ヨシ原

堅田・浮見堂の少し北、居初氏庭園近くのヨシ原である。4月半ばの写真だからいまごろは今年の新しい芽が出ているかもしれない。季節的なことは別にして、何ぼなんでもこの風景ではヨシ原とはいえないのではないかと思われる方のいらっしゃるはず。おそらくこれはしかるべく手入れをして作った風景であろう。
近くに城山三郎の『一歩の距離』の記念碑がある。戦争末期の予科練生を主人公にした小説で、その中で、敵機の空襲があると練習機を浮見堂付近のヨシ原へ隠すのが一つの仕事だったというくだりがある。いくら練習機とはいえ飛行機を敵機から隠し通せたかどうか、それはとものかく、私が初めてみた浮見堂も文字通りヨシ原の中に浮いていた。1970年代末ごろのことである。確かその後周辺が整備され、浮見堂の位置も確か沖の方へいくらか移動したはず。
そんなことで、このあたりの湖岸にはヨシ原のイメージが結びつく。ヨシ原に囲まれた浮見堂の写真も何枚かあったはずだが、フィルム時代のもので、おいそれと引っ張り出せないのが残念である。
写真ステージ 「近江富士」
■近江非名所全集
■滋賀を歩けば


鳥の天国

きのうのカントリーエレベータのすぐ下、琵琶湖側の道を草津に向かって走る。ところどころにレモン街道との案内があるが、一般にこの名称が使われているとは思えない。数100mほど走って小さな川とクロスするところで車を止められる空き地がある。ちょうどその横の田んぼで田植えの準備が始まっていた。すぐ10mほど所にカモが2,3羽泳いでいた。クルマの中からだと鳥は逃げない。けども私の場合山との関係があるからそうとも言っておれない。外へ出た途端にすーと逃げて行ってしまった。
行く先にはシラサギのグループがいた。アオサギもいる。カモはそこへ割り込んでいったが、別にもめる様子もない。どこからか別のカモの集団がやってきた。それを追い返す様子もなさそうだ。すべてのものが全てのものを阻害しない、のどかな天国を見る思いだった。
写真ステージ 「近江富士」
■近江非名所全集
■滋賀を歩けば


法竜川

琵琶湖大橋取付道路洲本西交差点。浜街道との交差点から1つ琵琶湖寄りの交差点である。そばにJAのカントリーエレベータが建つので、周囲のどこからでも見ることができる。この川はCエレベータ(画面右外)と取付道路との間を流れる法竜川である。上流の守山市街地で毛細血管のように水を集め、広範囲をカバーして流れ下る。水源をつぶさに見たことはないが野洲川の伏流水を集めたものだろう。
現場はちょっとしたダムの形をなしている。今は能力いっぱい水をためている時期である。こういうところではゴム製の大型風船を川の底にとりつけるファブリダムがよくみられるが、ここではゲート式が用いられている。絵としては作業用のブリッジが邪魔だがこればかりはどうしようもない。川はこの少し下流で南へ向きを変え、赤野井湾へ流れ出る。
写真ステージ 「近江富士」
■近江非名所全集
■滋賀を歩けば


航空写真

昨日と同じ守山北中学南方の農地である。市街地と接していながら広い展望が広がる。電柱もない。実は今歩いている道路には電柱が連なっているのだが、それは写らない。昨日の場所に比べて左へ寄ったため、ACT遊技場のピンクの建物は右へ移動した。
私の写真は記録だと考えているので、撮影場所を明らかにすることが必要条件である。だからこういう広い風景の場合は、できるだけ場所を明らかにする風物を画面に入れる。いまの場合でいえば農道と水路である。左右にアンテナが立っているが、これは地図の上では点にしかならないので扱いにくい。で、いまの場合、このあたりだと思われる場所を探しても農道は記載されているが水路がない。この組み合わせがない限り確たる位置確認ができない。
こういう場合、航空写真に切り替わるGoogleMapは便利である。地図には記載されていない水路まできっちり見える。今回の場合、水路にかかる通路(小さな橋)の上から撮ったのだが、その橋までが写っていた。先ほどちょっと触れたアンテナや高圧線鉄塔、さらには大きな木などは、実物は見にくいが影が見えることがある。しかしいつも見えるわけではないから扱いが難しい。昨日の場合も、3本の木など見えそうなものだが、どうもはっきりしない。
写真ステージ 「近江富士」
■近江非名所全集
■滋賀を歩けば


釣り堀?

