色づく

国道1号バイパスを走っていて、菩提寺周辺のイネが色づいているのに気がついた。稲刈りも間なしだろう。時間に余裕があったので、歯抜けになる前にと、引き返すことにした。高田砂川の堤防で高さが得やすかったのを思いだし、県道27号の方から堤防を歩いたが、進むにつれて草が深くなり、途中で農道へ下り大きく迂回して現地でたどり着く。
時間は4時半を過ぎ、近ごろの天気の傾向として、西の空に積乱雲ができやすい。このときもご多聞に漏れず、沸き立つ雲が太陽を隠す。崩れかけはするのだがまた盛り返す。それも同じ場所で。田んぼの中ほどに電柱が横一線に並んでいる。その道を中学生が数人自転車で通り過ぎたのだが、太陽を気にしている間に通り過ぎてしまった。何ともはや不完全燃焼。まあそれでもカンカン照りよりはましか。
写真ステージ 「近江富士」
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間抜けた話

はて、これはどこだったか。いろんなグループが並ぶ中でたった1枚。ぽつんとどこで撮ったのか思いだせない写真がある。ふつうは関連する写真が何枚か並ぶので、撮影場所が分からないということはない。左に菩提寺山があるから、湖南市だということはわかる。しかし、最近湖南市へ行ったかな。画面を拡大してみると、カンガルー便と平和堂のハトマークが見える。そうか・・・そういえば。
つい先日、大沙川上流探索で三雲城址付近へ出かけた。その帰り、いつものルートを外し信号を一つずらすルートをとった。そのとき、前後のクルマがないことを幸いに、道端にちょいと止めて、あわてて撮った1枚だった。そんなことで他の一連の写真は大沙川のホルダへ。この1枚だけがこちらに残っていたというわけ。間抜けた話である。
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航空写真で遊ぶ

比留田の家棟川畔からの帰り、さざなみホールと中主ふれあいセンターの間に通じる農道を走った。前方左、田んぼの中に黒々とした木が2,3本並んでいるのに気がついた。いままで意識した記憶はない。急に現れたとは言わないが、細々とした木が急に成長したのだろう。ひ弱で存在感がなかった少年があるとき急に立派な青年になるように。
とまあ、思いついての撮影である。困るのは撮影位置の同定。とにかく田んぼの中である。分かっていることは走った農道だけ。その道のどのあたりであったかもはっきり覚えていない。覚えているのは何かの倉庫様の建物の側面が西日に輝くのをちょっときつすぎるなと思ったことだけ。しかし、いまとなってはその建物を探すしか手はない。地図では限度がある。航空写真に切り替えてシラミつぶし。その建物と三上山の山頂を結び、逆に伸ばした延長線がくだんの農道と交わるところが撮影位置ということになる。
写真をよく見直してみると例の木の右側に短い一組のガードレールが見える。いま走っている道が次に直交する農道、その道が小さい水路をまたぐはずだ。おそらくその水路のふちにこれらの木は並んでいるのだろう。航空写真を精いっぱい伸ばしてみるとその光景が見えてくる。木は写っていた。この撮影位置はまず間違いないはず。
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家棟川

竹やぶのそばにある橋のもう1つ上流に架かる橋、その橋の上から見た三上山。川はもちろん家棟川。右側で木の生えているのが左岸。とすると左に見えているのが右岸かというとそうではない。これは中洲で初夏にはヨシキリで賑わう。右岸はというともう1本左に流れがあってさらに左ということになる。
もう少し周辺の風景を。竹やぶのそばの橋から上流の橋を見たところ。見えている山は鏡山。裾の広い山である。標題写真はここに写っている橋の上から撮ったとことになる。もう1枚。同じ橋から下流側を撮ったところ。比良山が屏風のように立ちはだかる。上流を見ても下流を向いても、ちょっとした水郷風景を感じる場所である。
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竹やぶ

同じく比留田。家庭菜園の片隅に小さな竹薮がある。申し訳ないが竹の種類を識別する能力はない。いずれにしても小ぶりの竹だ。丁寧に手入れされていて、数本の竹を通して見る三上山は落ち着いた日本的な風景だ。秋の夕方、右からの光を受けるときの竹の表情は秀逸である。ただ惜しいかな画面左側の倉庫の壁面が同じように明るく照らされるのには難儀する。撮影の都度あれこれ考えてみるが、いままでうまくいったためしはない。
三上山のすぐ左の竹と遠景の山・阿星山のピークとが重なってしまった。現場ではついうっかり見逃してしまった。失敗である。
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社会の縮図

比留田の家庭菜園。どちらから入っても長い農道を走らなければならない。稲刈りが始まる前にと行ってみた。?、いままでと雰囲気が違うのである。初めて訪れてから30数年、何度来たかわからないが、その都度変わった表情を見せていた。しかし今回は様子が違う。畠が荒れて、明らかに手づかずになっていると思えるところがある。もちろん全部が全部そういう状態だというわけではない。一部なのだが全体の雰囲気が変わって見える。
事情は分からない、 しかし想像されるのは耕作者の高齢化。社会の縮図を見た思い。かく申す私自身も対象者の一人。
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イナゴ獲り

イネが実ってきた。野洲市市三宅、カメラの後ろは野洲川の堤防というところである。イネが実る写真にここを選んだというわけではない。時間があったのでただ何となく歩いただけ。見えている風景はただ三上山が写っていますというだけである。スズメ除けのテープがキラキラ光っていた。それを空へ出そうとしゃがみこんだ。
遠い昔。戦後72年という。その年は小学校6年生、集団疎開で京都にはいなかったからその前の年、5年生の夏だったか。友達2,3人とイナゴ獲りに行った。”獲り”といえば大げさだが、要するにイナゴを手づかみにするのである。背が低かった私にはまさに標題写真の風景だった。畦道に垂れ下がった稲穂にイナゴはいくらでもいた。いまのこの写真の範囲に5匹や10匹はいただろう。それを手づかみにして糸を通した針で突き刺す。
30cmぐらいの糸はすぐにイナゴでいっぱいになった。それをぶらさげ意気揚々と引きあげる。一番長い後ろ脚だけをちぎってホウラクの上へ。それがおやつだったか、夕食の一品だったか。罪深いことである。昨夜は大文字の送り火、秋が来る。
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写真の読み方

国道8号バイパス工事、現在、三上山に向いて左側の地点で埋蔵文化財の発掘が行われている。たとえばここ、40m四方ぐらいの土地、もう発掘が終わって埋め立てられたのだろうか。土の表面の色が変わっている部分があるが、まあそれだけの話である。同じようなブロックがさらに左の方にある。これが標題写真。
2つのブロックの左右関係は三上山山頂と高圧線鉄塔との関係で読み取れる。松の木写真の場合は高圧線鉄塔を隠して難儀したが、いまの場合はこれがものを言う。偶然の一致だが、これら2枚とも鉄塔の先端と三上山の稜線とが一致している。これで撮影位置の前後関係も読める。言うまでもくな両者を比べた場合、標題写真の方が三上山に近いということである。遠近関係の場合、単純に大小だけで判断するとひどい目にあう場合がある。今どきのカメラは、ズームの関係で大小関係はなんとでもなるからである。
あと2枚。現場そのもののアップ。発掘されたものは何か、自然の水の流れのように見えるが素人には分からない。三上山側から見て、左から見たのと右から見たのと。青いシートと踏み板があるから、何とか同じ対象物だと分かるが、もしそれらがなかったら見抜けるかどうか。記録写真は撮るよりも読む方がはるかに難しいようである。
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