番外編:旧安曇川郵便局

所用で安曇川へ、ギャラリー「藤乃井」さん(安曇川町田中426・TEL 0740-32-0150)へ寄った。小田切健一郎・裕美夫妻の「木と漆の仕事」展が開催されていた。一通り見終わったところで「隣の郵便局でも大きなものを展示しています」という。となり?郵便局?。理解できないまま隣へ行った。なるほど「安曇川郵便局」とあり、真っ赤なドアが目新しい。中へ入れば手ごろな広さのホールにテーブルなどが展示されている。お客さんがそれに腰かけて歓談中、なんとものどか。
でもここホンマに郵便局だったかな?。不思議がっていると、もともとはうちで特定郵便局をやっていたのだが、郵政民営化のときに止めた。局自体はその時に駅の近くへ移転した。この建物はそのまま残り今までは美容院として使ってもらっていたという。なるほど美容院か、それで気がつかなかったのか。GoogleMapをみると「美容院ポストオフ」となっている。なるほど、不思議な名前だけど、事情を聞いて初めて意味が分かった。
建物自体は昭和11年に建てられたもの。今年でちょうど80年だという。室内のリフォームは原型を残すことを念頭に置いたと。たとえば電話ボックス。何人の人がここから電話をかけたのだろう。昔は何かことがなければ電話をかけるなんてことはなかった。それもほとんどが悲しい知らせ。涙がにじんでいるはず。電話機が取り外されていたのが残念。
それともう1つ、この小窓。何のときだったか、醒ヶ井の郵便局でもこの小窓が問題になった。いろいろ考えてみたが分からなかった。聞けば、夜間用の窓口だという。たとえば電報の受付など。受け付けるほうも大変だけど打つほうは必死。結婚おめでとうなんて電報は昼間に打てばいいのだから。
もう1つ、小田切さんの作品を。作品の展示は今日(6月22日)までだけど、郵便局跡は地域の皆さんに自由に使ってもらうという。
写真ステージ 「近江富士」
■近江非名所全集
■滋賀を歩けば


撮影位置は?

昨日の写真を撮った後、住宅地の中を雄琴駅の方へ戻ってきた。高台の住宅地だからいつでも琵琶湖は見えそうなものだけど、実際はそうは簡単にはいかない。その上に初めての土地だからどこをどう歩いたのか、それが心もとない。そんな中で撮った1枚である。細い隙間から望遠で撮ったので画面の中から位置情報を集めることが難しい。目ぼしいものとしては湖面に浮かぶ建物と画面右下のガードレール。湖面の建造物は、正体はわからないがこれは湖岸からもよく見える。ガードレールは雄琴川に架かる橋である。三上山山頂と建造物の右端と、橋の左側あたり、これをつないだ直線と歩いてきた道路との交点が撮影位置だ。
が、いつも使っているGoogleMapに湖面の建造物がが載っていないのである。雄琴川の橋はわかるからそれだけでも何とかなるのだけれど建物が分かったほうがよりはっきりする。思いついたのが航空写真。湖面の建造物だから写っていないはずはない。神さんを1人味方につけたようなものだ。ということで地図に引いた赤線はまず間違いなし。となってくるとあとは自分が歩いたコースが正しく記憶できているかどうかということ。問題はこれ、これが日に日に怪しくなっていく。
写真ステージ 「近江富士」
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傾く水平線

大津市仰木の里住宅地。その高みに大谷大学のグランドがある。最近その横に並んでもう1つ幸福の科学学園のグランドができた。撮影場所はその2つのグランドの間の道を琵琶湖側へでたところ。ネット越しの撮影である。梅雨空で遠景がはっきりしない。さえない写真である。その上にこのあたりからの写真はもう一ついやな条件が重なる。なんとなく水平線が右上がりに見えるのである。
最初その事情が分からなかった。水平線に気をつけて撮ると手前の家屋が傾くのである。標題写真は手前の家屋の縦の線は鉛直のはずである。ところが対岸の線を見ると何となく右上がりに見えるのである。眼下、正面に見えるのは雄琴川の河口だが、そこまで下りて撮った場合は対岸は間違いなく水平に写る。ところがその真後ろに当たるここまで上ってくると水平線がおかしくなる。
対岸の湖岸線を見てはじめて納得できた。この写真でいえば左側は湖岸道路の琵琶湖大橋ゴルフコースあたり、こちらから見ると比較的近い。それに対して右の方は赤野湾あたりでぐんと遠のいて行く。それをこちらの高みから見るのだから、その地形を斜めから見ることになる。地形の奥行きが水平線の傾きとして見えていたのである。いま見ている対岸の線は水平線ではなく湖岸線(地形の線)だったのである。参考のために地上200mぐらいの上空から見た地形線をどうぞ。三上山の手前に見える凹みが、標題写真でも不連続な線として見える。
写真ステージ 「近江富士」
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緑とみどり