守山北中学南の農地、この時期特有の風景である。以前からそこに木が2本生えているのは知っていた。しかし、あんなところに釣り堀があったかな。もちろん田んぼに水が張られたのは言うまでもない。ピンク色の遊技施設はどうかと思うけれど、これはこの際仕方がない。軽トラもどうかと思われる細い農道を通って池の端まで近づいた。木は若干大きくなった。もう少し大きくしたいのだが、これ以上は近寄れない。遠目には2本だと思っていた木は真ん中に若いがもう1本。合計3本だった。
読んでくださる皆さんにはここまで。以下は私自身への心覚えである。この撮影位置をどうして見極めるかということである。遠くから見たとき、池の手前に1本の線が目立つ。畦道のようだが実は農道だった。そこを左右しながら撮影した。その農道は右の集落の里道につながっていた。これはGoogleMapに記載されている。問題はその線上のどこかということ。田んぼが1枚1枚記載されていたらいいのだが、それは無理。
ここで目安になるのがACT守山の建物の位置である。ピンクの建物の左はずれが、三上山の頂上の真下に見える。山頂とACTの左端からわずかに離れた点、それを結んだ線を延長して、先ほどの農道と交差する点、そこが撮影位置である。
写真ステージ 「近江富士」
■近江非名所全集
■滋賀を歩けば


わからない風景

世の中にはわけのわからないことが多い。遠くから見たときには、立派な柵があってさぞや瀟洒な住宅がと思っていたが、近づいて正面から見るとただの空き地。マリーナ雄琴近くの湖岸である。そもそも住宅とセットだったものが住宅だけが撤去されたのか、住宅を建てる予定で柵だけ先に作ったのか。昨日や今日の新しいものではない。にもかかわらず敷地内は結構手入れが行き届いていて荒れた様子はない。敷地の端にはシュロまで植わっている。いずれにしてもわからない風景である。
写真ステージ 「近江富士」
■近江非名所全集
■滋賀を歩けば


人騒がせな

雄琴川河口付近の湖岸である。四角の枠組みは琵琶湖岸の方々で見るのだが灯台だろうか。右側は三上山と菩提寺山が両端に分かれてその間に十二坊が入る。左側は三上山と妙光寺山が同じように分かれ、その間に天山が台形状に入る。そして三上山以外はほとんど同じ高さという不思議な構図である。以上、大した話ではない。
で、そこへ行くまでの話である。雄琴川の橋を渡った。「飛越橋」とある。ヒエツ橋?、なんでこんなところにヒエツ橋があるのだろう。思い浮かべたのは、飛騨と越中を分ける庄川に架かる橋。飛越七橋という。橋を1つ渡るたびに岐阜県と富山県とが入れ替わる。初めて走ったときは、結構面白かった。「飛越橋」、もちろんその中の一つである。
ぐるっと回って帰ってきた。「とびこえばし」とある。こんなとこを飛び越えるヤツがいるのだろうか。川幅は優に20mは越すだろう。読んでくださっている方は、字を見てすでにその意味がお分かりのはずだが、私は別のことを考えていた。そう、昔の雄琴川は細い川だった。あれならワシでもその気になれば飛べただろう。そのころからここに橋があったんだろうか。それにしても人騒がせな橋ではある。
写真ステージ 「近江富士」
■近江非名所全集
■滋賀を歩けば

