逃げ口上

栗東ICから大きく半円を描くように山間を走ってきた道路が、野洲川を前にしてほぼ真北を向く。と同時に真正面に三上山を見るところ。このあと道は頭を少し右へ振り、竜王ICへと向かう。
と、あとになって文章で書けばこういうことになる。難儀な条件である。何が難儀か。道が真北へ向いているということ。家を出てからあちこち思いつくままに走ってきた。確かこのあたりに三上山の標識があったぞと回ってみたのだが、真正面からの光を受けていた。そうかここは北向きだったのか。そういえばこのあたりでは野洲川は東西方向に流れている。それを南から渡ろうとするのから当たり前の話だ。
「行ったときが悪かった。もう一回行きなおしやな」。教室でいつも皆さんにいっている言葉。標識はともかくとして、左下の汚い枯草などは影に隠したいのだけれど・・・・。もう一回行きなおしやな。でもこの標識、柱は汚れていたが絵の表面はきれいだった。最近つけなおしたのだろうか。これが逃げ口上。
写真ステージ 「近江富士」
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山地の中で

一昨日の直線道路を抜けると栗東IC、そこから栗東・湖南両市境の山地をほぼ半円を描いて通り抜ける。以前は山あいのさびしいところだったが、そこへ国道1号バイパスがやってきて大きく変化しだした。きょうの場所はくっつくように走っていたバイパスが右へ離れていったあとの昔ながらの寂しさが残るところである。航空写真で見ると大きく削られた山地の中に栗東市環境センターがひときわ目立つ。手前、トラックが走っているのが名神である。
ここはその環境センターの前。めったに行かない場所なので、でかい建物の正体が分からない。正式名称はとネームプレートに近づいたところで、思いがけなく三上山が見えた。ほう、こんなところから見えるのか。しかし、これで三上山でございますというわけにはいかない。後ろを見るとかなり余裕がある。可能な限りバックしてゲートを入れて撮ったのがこの写真。うしろは名神である。ひょっとして・・・トンネルを抜けて反対側へ回ってみた。
植え込みがあって自由は利かなかったが、たった一か所視界が広がった。ちょっとレンズを伸ばすと目の前にクロネコのマークが飛びこんで来た。そんな条件の場所だった。そして標題写真。よく見ると先ほどのゲートがきっちり写っていた。電柱が見えたりして、ゲート前の写真と比べてどちらをとるか悩むところだけれど、山の高さに関しては標題写真に一日の長ありというところか。
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トラ・カラー

きょうは早くも5日。今年もアッという間だろう。で、今年のトラの活躍を願ってタイガースカラーを。
JR草津線が名神をくぐるところ。栗東市と湖南市の市境になっていて、これは栗東市側。名神の向こうは湖南市石部。そちらへ回ると大きく山が削られた跡が見える。昔の銅山のあとだという。「石部の金山(かなやま)」といわれ、”石部金吉”の語源になったところだとか。もちろん今は草津線のトンネルを通して石部のほうが見えるだけ。しかし以前は旧東海道沿いのこのあたりに「金山村(かなやまむら)」という集落があったとか。
写真は通りがかりに深くは考えずに撮った1枚。近くの電柱さえなければ、何とかなったかもしれない。しかし、こいつは消しようがないな。超絶技巧で電車で消す手もあるかもしれないが、三上山をないがしろンはできないし。またヒマな時に考えます。
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トラックが見えない

京滋バイパス野路中央から立命館大学へ通じる道が名神高速道路をまたぐところ。名神で西の方から帰って来るとき正面に三上山が見えるところである。この直線道路、昔はまっすぐ走るだけだったが、新名神へのJCTができてややこしくなった。写真で右下へ分かれてくるのが、新名神へ御連絡道路。周辺道路もこんな調子
地図で読むとこの真正面区間に名神をまたぐ橋は3本ある。近いほうから若草1丁目、地図にはかがやき通りとある。そして標題写真の立命館前。一番遠いのが、草津JCTを越えたところの先長寿社会福祉センターの近く。3本とも防護ネットの背が高く、カメラを持ち上げて背伸びをしてもまだ届かない。その上に標題写真を除く前後2本の橋では網目が小さく、どうしても画面の妙なムラが入る。立命館前の橋だけが、網目が大きく何とかなる。画面左、ライトグリーンの連続線がセンターライン。さすがにこの日はトラックは目につかなかった
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ドクター・ヘリ

