風景の終焉

柿の木が切られたことを知って1か月ほどになる。そのときにはまだ地蔵さんは残っていた。当然それもどこかへ移される運命にあった。先日行ってみてそれを確認した。残っていたのはコンクリートのガラクタだけだった。地蔵さんを置くのに使われていた土台の残りだろう。まさにきれいさっぱり。もうここからの風景を撮ることはないだろう。
考えてみれば長い付き合いだった。1982年に出版した『四季近江富士』のトップもここからの写真だった。思えば長い付き合いだった。三上山を撮りだしたのが1976年だからそれ以前は知らない。私が知るよりもさらに長い年月が流れているはずだが、それは別にして、私が知ってからでも40年、風景に寿命があったとつくずく思う。最初の2,3年だったか、いつ行ってもどう撮っても写真になった。柿の木も若かったし、地蔵さんも落ち着いていた。いまもその風景に出会えたことを感謝している。(近畿日本ツーリスト『弥次喜多』1997年11月号)。その風景が徐々に崩れだし、滅びていく。
話は変わるが、いまでいうとどのあたりだろうか。国道1号の栗東ICから少し石部寄り。そこにポプラの木が数本並んでおり、その向こうに三上山が見えた。どこにも風景の乱れはなかった。そこへ行って三脚を立てればそれでよし、そんな風景だった。惜しかったのは、標準レンズでは周囲の雑物が入ることだった。いま思うとそれでもなぜ撮っておかなかったのか。そのとき注文しておいた望遠があとわずかで届くはずだった。それからでいいか。結局その日はシャッターを切らずに帰った。望遠を持って意気揚々と出かけてそこに見たものは、上半分を切られたポプラの姿だった。残った下半分が消えたのはそのあとすぐだった。
このように日の目を見ない出会いもある中で、地蔵さんと柿の木は長いつき合いだった。感謝。
写真ステージ 「近江富士」
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