大暑

連日の熱さである。動くとしたら朝しかない。守山市立入河川公園のGゴルフ場。日の出直後の新幹線鉄橋である。新大阪始発の1番列車がやってくるにはまだ1時間先だ。
5時過ぎ、家を出たときは久しぶりにまっとうな気温の中にいることを実感したが、そのあと在来線の鉄橋近くからここまで、横からの朝の光を受けて歩いてきた。もう汗がにじみ出している。きょうは二十四節気の「大暑」だという。もっとも言われなくても毎日大暑だが。
写真ステージ 「近江富士」
■近江非名所全集
■滋賀を歩けば


竹生口交差点

外へ出る勇気がない。ごまかし写真でお許しを。
これは公園ではないし、多目的広場というところだろうか。竹が丘住宅地の一画、左の方赤信号が新しい竹生口交差点である。中を歩くとなじみのない住宅地だから、2,3回曲がると方向感覚が狂ってしまう。いまも地図の上で現在地を探すに苦労をした。
以前このあたりに背の高い木が何本か生えていたはずだが、いつの間か消えてしまった。森が伐採されていく中で、住宅地のシンボルとして残せないかと考えていたが、無理だったようだ。いまあるものの場所を探すのが困難な場所で、なくなったものの場所を探せるはずはない。京セラやオムロンの建物を基準に、画面右下に見えている団地の道路を組み合わせていくしか手はないが、とにかくこの広場よりは少し右の方であることは間違いはない。
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神の鉄槌

童子川を越えて琵琶湖側を歩いている。もう少しすると湖南病院の方からやってくる道路とのT字路に出る。理屈の上では神の恵みの風景(きのうの標題写真)の中へ出ていくはずである。が、どうしてもその記憶が戻ってこない。湖南病院からやってきて、その途中までは何度も来たが、そのあとの記憶が途切れている。家屋が2,3軒並んでいて、それは見えない。オレ様もボチボチ怪しくなったかともどかしさを感じ出したところで、ふいにT字路に出た。
曲がった途端、あちゃー、これだったのか。見えて来たのが標題写真である。何もこんな真正面に立つこともなかろうに。しかし考えてみればそうだった。湖南病院の方から、やってきて、途中からこの鉄塔が現れる。それが邪魔をするところでいつもこれで終わりと引き返していたのだ。駄目だと分かっていてもしっかり見ておけよ。まさに神が下した鉄槌だった。
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神の恵み

童子川の橋を向こう側(三上山の反対側)、野洲市給食センターの前である。いつも通る道ではない。そういえばここからは撮ったことがなかったな、と思いつつふと見ると城山が大きく傾いている。この山を紹介するときには必ず”傾いた台形”というキャッチフレーズを使ってきた。しかしこれは”傾いた”では済まないぞ。そして何よりも、高圧線がない。いつもは高圧線も位置のアリバイだと強がってはいるけれど、ないに越したことはない。暑さの中の神さんからのプレゼントだった。
きのう京都の気温が観測史上最高タイの39.8℃だったという。京都は暑い。よそ様で39℃、40℃というなら京都でも当然だろう。と思って読んでいたら、京都では、1994年8月8日にも同じ温度を記録している、という。どうやら、多治見へ”涼み”に行ったのは、この日だったらしい。
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ある日童子が

総合体育館の背後を流れる童子川の下流である。画面右側遠くに見える鉄塔の左、上部だけ見える建物が体育館のはず。見えている川が童子川。GoogleMapでは家棟川となっているがこれは間違い。その昔、川の工事が難航して困っていたところ、ある日童子があらわれて・・・という逸話からの名称だという。数年前に、浚渫したはずだが、もうこんなに草木が茂っている。暑いし、太陽は高いし、こんな写真で勘弁してもらう以外手はない。
けさの新聞では、多治見で40.7度を記録したとある。あれは確か1990年代の半ばごろ、名古屋でデジタル写真の展覧会をやるという。それもフィルム写真との比較展示だという。デジタル写真を見たことがなかったので、のこのこと出かけていった。
展覧会自体は、ああそうですか、というぐらいのもので特に印象は残っていないが、その日が異常に暑かった記憶がある。青春切符か何かを使ったのかと思うが、どこまで乗っても値段は一緒だというので、電車に乗っているほうが涼しいと多治見まで足を延ばした。その昔、多治見まで1時間、中津川までさらに1時間の中央線の懐かしさもあった。その夜のTVが、その日の全国最高温度が多治見だと叫んでいた。きっちりした数値は覚えていないが、確か40度前後だったはず。特に多治見に用があってのことではない。電車で涼むのが目的だったから。これはたまらんとすぐに折り返したことは言うまでもない。
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落差工

中の池川の落差工である。流れの両側の木が大きく伸びて、トンネルのようになっている。少し下流に架かる小さな橋の上からの撮影だが、三上山のことを考えるとカメラの位置は自ずから決まってしまう。そのトンネルの付近にシラサギがエサを探していることがあるので、そーっと近寄って見たが、そんな時に限って1羽もいない。水量が少なくエサになるサカナが少ないのであろう。
木の間に見える白い建物が邪魔になって困るのだが、きょうは夏の日特有の霞が濃く、適当の抑えてくれたのはありがたかった。それにしても田中山がでかいのが目立つ。カットする手もあるが、木ばかり大きくなって視界が狭くなる。難しい場所だ。
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化かし合

野洲市総合体育館前の田んぼ。一面の緑が深い。
こうして三上山に続く山なみを見ていると、12日、野洲市野洲から見た山を思いだす。ぼこんとでかい相撲取りの腹を思いだす山。あのときは妙光寺山だった。いまもその山が見える。そう、三上山の左の同じ形をしたでかい山。この2つは同じ形に見えるが、実は同じ山ではない。12日の妙光寺山は見ごとに変身をして、横に長い丘陵として三上山の前に横たわっている。三上山が見えているのは上3分の1ぐらいのところ。
今見えているビール腹は田中山。だとしたら、ピュッと尖がった兜山(近江八幡市水茎町から)が見えるはずだが。おかしいな、きょうの写真の左側に見えるぷくんと膨れた部分が見方によっては尖るのだろう。山の化かし合である。
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雌山が動く

御上神社前交差点、昨日の場所からヒラカワダム正門の前あたりで国道から分かれて田んぼへ入っていく農道がある。国道を走るドライバーも気がつかないぐらいの細い道。その途中で振り返ってみたところである。黄色いクレーンなどをはじめすべての建物はヒラカワガイダムのもの。山が2つ見えて、左側が三上山の主峰。右側が雌山である。先日見てもらった雌山が左へ出るのとは正反対の位置から見ていることになる。
それに対して、一昨日、昨日、今日と見比べてみると三上山本体の姿はほとんど変わっていない。結局、自分の立つ位置によって、雌山の見え方が変わるだけで、この付近に限定すれば、多少動き回っても主峰の見え方はほとんど変わらないことを示している。たとえばこれ、かつての砂利置き場を前にして野洲川の堤防上から見た姿も同じことである。先日も書いたように、雌山はそこにありながら、本体にマスクされて見えないだけである。
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