栗東の済生会病院にドクター・ヘリが止まっていた。1,2年前、湖南市の生田病院によく止まっていた。一度撮ってやろうと思いつつ、一日伸ばしにしている間にいなくなってしまった。考えてみれば当り前の話だ。相手にはハネがついているのだから。
前回の轍はふむまい。正月だから駐車場も空いているだろうと飛び込んだ。こういう類の対象物は一見目立つので、簡単に行きそうに見えるが大概は邪魔者があって思うようにはいかないのが常。今回もいろいろとあったが、基本的に山が見えるところだったので、一応は何とかなったというところ。ただ、平地に置いてあれば楽だったけれど、今回の場合はちょっとした台の上だった。ほんの少しの高さの差がつらかった。
ヘリポートで思いだす。もう10年も前になろうか。済生会病院の今の本館が改築されて間なしのころ、何かのイベントに三上山の写真を展示してほしいと要請を受けた。打ち合わせにお邪魔した時、当時の I 院長が院内を案内してくださった。「ここがヘリポート」です。見れば何の柵もフェンスもないフラットな屋上だった。「H」の文字があったのかなかったのか。ヘリコプターはいなかったが、一見無限に見える平面の向こうに三上山が見えた。これと分かっていたらカメラを持ってきたのに・・・。しかし、もし持っていたとして、どんな写真になったのだろう。つかみどころがなかったあのときの風景がよみがえる。
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五軒茶屋

クルマが走っているのは名神高速道路。名古屋方面からやってきて竜王IC・菩提寺PAを過ぎ、野洲川を渡って、山あいへの上りにかるところ。三上山40年目にして初めて見る風景である。
話は変わるが、実は今、野洲川流域から他流域への峠巡りをしている。何をヒマなことをと笑われそうだが、これが結構面白い。2012年の暮れから始めて、昨年暮れで丸4年、北周りで武平峠までが終了した。そして今度は南回り。いまは石部の背後の山で遊んでいる。実は今のいままで知らなかったのだが、ここのところで旧東海道がぐっと山側へ迂回していた時代があったという。
1682(天和2年)8月、・・・芭蕉が奥の細道を歩く数年前・・・、野洲川が今の頭首工のあたりで氾濫し東海道が不通になった。そのときぐいーっと道を曲げて峠を越えるコースを造った。峠の山道の安全のため、石部宿からお茶屋が5軒移転した。峠道は明治初期まで続いたという。その「五軒茶屋」という地名が、私が持っている平成11(1999)年発行の国土地理院地形図に残っている。
今その地名は地図にはない。五軒茶屋てどこやと探していたら、新しく開通した国道1号バイパスの「五軒茶屋ランプ」で復活した。三重県からやってくる”わいわい教室”のTさんが、開通していいるのを知らずにいままでのつもりで走っていたら、訳の分からんところへ引っ張って行かれたといういわくつきのところである。山の見え方は南桜の農地から見るのと同じ。何のことはないここは野洲川を越えたすぐ向こうである。
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おめでとうございます

今年もよろしくお願い申し上げます。
標題写真は、正月ぐらいは赤モノでと、数日前に撮っておいたもの。朝起きたとき放射状の雲が見えた。これは面白そうだといつもの場所へ。最初は太陽からの光で放射状に見えるのかと思っていたが、どう考えても方向が合わない。そういえば、まだ赤くなる前から放射状に見えた。その向きが昼間見る飛行機雲の向きと同じ。昨日のものが今まで残っているはずはないし、ということは夜明け前にも飛んでいるのだろうか。
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