暗雲

きのうの午前中、いい天気だったので・・・ということで家を出た。わたしがいつも教室でいっている「きょうはいい天気やから、写真でも撮りに行こうか」がいちばんアカン、まさにそのアカンことの典型だけど、今日はそれを差し置いて。外へ出て驚いた。西の空が真暗である。我が家は南東向きに立地している。明るい青空だった。その暗さが感じられなかったのだ。これはアカン。でも面白そうやな。ということで暗雲がバックにできそうな北桜の墓地へ。そのときはまだまだ南の方は晴れていた。
たしかミレーだったか、シスレーだったか、こんなムードの絵があった。手前の明るい原っぱに黒い雲。確か虹がかかってたかな。もうちょっと手前が広くないとあの雰囲気は出ない。希望が丘の芝生ランドの奥ならいける。写真は追いかけたらアカン、待って撮らなダメ。いつも肝に銘じているはずなのに・・・・。こんなことで写真が撮れたら苦労はしない。案の定、途中で雨が降ってきた。
写真ステージ 「近江富士」
■近江非名所全集
■滋賀を歩けば


またどこかで

8月前半の暑さはすごかった。しかしお盆過ぎからは雨が多くなり、ここ数日は秋霖の季節を思わす。これからまだどんてん返しは二度、三度とあるのだろうが、トータルとして秋は結構早いのではないか。そんな感じがする。ただ、秋霖の季節といっても、秋の長雨というようなのんびりしたものではなく、わーと来て大暴れしていくのは困りもの。
あれは8月の6日だったか。水口の教室へ行く途中、甲西大橋の上に消防自動車を含む3,4台のクルマが止まり、数人の制服組が橋から下を覗いていた。もちろん橋は通行止め。もうちょっと行くと横田橋も通行止め。ヘリコプターも2,3機。何やろな、まさか川が火事でもあるまいし、と教室へ行くと、今朝上流でものすごい雨が降ったのだという。どこで雨が降ったんと不思議に思える天気だったのに。水口でも降っていないのに上流では…。その夜のニュースで、野洲川が急に増水し、何人かの釣り人が中州に取り残され・・・云々という。
この写真はその日の話ではないのだけれど、2,3日前(プロパティーを読むと8月20日)、未明にものすごい雨が降った。そのまま忘れてしまっていたが、午後野洲川を見て驚いた。今朝の雨またどこかで暴れたらしい。その時はすでに水量はもとに戻りつつあるようにみえたのだけど。
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永遠の課題

幸浜大橋(幸津川町と小浜町をつなぐという意味らしい。どちらも守山市)を渡るとき、いつもちらっとこの風景を見る。この日は堤防の道が白く光って奥の林につながっていた。ええな、題名は「白い道」やな。歩いてる途中だとそれが撮れるのだが、クルマというやつは厄介だ。エエなと感じたときは通り過ぎている。他の場所を回って10分足らず、帰ってきたときにはこんな風景に変わっていた。
北海道美瑛、拓真館で有名な前田真三の最初の写真集が確か『出会いの瞬間』だった。それをみたとき何となく抵抗があった。たしかに出会いはわかるけれども出会いだけでは写真は撮れないだろう。やっぱり何度も現場へ足を運んで、煎じ詰めたものが写真になるのだろう。今でもその考え方は変わらないが、今回のようなことがおこるとやっぱり「出会いの瞬間」かなとも思う。永遠の課題かな。
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めったに通らない道

きょうもあまり通らない道の話。477号というややこしい国道がある。三重県から武平峠をこえて日野町へ下ってくる。そのあとのルートを書いていたら日が暮れる。どこをどう走ってきたかは別にして、野洲川の幸浜大橋を越えてさらにまたくにゃくにゃと曲って浜街道へつながっていく。そこがまたややこしかったのだが、いまはそのまま直進する立派な道になった。しかしそれも途中まで、そのあとは普通の道になる。流れからするといつも通りそうなものだけれども、習慣というものは恐ろしい。その手前で右へ折れて湖岸道路へ出てしまう。昔びわこウォークをやっていた時、なにかとラフォーレへ通うことが多く、その時のルートだった後遺症である。
前置きが長くなった。そのいつも通らないバイパス477のさき、改修されてない普通の道を通った。?、画面の左端に477号浜街道の家並みが途切れてその向こうが見えているのである。標題写真だけではわかりにくいのでトリミングで拡大してみた。浜街道を走る車を入れておけばよかったのだが、左の端のコンクリートの建物がガソリンスタンド。その前からはよく撮っており、浜街道からの定点にしているところである。それをもう1本琵琶湖側から見通せた。分かってもらえるかどうかわからないが、放水路に架かる橋が横に長く見える。たぶん新庄大橋のはずである。
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不思議な鉄塔

