偶然の一致

伊庭内湖に流れ込む大同川が、東近江市小川町あたりで2度、3度と90度ずつ稲妻型に屈曲する。その中で県道194号小川町交差点あたりの流れがちょうど三上山のほうを向く。ただそれだけの偶然だけど、ボクとしては何か珍しいものを発見したような誇らしい気持ちになる。たかだか偶然の一致ではないかと人は言う。しかしその偶然がありそうでない。たとえば無数にある畑の畝。これなど探せばいくらでもありそうなものなのに、これですらいままでに本当に一致したものに出会ったことはない。
もうずいぶん前のことなので、こまかい場所は忘れてしまったが、中主町の子供公園で、子供がくぐって遊べるようにと土管が2本、小さい盛り土の上に固定されていた。そのうちの1本が、望遠鏡で覗くように三上山が見通せるように思われた。が、現場へ行ってしゃがみこんでみたが、ほんのわずかにずれてアウト。
ことほど左様に2本の線の一致は簡単ではない。ましてや初めから基本的に思考の方向が違うアイツとアイツ。話し合って完全に一致するなんてことはあり得るはずはない。この先に待っているのはあの狂気でしかない。普通の人間なら誰でも分かっている話。いま、人間の知恵が問われる。
写真ステージ 「近江富士」
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鳥になりたや

きのうの愛知川沿いの阿弥陀堂町から三上山を前に見て県道194号を走る。次の信号が小川町。イネが黄色い。ヨシここらで仇討ちをしようか。しかし先ほどの愛知川堤防からとはわけが違う。ただ広いだけの田んぼ、いくら黄色だといっても芸がないもので。隣の田んぼでコンバインが止まっている。休憩中かもしれない。まあ、要するにそれだけの話である。昨日の写真との違いといえば、上空の青さが写ったことぐらいか。何ともハヤ・・・・。
右の山が八幡山。それまでに伊庭内湖と西の湖が横たわっているのだが、姿すら見えない。昔の人が鳥になりたいと憬れた気持ちがよくわかる。
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遅かりし

季節の推移が速い。ちょっと油断をしていると手遅れになる。これなどもその例。菩提寺の色づきを撮ったあと、高みからのポジションとして、愛知川堤防上からの撮影をイメージした。しかし、行ったときにはもうこんな状態だった。家を出ようとしたとき見事な快晴だった。北から南を見る位置関係だったので、太陽を正面に見るのを避けるため、出発を少し遅らせた。それはそれで間違ってはいなかったはずだが、現場へ着いたときには南の方に薄い雲が発生しだしていた。
結果的には、歯ぬけの田んぼを薄雲をバックに撮るという最初の意図とは全くかけ離れたことに。せめて薄雲が出る前だったらと思うが、後の祭り。隣の田んぼはと考えたが、そこは大豆畑。何から何までうまくいかない半日だった。暑い夕日を背に受けて、すごすご帰る堤防上。お前はアホかといわんばかりに、一羽のカラスが目の前を通り過ぎていった。
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ハウスを避けて

もう1回、旧北流跡道路を。真正面富士こだわらなければ、ほかにも見えないことはない。今日の標題写真などは、道路に対してほぼ90度近い方向に見えることになる。田んぼを前にしてどの方向にでも見えるというのとは様子が違う。河川の跡地というものはすぐに農地に変換できるというものではないらしい。そのまま放置されているところも多いし、変換されたとしてもビニールハウスが建てられている場合が多い。
そうなると見たところは農地だが、遠景を見る立場からすると市街地と同じである。たとえばこの写真。左側にもう1棟建てばアウトである。きのうの交差点近くからの写真も、ハウスまでの距離があったから成り立ったもので、近ければアウトである。アホみたいな話だけど、ぎりぎりの場合をもう1枚。
◆町田のゴンちゃん。亡霊写真をありがとう。ルーペを二重にして読みました。何年前ですかね。メールください。〒もメールアドレスも消えてしまいました。
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真正面富士