きのう鵜と遊んだところは童子川堤防、野洲市総合体育館の下流。帰りにその上流側へ回ってみた。三上山の見え方、妙光寺山との関係などは大して変わらない。大きな違いは鵜がこちらまでやってこないこと。稲が伸びて緑が濃くなっている。道のふちにひょろひょろと伸びた白い花が咲いていた。いつも見る花だけど名前が分からない。「道のふちに咲く花、白い小さい花」で検索してみた。ヒメジョオンと出たけれども、もとから正解かどうかはわからない。
川を後ろにして立っているわけで、川側にはたくさん群れをなして咲いている。田んぼ側は手入れがされているのだろう、数本が伸びているだけ。それが何とも言えず風情がある。濃い緑と浅いみどりの対比がさわやかだった。
写真ステージ 「近江富士」
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鵜急襲

昨日の写真は右岸からのものだったが、そおあと左岸(琵琶湖側)へ行ってみた。河川敷に生えている木が目の前に立つ。と、その上を鵜が通り過ぎた。肉眼で鳥の目がきっちり見えるような距離だった。もちろんそれは準備をしていなかったのでびっくりしただけ。ちょっとそこで様子を見ることにした。500mほど先にある菅原神社の森にシラサギや鵜が集まって絶えず出入りしているのが見える。巣を作っているらしい。シラサギはどこかへ飛んでいくが(もう1枚)、鵜は目の前の童子川へやってくる。いったん上流側へ降りて、そのあと川沿いに下流側へ下がる。どうもそのルートになっているらしい。
上流側の遠くで上空へ出た鳥は早くから見えるが高いところを飛ぶのであまり面白くない。どのように飛んでくるのかわからないが、川岸に立つ木の向こうから急に飛び出してくるのがいる。こいつが近くを通る。戦争中グラマン戦闘機が頭の上を飛んだ。操縦士の顔が見えたという。そのイメージである。現れてから慌ててもどうしようもない。あらかじめ木にピントを合わせて待つ。それがしんどい。
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麦刈りのあと

麦刈りのあとである。緑一面の風景の中で、この茶色が新鮮に見える。ほとんどの場合、刈り終わるとすぐに野焼きが行われ地面は黒くなり、空も煙でかすんでしまうのだが、ここではそれがなく空気も澄んだままだった。場所は野洲市総合体育館の裏を流れる童子川の堤防を少し下流へ下ったところ。堤防の高さ分だけ視界が高くなっている。
うっかり見ていると、三上山だけが見えているように見えるが、妙光寺山がその手前に横たわり、三上山はその向こうから上半身だけをのぞかせているという構図である。右のほうの遠い山は、横に長いのが金勝山地、右に一つ離れているのが草津の鶏冠山である。
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緑濃く

気がつけば6月も半ば、田植えの時期から1月半が過ぎた。三上山の黒さが目立つ時期である。たとえば左端に見えるのは妙光寺山の裾だが新緑の名残が残っているようで色が明るい。それに比べると三上山にはそのような色彩感はない。たとえば雲一つない快晴の日、三上山にだけ雲がかかっていように見えることがある。空には雲がないのだからそんなことはあり得ないのに。それぐらい色が違う。
さてそれはそれとして手前のほうだが、新幹線と国道8号との間、新しく開かれた住宅地の端に立って三上山を見ている。写っている農地は野洲市妙光寺のはず。古墳様?の盛り土があってその間から黄色いパワーショベルのアームが見える。ここが8号バイパス用地、発掘調査が行われていたところである。今見えている作業はその残土処理のようである。平地を走るのか高架になるのか。すでに設計の段階では決まっているのだろうが、私にはわからない。このたたずまいが変わることは間違いない。
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左斜面

もう1枚、南桜から。6月12日からきょうで4日目になる。過去3枚のうち2枚は左側がヤブや樹木で隠れている。たった1枚、13日の写真だけが左の山すそまで見える。これは意図的にこうしたわけではなく、本当はこういう絵にしたはくなかった。何かがあれば左端を隠したかった。左斜面がだらだらと長く落ち着かないからである。この扱いにくい左斜面、細かく見るとちょうど半分ぐらいのところで小さな段差が見える。うっかりすると見逃してしまいそうな小さなものだが、これが今日の標題写真に見える左側の雌山の姿である。13日の場所からでは本体の陰になって見えなかった雌山が、左へ回り込んだことによって姿を現した。これで長い斜面が生き返る。
場所は県道27号の近江富士団地から南桜集落までの間、農道とクロスする十字路がある。その農道を三上山側へ入ったところである。これもきのうの写真と同じように、後々場所が分かりにくくなる恐れを含んでいる。ただ山の形がはっきりしているから、南桜周辺からだということははっきりする。奥の堤防が大山川(さくら緑地)であることははっきりする。最後の決め手はその堤防の奥に見えるいくつかの屋根(近江富士団地の住宅)である。
参考までに1981年の同じところからの姿。大山川の改修工事が始まっている。ひょろひょろと背の高い木が残っているが、伐採前はこれぐらいの大木が生い茂っていたということである。伐採される前は当然三上山は見えなかった。その三上山が見えるようになった。当時としては本当に新鮮な風景だった。近江富士団地はまだなかった。
写真ステージ 「近江富士」
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