鉄塔の意味

日野川・光善寺川の合流点を越えてさかのぼっている。歩いている立場からすれば、2川合流を意識しなければ、いつまでも日野川の左岸を歩いていると勘違いしてしまいそうなところである。昨日の写真の撮影場所から100m余り歩いているのだが、道が三上山に向かっているため、山の見え方などはほとんど変化していない。
左端に高圧線鉄塔が見える。カットしても一向に差支えない状況であるが、これはあえて入れたもの。歩いている道が初めての場所で、撮影ポイントの目印としたかったためである。そしてもう1つ。鉄塔の奥に竹藪が見える。その手前を横切る道。いまワゴンが走っている。その道が三上山の真下あたりで、集落の中へ消える。地図の上で、三上山と現場を結ぶ赤い線が、道路が集落へ入る点を通ることを確かめればいいのである。
写真ステージ 「近江富士」
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光善寺川堤防

仁保橋から日野川左岸を300mほど上流へ進むと前方から光善寺川が合流していくる。左の方、広い流れが日野川、右端に見える橋が光善寺川である。ここの部分はずーっと工事をやっていたがここのところどうやらその気配はなくなった。車は通行禁止だが、歩いてなら可能のようだ。いま歩いたコースを振り返っているのだが、GoogleMapの”地図”では空白になっている。”航空写真”に切り替えてやっとそのコースが見える。最近まで工事中で地図に表現することもできなかったのだろう。
見えているのが小南の集落。左の方、ヤブと重なって城山の姿が見える。
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仁保橋

日野川に架かる県道2号仁保橋、野洲市と近江八幡市との境をなしており、これは野洲市側への下り坂がはじまるところ。三上山の真下、白い倉庫の向こうあたりが小南の信号という勘定になる。三上山と前の山(田中山と妙光寺山)との区別がつきにくいが、いずれにしてもこれらの山の向こうから三上山が上半身を見せている構図である。
左端、遠くの山で一番高く見えるピークが石部の阿星山。カーブしていく道路の上、半円形の窪みの奥に見える山が金勝山地。妙光寺山の右に見えるずーっと遠くの山が京都府南部の鷲峰山あたり。計算ではこの山あたりからも三上山は見えるはずだったが、実際に行ってみると木が多くてどうにもならなかった記憶がある。
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鯉のぼり無為

兵主大社近く、国道477号沿いの空き地に立つ木。何という木か、残念ながらわからない。その木陰を通して見た三上山だが、目的は田んぼの中に立ち並ぶ鯉のぼり。毎年4月の終わりごろになると元気に泳ぎ出す。月遅れとは言わないが、今ごろ間の抜けた話だが、それはご勘弁いただくとして、もちろんこれでは満足できない。時間もあったので徹底的に歩てみた。
よく見ると鯉のぼりの列までにもう1本農道がある。それを歩いてみた。スカみたいな写真になる。こんなのを撮りに来たのと違うぞ。相手は水田だから自由な距離はとれない。次はもう鯉のぼりの真下ということになる。"兵主太鼓保存会”という幟があって、コイは気持ちよく泳いでいる。こんな状況なのに、三上山を入れるとなるとどうにもならなくなる。標題写真を見て分かるように、強い風が三上山に向かって吹いていたのである。その中で風の向きにカメラを向ける。鯉のぼりが泳ぐ姿が入ってこないのは当然の理だった。
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釣り船の風景

朝からモヤの濃い日で、11時過ぎになってやっとうっすらと対岸が見えるようになってきた。そんな天候でも釣り人には何の関係もないのだろう。むしろ風がないのが幸いとでもいうように、1艘、2艘と湖面をただよッている。私の子供のころには、船の上では立つなと厳しく言われたものである。船の転覆につながるというのである。それがいつのころからか、釣り船はみな立つのが当たり前になった。船の構造が変わっていたのだろう。
釣り船というと懐かしい1枚がある。1977年、生まれて初めての朝の湖西路。このとき釣り人は座って糸を垂れていた。絵に動きを持たすため、どうしても立ってほしかった。ずいぶん待ってシャッターを切った記憶がある。座っていた釣り人。そいえば船の形そのものが今とずいぶん違っている。古い話である。
写真ステージ 「近江富士」 ◆ニオの浮巣・03 アップしました。
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後悔尽きず

ご存じ三上の農地。手前は水田、その向こうは麦畑。撮影は5月12日。1週間ほど前だから、イネはもっと伸び、麦の色も黄色さを増しているだろう。そういう違和感を除けば何の変哲もない絵だが、撮影場所は、現在建設中の8号バイパスのふち。後は足元からバイパス予定地というところである。
画面左の農道をクロネコのトラックがやってきた。画面に入り切ったところで、シャッターを切ったのだが、前方の白い建物や看板と連なってしまった。もうちょっと辛抱して、建物と重ねるべきだったか。この種の後悔のネタはいつまでたっても尽きるものではない。
写真ステージ 「近江富士」 ◆ニオの浮巣・03 アップしました。
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地名の怪

我が家の近くである。昨年夏、通りに面した一軒家が取り壊された。その時の写真である。整地されて三上山が見えやすくなったということで、昨年の7月26日の本欄で取り上げている。そしいま、そのあとに新しい住宅が2軒お目見えした。光線状態が違うので、別の場所のように見えるかもしれないが。
そして、もう一度”町名”である。私はGoogleMapで撮影場所をクリックして、地名を求めている。今回、いつもと同じように場所をクリクした。”行畑”と出た。?、きのうの地名は”行畑1丁目”である。1丁目や2丁目があって、ただの”行畑”がある。けったいな話だけど、そういうことがあることは知っていた。しかし、今回のその場所がただの”行畑”とは。地名の怪である。
写真ステージ 「近江富士」 ◆ニオの浮巣・03 アップしました。
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もう一つの町名史

野洲中央線から野洲高校通用門に通じる道である。通学時間帯には高校生がわんさと通る。正門は別に行畑交差点から三上に通じる道路につながっているのだが、生徒諸君は野洲駅に近いこちらを通る。いまは下校時間にはまだ少し早いのか、誰一人として通らない。
左の民家の壁に住所表示板が取り付けられている。以前、京都の街には仁丹のコマーシャルが入った表示板が取り付けられていた(ひょっとしてここらもそうだったかもしれないが)。元同僚のM氏がそれを丹念に撮影して回って、『京都・もう一つの町名史』(1995年刊)という本にまとめた。面白かった。そのM氏もいまは亡い。
とそんなことを書いていて、写真の住所表示板には”行畑二丁目”?とあるのに気がついた。GoogleMapで調べた撮影場所は”行畑一丁目”となっている。まさか表示板が間違っているとは思えないし。とすれば怪しいのはGoogleMapということになる。もう一度確かめてみた。ひょっとして・・・、このとき私は表示板とは道路を挟んで反対側から撮っていた。そちら側は一丁目、写っている野洲高校側は二丁目だったわけ。やれやれ、”もう一つの町名史”である。
写真ステージ 「近江富士」 ◆ニオの浮巣・03 アップしました。
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