小さな突起・結

もう一度昨日の写真を見ながら考えてみよう。一番手前が小さな突起、その奥に三上山という並びだから、左へ進めば三上山は左へ動く。どこかまで行くと突起が三上山に溶け込んで見えなくなる点があるはず。その奥にある阿星山はどうか。斜面方向に動いているだけだから、あまり大きな変化はない。そのあと自分がバックする(山から遠ざかる)。3つの山が一緒に遠ざかっていくわけだから、大きな変化は見えないが、注意して見ていくと阿星山が徐々に低くなっていく。そしてうまくいけば小突起と三上山との重なりの点に阿星山の斜面が一致する点があるはず。それが今日の標題写真である。
ということなのだが、実際に目で見ても写真に撮っても、妙光寺山と三上山の区別は見えにくい。いまの場合も2つの山の左斜面を合わせて重なっているのだが、ほとんど判別できない。実はこの場面、『近江富士まんだら』で、方位0度の写真として使ったものである。細部がはっきり見えないということで、知人の道本さんに頼んでトレースしてもらったのがこれ。建築パースで磨いた腕は見事である。写真よりはるかに情緒があるし、よくわかる。見てもらいたい点はたった1点、妙光寺山の左上の角と、阿星山の右斜面と三上山の左斜面がたった1点で交わっているところ。うっかり見ると山の稜線どうしがクロスしているように見えるところである。
実はこの場所、上のような方法で探しだしたわけではない。山からおよそ8Kmぐらいの距離で、真北に当たる点を探していて偶然に発見したもの。この稜線はどうなっているのかと戸惑ったことが懐かしい。
「ぐるっと一周5度刻み」をどうぞ。
写真ステージ 「近江富士」
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小さな突起・続

あれ、もう咲いたの?、と驚かれるかもしれない。ご心配なく、この写真は2013年4月8日の撮影。きのうの小さな突起の続きの材料として持ちだしたまでのもの。場所は日野川右岸、近江八幡市野村町。三上山の左裾にきのうの小さな突起が見えている。しかし何となく様子が違う。後ろにもう一つ山がある。その山の中に入って目立たない。エエ恰好をして桜の写真などを持ちだしたためにそれに隠れてもう一つはっきりしない。
で、改めてもう1枚別の写真を。これでだいたいきのうの問題点とほぼ同じ範囲が見えているはず。両方合わせて見比べる。突起の形が少し変わっているが、それよりも大きなことは本日の写真で後ろに山が現れたことである。これが石部の阿星山。きのうの写真ではあまりに手前の山に近かったがためにそれに隠れて見えなかったのである。さてここで問題。本日の写真の撮影場所から、左後ろへ2Km弱移動すると面白いとこが起こる。それはどんなことでしょう。ただし、山は小突起の妙光寺山がいちばん近く、その次が三上山。一番後ろが阿星山という順序である。以下次回。
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小さな突起

所用で立ち寄った祇王郵便局の駐車場からである。左の田中山に比べて三上山が右へ寄り過ぎている。ちょっとバランスが悪いかなと思ったが、まあエエかで撮ってきた。帰ってPCで拡大してみて、?、面白いものが写っているのに気がついた。田中山と三上山の間、まさに間が抜けているなと思ったその場所に、菱形といえばいいのか、鈍角の突起が写っている。別にこの場所でなくてもこの周辺からなら見えるはずだが、いままでそれを気にしたことはなかった。住宅に挟まれた狭い場所だから余計に強調されて見えたのかもしれない。
実はこの突起、三上山の手前に横たわる妙光寺山の東端(祇王郵便局あたりから見れば左端)に当たる。手前の住宅で山そのものは隠れてしまい、隙間から左端の突起の部分だけが見えた勘定になる。天気がいいのだけれどどことなくモヤがかかりかけている。分かってもらえるかどうか、実はこの場面、左の田中山が一番手前にあり、その奥に妙光寺山(今の場合は突起しか見えないが)、その奥に三上山が上半身をのぞかせているのである。
話がくどくなった。実はこの突起がちょっとしたドラマを生むのである。以下次回。
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咲かない桜

