがきのうの場所から山だけをアップしたもの。三上山からずーっと右に離れて菩提寺山、その間にどたっと台形状に十二坊が入ってくる。あまりスマートな並びではない。
ところがきょうの標題写真では右下の雌山が手前へ回って見えなくなり、そこから十二坊がスロープを駆け上がるように高さを増して菩提寺山につながる。これは琵琶湖を渡った坂本南善房あたりから見るのと同じ形である。ただ、残念なのは、きょうの場所から見たとき、左側が整わない。鳥が翼を広げたようなという均整がとれた形ということになると、坂本からの見え方に一目置かざるを得ない。まさか”片岡町”という町名の由来が、こんなところから来たとは思えないが。
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小津大橋南詰

浜街道を走ると、守山市山賀町に「小津大橋南詰」という信号がある。小津大橋?、・・どこを見まわしてもそのような橋はない。たとえば国道8号の野洲川大橋、この橋の長さが432m、三上山の麓にあってその標高と同じである。これは草津の畳屋さん・中村さんからの受け売り。栗東側の交差点が「野洲川大橋南詰」。誰が見ても分かる。小津大橋、確かに橋はある。しかし橋の長さが30mそこそこ。南詰め北詰で騒いでは人が笑う。
標題写真手前の川がそれだが、標識があって”新守山川”、旧名が”山賀川”だとか。まだ山賀大橋ならわかるが。なぜ小津大橋なのか。で、思いだしたのだが、確か小津小学校というのがあった。調べてみると少し上流のところにある。小津神社もこのあたりだ。ということは、この橋の名は一町名でなしに地域全体を代表する名称だったのだ。ハイハイ分かりました。三上山の中に入っている白いでかい建物が成人病センター。お世話になってます。
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点いていた信号

琵琶湖大橋取付道路、きのうの続きである。洲本町ではなかった右側にも電柱が並んでいる。「レ」の字型の空間の真ん中に山を入れたい。 クルマは荒見町交差点を左に曲がった。今だ。こんな時こそ連写だが、乗せてもらっている人様のクルマの中でカシャカシャやるのも気が引けた。よし、一発勝負。できた写真はほんの少し右へ寄っていた。一瞬早かったことになる。
電車の中から狙う場合もそうだけど、こういう場合はもうちょっともうチョットと思っている間にチャンスを逃してしまうことが多い。そうならないようにと早めに押したのがわざわいした。しかし、多少のずれは目をつむれば山は何とか写る。一発勝負で怖いのは信号のLEDライトである。ことと場合によっては完全に消えてしまう。確率は50%。本当はこれの方が怖い。
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右や左の大騒ぎ

琵琶湖大橋取付道路を大橋のほうから三上山に向いて走っている。洲本町交差点の手前、山は道路の右手に見える。いまから10数年前だったか。東京からやってきたTV局のディレクターだったかカメラマンだったかが、どう考えても分からないという。(三上山は)琵琶湖大橋の上からは右手に見える。それが料金所を過ぎると左に移る。そしてまた右・・・それが分からんという。
分かる分からんの問題ではなくて、見えるか見えないかの問題だと思うのだが。橋を含めて道路が微妙に曲がる。その間に山は真正面に来ることもあるのだろうが、そこのところが見えないわけだ。見ているほうにとっては右や左やと忙しいことになる。一度、徹底分析してみようかと思いつつ、いまだにやれないでいる。建物が邪魔になるのが大きな問題だが、電柱がその思いに水を差していることも事実である。
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