梅雨の晴れ間

昨日の場所から300mあまり南(三上山に対して右へ)移動したところ。田んぼの中の水路の岸が波打つようにデザインされて、全体が微妙に右へ寄ったり左へ寄ったり。何か意味があるのか、それとも金が有り余っているのか。
水辺公園的発想なら、農道とは別に遊歩道的なものがいるはずだし。ホタル?とも考えたが、このコンクリートの岸ではそれも無理だろうし。これはわからない。
写真ステージ 「近江富士」
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梅雨の晴れ間

琵琶湖大橋取付道路「洲本西交差点」、JAのカントリーエレベータがあるからすぐにわかる。そこから草津に向かう道路。それをそのまま走れば、昨日、一昨日の守山芦刈園の前の道へつながる。現場では「メロン街道」の表示があるが、道路地図には表記がないし、日常会話でも聞いた記憶はない。かつて同所にあった即売所で守山メロンを売っていたこともあり、草津の終点付近でもメロンの栽培をおこなっていることもあって、そういう名前が付けられたのだろうが。
さて現場はカントリーエレベータから数100mほど進んだところ。浜街道沿いの矢島集落に向けて、農道と細い水路が並行している。それが三上山に向かう。6月25日の標題写真は前方の集落内を走る浜街道から撮ったものである。
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梅雨の晴れ間

守山芦刈園の前の道路を南へ向かうとすぐに堤防にぶつかる。新守山川である。守山駅近辺から金森町あたりを経由して、琵琶湖にいたる素直な経路を示す新しい川である。この川の1本南を流れる境川(野洲郡と栗太郡との境、古い野洲川の経路だといわれる)が複雑な経路を示すのと対象的である。
標題の写真はその新守山川左岸堤防から。カメラの後ろ400mで琵琶湖。前方左に小津神社の森。夏至のすぐ後、梅雨晴れの日。真昼の太陽が高い。一年中で一番明るいのは、感覚的には梅雨明け直後、京都の祇園祭前後を挙げたくなるが、理屈の上ではこの夏至前後のはず。民家の屋根や堤防の葉の裏がきらきら光る。
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梅雨の晴れ間

守山芦刈園の前の道を北へ100m余り進んだところ。麦を刈った後の野焼きが行われていた。
このような広い場所だから、煙さえ上がっていたら、どこからでも撮影ができそうだが、考えるほど簡単ではない。私の場合、バックに三上山が必要だからそれの反対側へ回らなければならない。その方向に邪魔ものがないかどうかを確かめて、クルマの置き場所を考える。その点バイクが身軽で便利だったが、年寄りの身には暑さ寒さがつらい。
もともと水蒸気が多い梅雨空にこの煙が加わる。写真を撮る立場からすると苦しい季節である。しかし、この人物と軽トラが広い田んぼの中のこの場所にいて、煙がなかったら、その存在すら気がつかなかったはず。そういう意味で煙もまたよし。人間とは勝手なものである。
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梅雨空

地図には「すこやか通り」と表記されているし、現場にもその表記はある。しかし日常会話でその名称がつかわれた記憶はない。今回の撮影場所は、そのすこやか通りを基準にしなければものの言いようがないわけだが、それを使っても「ああそうか」といってもらえるかどうか、なんとも心もとない。なんせ周囲は田んぼと道と川だけなんだから。
烏丸半島のハス群生地、そこを左に見て北上する。次に右側に見えてくるのが赤野井湾(内湖ともいえるし、水郷ともいえる)。今回の撮影地はその赤野井湾北側の田んぼ。つい2,3日前に撮ってきたこの写真、今だからまだ記憶の中にある。もしこれがあと何年もすれば先日の1枚の写真のように, 間違いなく撮影場所不明のブラックボックスに放り込まれてしまう運命にある。「シラサギが3羽いました」なんてアホなことを言っても始まらない。実はこの画面左すぐ外に、「えり市」の朱色の建物がある。何ぼなんでもこの色は困るとはずしてしまったが、それを入れておけばまだものが言えたのにとひそかに悔やんでいるのである。
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梅雨空

琵琶湖大橋取付道路と浜街道との交差点「洲本町」の南。矢島町との境あたりである。いわゆる浜街道は昔から南湖東岸の南北をつなぐ幹線道路であり、両側には民家が連なり、展望がきくところは少ない。ここはそんな中で珍しく三上山側の展望が開けた場所である。
つい最近まで麦畑だったらしく、刈り取った後の野焼きのあとがくっきりと残っていた。畝のあとがきっちり三上山に向かっている。こういう田んぼや畑の前に立つとき、畝がまっすぐ三上山に向かう場所は、どこでも簡単に見つかりそうな気がするのだが、実際には簡単ではない。これなどは例外中の例外というべき場所である。
山頂に向かう中心線すぐ左、大きな屋根が守山北中学の体育館、その右に荒見町天神社の森。この「天神社」という名前の神社は、私が偶然見つけただけでも、守山市川田町に2つと、こことで3つ目。さして遠い距離ではない。何かつながりがありそうにも思えるが、素人の私にはわからない。
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梅雨空

なんともはや単純な風景である。手前に水田が広がり、その向こうに横一線に新興住宅地が見える。それだけ。撮影場所は守山市十二里町。写っている住宅地は三宅町団地。撮影を始めて30数年がたち記憶も怪しいが、「十二里」という地名は撮影地としては初めてではないか。すくなくとも今まではここまで単純な風景は敬遠していた。しかし最近は、「これも風景だ」と思うようになった。と同時に、十二里という条里制の名残だと思われる地名も。
それはいいのだけれど、この風景もいつかはきのうの1枚の写真のような運命をたどるだろう。あと何年かして田んぼが田んぼでなくなったとき、おそらくここから住宅地の詳細は見えなくなるだろう。そうなったときこの写真がどこまで生きられるか。その命の綱が、撮影地の緯度・経度だと考えている。
注・私のHP、 写真ステージ 「近江富士」「三上山日乗」では、撮影地のGoogleMapをUPしている。そちらのほうもどうぞ。
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梅雨空

守山市民球場の近くである。右に見えている三角屋根は滋賀県立小児保健医療センター。田んぼの向こうの高みは駐車場。普段はクルマが列をなして止まっているが、このときは夕方近くでほとんど見えない。
30数年前、この付近で1枚の写真を撮った。何かが邪魔になったので積みワラで隠した。その後、市民ホール、球場、成人病センター、さらには今見えている小児医療センターなどが建った。積みワラと山だけの写真は、建造物にうずもれ場所同定不能に。以来可能な限り場所を示す何かを添えるよう心がけている。
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