山ふところ

国道8号、御上神社前交差点。国道をまたぐ跨線橋が設置されている。ちょっと見るとその上からと思うのだが、電柱が目の前を横切っていて、降参するしか手はない。これはその歩道橋を山側へ下ったところ。三上山本体と雌山に挟まれた山ふところというところである。山に近いためどうしても妙な形に写ってしまう。この画面の左外に悠紀斎田がある。みなさん御田植祭りの写真を撮ってくるが、10人が10人とも、山の形に苦労をしている。どうにもならないところである。
画面左から3分の1ぐらいのところ、屋根の上に土の露出が見える。砂防ダムの工事現場である。集落の中を走る道路からは現場の入り口だけしか見えないが、こうして距離を置いてみると見えてくる。その部分を伸ばしてみると現場で打ち合わせをする3人の関係者の姿が見える。昨今の大水害を思うとき複雑な思いである。
写真ステージ 「近江富士」
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雲が動く

堤防上を歩くと本体に対して雌山が左右に動く。これはきのう少し書いた元砂利置き場の近く。普通の光線ではその気にならないと雌山の姿は見えない。たとえばこれは午前10時前の撮影。麓の建物に日が当たらない時間帯を狙ったのだが、雌山は本体に吸収されてしまっている。
それならばと夕方5時半ごろがこれ。建物には西日がかんかん当たっている。山は、といえば効果なし。ちょっとやそっとで話がつく相手ではない。しかし、よく見ると風景に濃淡がある。雲が動いている。ひょっとしてと、30分ほど待ったのが標題写真である。こういう仕事は冬、雲の速い日にかぎる。
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堤防上を歩く

野洲川大橋東詰、つい最近までここに砂利置場があった。堤防がトラックの出入り口を兼ねており、なんとなく近寄りがたい場所であった。それがなくなった。この写真が現在の状況だが、記録としては意味があろうが、写真としてはちょっと…ということろ。ということで、堤防上を上流へ向かって歩いてみた。いままではいったん上流側の近江富士団地のほうへ回ってからでないと入り込めず、つい億劫になっていたところである。
道はいつの間にか大山川の堤防になる。標題写真はもう少しでアサヒビールの工場というところ。祇王井川が工場と田んぼの境になっている。普段あまり見ない角度で雌山がグーンと大きく目の前に迫ってきて、本体より外へ飛び出して見える。昭和30年前後によく見られた丸みを帯びたボンネットバスを見上げる雰囲気である。そんな中で男性が1人、畦道の草刈りに精を出していた。
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緑濃く

野洲市野洲、県道2号とJR琵琶湖線とに挟まれた農地である。田植えから2か月余り。田んぼは一面の緑、それが色濃くなってきた。後は自動車がひっきりなしに走り、前にはご覧のように電車が走る環境だが、周囲は意外と静か。特に電車に至っては右に見える森の向こうから音もなく現れる。注意していないといつの間に現れたのかと思う。
一方、その向こうの山であるが、左にぼこんと見えるのが妙光寺山、野洲市北部・近江八幡市あたりから見ると横に長い妙光寺山の向こうから三上山が見えるが、ここらあたりから見るとそれを縦方向から見ていることになる。そして両者の間の低い稜線が花緑公園の裏山、三上山から妙光寺山につながる地元の地図などでは北尾根と呼ばれるちょっとした縦走路ということになる。
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竹生口交差点

久しぶりの竹生口交差点である。前回はいつだったのか、索引ができていないので、調べるためには1枚1枚遡らなければならない。ちょっとやりだしたが、あきらめた。実は竹生の方から下ってきて、旧交差点へまっすぐ突っ込んでいた道がそのまま残っていたのだが、それの工事が始まった。そんなことで久しぶり行ってみたのだが、定点への階段などは竹や木が生い茂って道が暗い。上の方へもう半分石段が続いているのだが、それが見えないほど。上から見下ろしても、肝心の工事現場が見えにくい。
下る途中、新しく生えた竹を通して見た保育園が見事なバランスを保っていたが、これもすぐ見えなくなるのだろう。自然の力は強い。ただただ感心するのみである。
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流路跡

大げさな言い方をするが、原野に池塘を見る思いである。じつはこれ近江富士大橋から見た野洲川の河床。流れはカメラの右下にあって写っていないが、今見えている水たまりはかつては流路であったような気がする。以前は、ここから見たとき、三上山の右裾のところに大きな白い建物が建っていた。それが気になってここからの撮影は敬遠していた。そんな事情で以前の写真は意外と少なく、古い写真を引っ張り出してということが難しい。
きのう(9日)だったか、関西地方の梅雨明けが発表されたが、まだ天気は不安定だ。このときもカメラの背後、守山市街地に夕立が走るが見えた。河原が暗いのはその積乱雲のせいである。
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積乱雲

所用の途次、湖南市・新生橋へ寄った。ちょうど川筋の向こうに大きな積乱雲が盛り上がりキラキラと光っていた。その反面手前の風景は雲の影に沈み、大きなコントラストを示していた。甲西陸運だったか、いつもこの大きな建物の処理に困り、落ち着かない絵しか作れなかったのだが、このときは黒いカバーがかけられていて、手前の暗い風景に同化していた。
あの長雨のあととしては水量はいつもと変わらず、拍子抜けするほど。鈴鹿山系への降水量が少なかったのだろう。
◆新聞休刊日の前日の阪神。<阪神0-1DeNA> たしかヒット数ではDeNAをオーバーしていたはず。野球はヒット数にあらず。
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5日ぶりの太陽

朝、5日ぶりの太陽を見た。7時前、太陽は出ていたが三上山には雲が。このまままた雨になってはと、とりあえず1枚だけ撮ってきたもの。標題写真は30分ほどして改めて行ってみたときのもの。雲が沸き上がり、夏至直後の太陽が左上に輝いていた。
新聞では「西日本死者50名」と報じている。さらに同数の行方不明者もと。岐阜県にも特別警報が出たとか。50年、60年前の山旅で親しんだ地名が次々と出て来て当時を思い出す。いまはただただ一刻も早い収束を願うのみ。
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