暗い竹薮

難儀な写真を撮ってしまったなと反省している。何が難儀なのか。こういう写真は日が経つとどこで撮ったのかわからないくなってしまう。場所を示すものがカーブミラーと竹薮だけ。さてどこだったかということになってしまうのである。これはここ2,3日見てもらっている南桜からハイウエイサイドタウンへのバス道。その途中にある老人ホーム悠紀の里の出入り口。数m無断侵入させてもらって撮ったもの。ミラーに写っているのがバス道を行くクルマ。
日本の竹薮の見通しが悪くなったのはいつごろからだったか。たとえばこの写真の撮影が1978年。古い葉を落としつくした竹の間からの三上山が見事だった。実は今見ているこの竹藪、両者同じ薮である。悠紀の里からバス道を挟んで反対側に位置する。昔の写真はこの竹藪の左側(三上山に向かってみた場合)、今回の写真はその右側という勘定である。その間ほぼ100m竹藪の中は真っ暗である。
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くちなしの花

きのう見てもらった大きな矢印より150mほど右へ寄った。矢印のところでは道に対してほぼ直角方向から見る状態だったが、ここまで移動すると山は川に対して斜めに見える形になる。手前の川が大山川だが、草が茂っていて道路から流れは見えない。対岸は画面左外にある桜墓園から続いていくる緑地である。大山川は30数年前に改修されたが、それ以前はどうなっていたのか。京都からやって来たよそ者には道さえ分からない状態だった。
山裾に屋根が光って見えるのが北桜の集落。その手前の緑が農地である。1978年、北桜の農地から撮った1枚。きょうの標題写真でいえば、川をまたいだ向こうの風景である。前景の林はいまはないが山の姿はほとんど同じ。当時、大山川堤防には近づくのもはばかられるほど木が密集していた。6月のある日、三上山側から見たいちばん外側にくちなしの花が咲いていた。白く大ぶりな花は暗い林をバックに際立っていた。それを前景に撮りたかったが、三上山と一緒に撮るためには林の中へ入らなければならず、到底無理だとあきらめた。梅雨の時期になると思いだす古い話である。
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大きな矢印

南桜の集落で県道27号から分かれ、老人ホーム悠紀の里・社会福祉法人野洲慈恵会の建物の前を通り菩提寺山を右回りにまきながらハイウエーサイドタウンへ通じるバス道である。途中今の実情からはどう考えても意味が通じない大きな矢印が取り付けられている。矢印の向こうには大山川が流れている。この矢印が存在するということはこの道路に対して直角方向からやってくる車があるということであるが、現在この道を通る車は慈恵会関係者ぐらいのもので、矢印の案内を必要とするクルマは皆無のはずである。
いまのバス道はこの矢印からさらに200m余り右へ進んだところで名神をくぐるが、その昔はこの矢印のところで名神をくぐっていた。いまから30数年前の話である。この矢印はおそらくバス道が変更になったときにつけられたものであろう。なお念のためつけ加えると今バス道沿いに直進している大山川は、いまのさくら墓地の外側(三上山側)を半円形に迂回するように流れていた。現在、大山川が流れているあたりには別の小さな墓地があり、その向こう、いまの墓地のあたりには立派な松の木が生えていた。雨上がりの斜面を雲が去来するさまは、まさに一幅の水墨画を見るような眺めだった。
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山蔭の集落

くどいけれども正福寺からもう1枚。1号バイパスを高架から下ったところで十字路に出会う。相手は農道だと思うが2車線のしっかりした道路である。その道路を十二坊の方へ走ったところ。山蔭に集落が見えてくる。旧県道27号沿い、正福寺の集落である。左端の黒い森が川田神社の森、それと三上山との間にちらっと見えるのが菩提寺山の裾。右手前の稜線が十二坊の裾。上3枚とはちょっと趣が異なる。自然の地形をうまく利用した集落造り、その典型といえようか。上3枚でランドマークになっていた生田病院の建物は森の向こうに隠れてしまっている。
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1号バイパスから

撮影場所の緯度経度でいえば昨日とほとんど同じだがイメージは全く異なる。ご覧の通りこちらは1号バイパス上からの撮影である。今回の位置を基準にすると昨日の写真は少し右へ寄っていたことになる。その差が、生田病院の建物と三上山の相互の位置のずれとして現れる。今回の写真では建物がほんの少し右へずれている。
南の湖南市朝国から北の石部頭首工まで距離にして7.5Kmの間、北向きに走るとき、ほとんど真正面に三上山が見える。その間ここが一番ドラマチックなところである。道路の適度なカーブと農地を見下ろす風景の広さにおいてここを上回るポイントはない。(もう一か所、少し手前の高い位置からも魅力的だが、残念ながら田んぼが遠い)。田んぼ全面が水田のときを狙いたいのだが、実際はどこかに麦畑が入ってくる。
ちなみに、山の並びは、左に大きく見えるのが菩提寺山。右、遠く淡く見えるのが比良連峰。右端のシルエットが天山。三上山の真下、道路と並行にカーブして見える黒い線は、道路敷地の限界。すでに一部拡張工事が始まっている。
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1号バイパス

昨日の場所から200mほど左へ寄ったところ。1号バイパスが視界に入ってくる。石部の頭首工を渡ってからずーと農地の区画に沿って進んで来たのだが、東側に位置する十二坊が張り出してくるため、野洲川のほうへ押し出される形でカーブを始める。それによって生じる農免道路との平面交差を避けるため、オーバークロスへの勾配を上るところである。三上山との関係でいえば、昨日の写真で三上山の下に横たわっていた生田病院の建物が右へ動き、そのあとへバイパスのコーナーの部分が入り込んできたということになる。
ほとんど同じ場所からの写真をもう1枚。1991年の撮影である。レンズの長さが違うので山が大きく見えるが、もちろんバイパスはないし、生田病院の建物もない。本当に静かな農地だった。
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幾何学模様

湖南市正福寺、甲西北中学校の近くである。以前は県道27号と野洲川に挟まれたのどかな農地だったが、今はその真ん中を国道1号バイパスが走る。ここは県道沿いに連なる正福寺集落を農地側へ出たところ。こじんまりとした家庭菜園が集まっている。すぐ左をバイパスが走っているが画面には入ってこない。
専門用語が分からないが、エンドウの蔓を受けるための柵がX字型に組まれて幾何学模様を作っている。面白いなと思って気楽に撮ってしまった。帰ってPCの画面で見たら、しまった。柵の横棒が地平線と絡んでいる。カメラを下げて横棒を山の上へ出したほうがはっきりしたな。遠くではないから撮り直しに行けなくはないが、昨今の天気では無理だろう。とりあえずはこれで行くか。
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間違い探し

田植えから1ヶ月、稲が伸びてきた。おなじみ三上の民家である。三上山の写真を撮りだして40年。その間、全く変わらない風景はここだけである。全く変わらないといっても正直言って100%ではない。細かく言えば細部の変化はある。たとえば真ん中にある昔の茅葺屋根にカバー沿かけた形の屋根。途中塗り替えられて一度はブルーがかった色になった。いまはそれが白っぽく変化している。と書くと、いや今はグレーだよとおっしゃるかもしれない。これは白ではあまりにも目立ちすぎるのでグレーに置き換えたもの。人様の家の色を勝手に変えるわけにはいかないので、オリジナルを。
屋根だけ見て、ホンマや、変わってるカワッテルと喜ばれたのでは困る。他にも変わっているところが4か所ある。間違い探しと行きましょか。・・・・解答を見る。
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