野洲川北流跡道路である。かつての堤防を撤去して、そのあとが道路になった。道路の幅よりも旧堤防跡の方がはるかに幅は広い。そういう状況だから常識としては視界は広いはずである。ところが実際に歩いてみると以外と山は見えにくい。
単純に見えにくいよりも先に、どこに見えるのか、方向の見定めができないのである。絶えず道の方向が変わる。今左に見えていたと思ったら、次は右といった調子である。その分道が屈曲しているわけだ。言い換えたら、その昔の川がそれだけ曲がっていたということになる。そんなことで、下流の堤交差点から中ほどのイオンモール近くの交差点までで、山が正面に見えるのは2か所だけ、標題写真とそれから少し先の交差点近くの2か所だけである。
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最後の一枚

結局、三途の川は渡らず、1号バイパスの側道を三上山を背にして歩く。少し向こうの十二坊の麓は夕日が鮮やか。さっきの場所ではちょっとも照らなかったのに。とぼやきつつ、車を置いた場所へと農道を曲がったとたん思いがけない風景が飛びこんできた。何本か並んだビニールハウスの端面が淡い光を返している。その光の表情はいかにも秋の夕方だった。
あれは白籏史朗だったか。撮影を終えるとき、必ず1枚だけフィルムを残しておくという。家へ帰りつくまで何が起こるかわからない。予定外の風景が現れたときのためだという。デジタルになってこの感覚はなくなった。仮にメモリーがいっぱいになっても、要らないものを消せばよい。”最後の1枚”、久しぶりにこの言葉を思いだしたひとときだった。
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三途の川

さて皆さん、この橋を渡る勇気がおありかな。若いときなら斜面をトントントンと下りてひょいと溝を渡って、ひょいひょいひょいと登りなおせばよい。ところがこのトシになるとそれもちょっと無理だろう。で、架けられた橋らしいが、さてこれを渡る勇気があるかといわれればうーんとうなってしまう。まずこの細い橋を渡れるかどうかという当方の身体的事情。それはまあ大丈夫だとしてももう1つ、この細い脚がぶすぶすと地面に入り込むのではないかという不安感。何ともハヤ難しい橋である。案外三途の川にかかっている橋は、こんなのかも知れませんぜ。
せめて橋面を光らそうと西日を待って見たが、これも無理だった。GoogleMapの航空写真、さすがにこれは無理だろうと開いてみたら、なんのなんの真っ白に輝いて写っていた。
◆余談。DeNAが広島に三夜連続サヨナラ勝ち。1960年の大洋時代以来の話だとか。この年の大洋ホエールズはすごかった。前年最下位のチームを三原脩が優勝させた。昭和35年10月2日、優勝決定のニュースを上高地を出て間なしのバスの中で聴いた。バスは14時30分発。そんな時間帯に優勝が決まる。いまでは考えられないような事情があった。興味がおありの方はこちらをどうぞ。
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1本の竹

きのうの標題写真を少し広げてみると右端に小さな林が見えてくる。高田砂川沿いで神社の森のようにも見えるが神社はない。その左手前に1本、幹が白くてまっすぐにすっと伸びた木が見える。白樺の若木のようにも見えるが、まさかこんなところそれはないだろうし。もう1回、農道を迂回して行ってみた。何や、竹か。何でこんなところに1本だけ。杉林の外側、仲間外れの位置である。いや仲間外れだからこそ、こうして延びられたのだろう。まさか杉林の中ではどうにもならなかったはず。
それからが大変だった。せっかく見つけた竹だから、すかっとハイライトを入れてやりたい。ところが夕日は照るような照らないような。何分待ったか。結局まともなハイライトは入らずじまいだった。
◆町田のゴンちゃん。亡霊写真をありがとう。ルーペを二重にして読みました。何年前ですかね。メールください。〒もメールアドレスも消えてしまいました。
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