三上の祠跡である。取り壊されて何年になるのか。去年か、一昨年かと思っていると、5・6年ということがざらにあるから、うっかりしたことはかけない。念のためにと調べていたら、祠よりも先にこんな写真が出てきた。2015年4月の写真である。根元の切痕が真新しいから、祠がなくなった直後の4月ということだろう。花が咲いている。これでこの桜も復活するものと信じて撮ったはずだ。それから3年、根元の切り口も古くなった。木は残っているが咲く気配はない。
以下ウラ話。標題写真は久しぶりの定点撮影である。ここへ行くには道路から畦を30m余り歩かなければならい。祠が建っていたころはそこまで何の苦労もなし、それが当たり前だった。最近それが怪しくなった。両側に水が張られていたり、きれいに畝が整えられたりすると、どうしようかなと躊躇する。このときは荒く掘り起こしたままだったから、少々ふらついても何とかなるだろうと一大決心をしての行動である。人間、その年齢にならなければ分からないことばかり。
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さくら緑地

さくら緑地。大山川左岸沿いに、長さ500m、幅50mほどの緑地帯を造り公園としているところである。中央部の高みにベンチを置いて休憩所を設けているが、普通の日にはほとんど人はいない。川岸の自転車道を一人の女性が大きな犬に引かれて散歩中。写っているサクラの木は後発隊でまだ力がない。先発隊の強いサクラはカメラの後ろ側に並んでいる。そんな事情で花が咲きだすと、つい外側から強い木を入れた構図になってしまう。40年ほど前、改修工事が始まったころの大山川堤防をどうぞ。
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タイル画

ご存じ大山川右岸堤防のタイル画である。川は右から左へと流れている。大山川改修と同時に作られたと考えると、30数年前の作ということになろうか。最初は何も気がつかずに、ただ単に俵藤太のムカデ退治の場面だと見ていたのだが、ぎおうの写真教室の I さんがこの構図の写真を撮ってきて、”こんなにきっちり合うのですね”と教えてくれた。
ご覧のように堤防の上端のところで左右の稜線がくっと折れ曲がるのが惜しい。右側の主峰上部の勾配だと何とか合いそうな気もするが、それをやろうとすると、撮影位置がうーんと後方で、かつもっと低い位置が要求される。実際の撮影位置は左岸の堤防の内側であるから、後退は不可能である。いまはやりのインスタ何とやらにも紹介されることもないらしい。周囲はいつ行っても静かである。
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白梅

同じ南桜。地名は変わらないが昨日の写真の場所より400mほど下流、大山川さくら緑地の終端付近である。家庭菜園の片隅に高さ2m余りの白梅が咲いていた。きのうの紅梅のところでもそうだったけれども、畝を黒いビニールシートで覆い石などで押さえているところが多い。使用者不在ということなのだろう。ここも御多聞に漏れず同じような状況。地面は入れにくい。
何度か書いたが、わたしは自分の写真を”風景の記録”だと思っている。いまでこそ、緯度・経度でその場所を記録できるようになったが、最初のころは、地名が唯一の頼りだった。そのころ調子に乗って撮ったこの手の写真は、結局はおクラ入り。二度と日の目は当たっていない。
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紅梅

南岸低気圧によって東京への今年最初の降雪が確か1月、それも早い時期だった。これはひょっとして今年の春は早いのではないかと思っていたが、案の定、3月半ばで4月だとか5月だとかの気温である。
南桜の家庭菜園に紅梅が咲いていた。奥の茶色の線は大山川堤防のさくら緑地。近年花に力が増してきた。このあとそちらへ回ってみた。何本かの木で芽がふくらみかけていた。これが特別早いサクラなのか芽を見て分別する能力はないが、いずれにしてもこの分ではサクラの開花も早いだろう。
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