人間の行動は、というよりは”私の行動は”というべきだろうが、1つのパターンができるとついそれになじんでしまう。走る道路もそうである。つい同じ道路を走るし、頭の中のルートもつい知っている道をたどろうとする。
ところがこのときは深い意味はなく、ちょっと曲がってみようかぐらいの軽い気持ちだった。野洲市総合体育館の横を流れる中の池川に沿って住宅地の中を走りづおじ川との合流点を越えた。一瞬位置が分からなくなる。大豆畑の中に低木が何本か並んでいる。離合ぎりぎりの細い道だったけど、そこで1枚。撮ってから周囲を見回した。画面に入っている低い建物は体育館の裏にある老人ホーム「ぎおうの里」らしい。遠くに湖南病院が見える。すぐ目の前の十字路がいつも通る道だった。方向感覚が変わると風景がまったく別物に変わるという例だった。
左端に鉄塔が見えている。不思議な鉄塔で、見て分かるようにここで電線が90度曲がっている。道路がL字型に90度曲がる。これはわかる。しかし空中を走る電線である。A点からB点へ行くのならその2点を直線で結べばいいはず。それをわざわざC点を経由して90度曲げている。なぜこんな面倒くさいことをするのか。鉄塔自体にも無理な力がかかるだろうに。いろいろ事情はあったのでろうが。こんなしょうもないことが気になるのは私だけかもしれないが、いずれにしても、この鉄塔の右では写真になるが、左はアウトになるのである。
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捕虜収容所跡

家棟川橋へ戻り、そのまま左岸を下ってもいいのだが、集落に近く絵になりにくい。で、右岸を下ることにする。電柱が多い。こんなに多かったかな。何年か前、あいあい滋賀の「三上山物語」に連載をしていたころ、墓地にあった”ここが捕虜収容所跡”であるとの説明文を読んで、ぜひ紹介したいと思った。説明板では写真にならないということでここへ来た。あれこれ考えたが結局電線に涙をのんだ。結局そのときはもっと右側へ回り込み屋根が光る集落を前景にして、画面左がが収容所跡であるということで逃げた。
戦後70年、いま、記憶を風化させてはならないと、野洲図書館でその収容所を紹介する展示が行われている。
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見えなかった「大文字」

きのうの撮影場所から数10mほど上流へ歩いたところ。家庭菜園風の畑が近づく。歩く向きが山に対して斜め前方ということで、例のアンテナはあまり動かない。それでもピークははずれ右側へ。
さて昨夜は京都の五山送り火。毎年この日が過ぎると今年の夏も峠を越えたなと思う。あれは昭和21年だったか22年だったか。「大文字が復活する」という。記録によると戦時中の1943年から45年まで灯火管制などの理由から中止されてたいというから、復活は1946(昭和21)年ということになるのだが。
そのころ私は、京都の伏見に住んでいた。「タカセへ行けば見える」という。タカセというのは、市街地の西を流れる新高瀬川のことであって、家から歩いて5分ぐらいのところである。当時、住所は京都市伏見区だったが、京都駅や河原町へ行くことを「京都へ行く」という。京都駅と京阪電車「中書島」を結ぶ市電伏見線は途中田んぼの中を走った。そんな南の端から北山に点る火が見えるというのである。中学1年生にとっては人生初めての体験である。張り切って出かけていったのは言うまでもない。
見えた。確かに見えた。鳥居だったか、船だったか、とにかくオレンジ色の小さな火が見えた。北山の斜面に点った火が15Kmも離れた京都市の南の果てから見えた。今なら感激ものだけど、その時の中学1年生はそうは思わなかった。なんや、「大」文字は見えへんのか・・・。その字が御所に向いており、伏見からでは絶対に見ることが不可能な位置関係にあることを知ったのは、高校生になってからだった。
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しょうもない写真

家棟川堤防を歩いた、といっても国道477号家棟橋を挟んで上流から下流へ 1Kmほどだけど。現場へ着いてから”しまった!”、また失敗した。上空から北の方にかけては青空が広がっているのに、南東方は雲がかかっている。いつかも同じことを経験した。今年はずっとこういう傾向にあるようだ。来てしまったものは仕方がない。いまさら場所を変えるのも大層だし。
まず左岸を上流側へ。もうずいぶん前になるが、携帯電話用のアンテナが立った。何年ぐらい前になるのだろうか。きっちり思いだせないぐらい。普段はできるだけ敬遠しているのだがきょうは、堤防を歩くと決めてかかったのでどうしようもない。三上山とどんぴしゃり重なる。これも一つの記録、まあいいだろう。堤防に柿の木が生えている。まだ青いが結構実はなっている。それを写し込むためには木の左側へ回り込みたいところだが、そこに電柱が・・・。しょうもない写真になってしまった。
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