六地蔵

旧東海道を歩いていると、1,2か所家並みが途切れて道そのものから三上山が見える場所がある。集落の中ほど六地蔵集会所という建物の向かいにちょっとした駐車スペースがある。民家にしては解せないスペースで不思議に思っていたが、地図を見てその民家が天理教栗東分教会とあるのに気がついた。そういうことだったのか。と、ここまではどうでもエエ話。
ここはその駐車場の横の細い道を抜けて田んぼ側へ出たところ。軽トラのわだちがついた農道が三上山に向かっている。はて、ここを軽トラで走るには、先ほどの駐車場の横の細い道を通らなければならないはずだが。なれている人には走れるのだろうか。ちょっとした家庭菜園があって、おりしも男性が一人水やりの最中。運よく出くわすと、遠景の民家の手前を草津線の電車が走る。気候のいい時には待ってみようかとも思うが、今の季節ではね。
写真ステージ 「近江富士」
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六地蔵

草津線沿いの葉山中学校の方からやってくる道が旧東海道と交差する。その交差点から民家の裏側へ回る。野球のフィールドのホームベースに立ったように90度の視角が広がる。レフト方向に三上山(標題写真)、センターややライト寄りに菩提寺山。ライト方向に日向山(にっこうやま・旧和十散本舗の裏山に当たる)。
実はここから見た風景が、谷文晁が『日本名山絵図』に残した三上山図と一致すると考えている。要するにここ六地蔵の東海道沿いが、文晁のスケッチ場所だったということである。文晁の絵に関しては、はじめ望遠レンズで見た旧野洲川南流堤防からの姿だと考えていたが、細かく考えるといろいろ矛盾もあり、京都外大のH先生の「水平方向2分の1圧縮説」もお聞きして、もう一度考えなおした結果がこの場所だった。この話を来年の『湖国と文化』誌に掲載するにあたり、現場に変化がないか確かめに行った次第である。野球場には何の変化もなく、3人の外野手がしっかりと守備を固めていた。
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六地蔵

栗東市六地蔵の旧東海道を歩いた。車の通行量も少なく、のんびりと歩くにはもってこいのところである。しかし単なる街道歩きならそれで事足りるが、私の場合はそれでは済まない。両側に民家が立ち並んでいるから、よほどの場所でないと三上山は見えない。民家と民家の間の細い露地を見つけて民家の裏側へ回るのがコツである。
今もその露地を抜けてきたところである。道は左端に見るようにバイクが精いっぱい。軽トラでも無理だろう。三上山と重なって見えるのが葉山中学校。レンガ色と白のコントラストが鮮やかな校舎。このあたりでは目立つ建物である。校舎の手前に電柱が2本。何でこんなところにと思うが、片方が草津線の支柱。ここへ出たときに草津行きの電車が走り去るところだった。オイオイ待てよと呼び止めたがあとの祭り。
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電柱が消えた

野洲市三上の別に珍しい場所ではない。しかし注意して見るといつもの写真とは若干雰囲気が異なるはず。右端の竹藪である。これだけの竹藪が急に発生するはずはない。竹藪はずーっとここにありながら、車を止めなかっただけのことである。
というのは普通のタイミングでは電柱が目立って絵にならないのである。それがこのときは見事に消えた。見えるのは左裾の稜線からわずかに突き出ている1本だけ。それも気がつくかどうか。あとは5,6本の電柱が見事に消えた。そこにあることが分かっている私が見てもほとんどわからない。ましてや事情が分からない人が見たのでは絶対に見えないはず。撮影時間は11時27分。夏至から2か月弱とはいえ、まだ太陽は高い。その高い太陽が電柱の真上から少し奥にあったということだろう。電柱に光が当たらなかった。ちょっとでも斜めから当たっておればハイライトが生じたはず。それが三上山のシルエットにカバーされたということだろう。それに引き換え先日のヒマワリ畑、周囲に電柱があり、ちょっとでもカメラを上に向けるとアウトだった。
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難儀な時代

もう1つお寺を発見したのかと思われるかもしれない。ここは全く別の場所である。住所はというと守山市小浜町。それにしてもよく似たところである。その通りで昨日の撮影場所から850mほど南へ寄っただけのところである。アドレスが変わるだけじゃなしに市名が変わる。このように撮影して1週間ぐらいの間だと撮影場所は大体記憶に残っているが、それを越えるとまず怪しくなる。特に今回のような場合、記憶が薄れると全く区別つかなくなる。これでどえらい失敗をした例は数知れない。
ズームレンズがなかったころは、山の大きさは撮影距離に比例した。500mも距離が変われば写っている山の大きさが変わるのである。その大小で距離の違いが読み取れた。今ズームが常識になった。できるだけ使わないようにと戒めてはいるが、人間は弱い。便利なものだからついひねってしまう。これで撮影距離と山の大きさの整合性が崩れる。難儀な時代になった。
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真夏の怪

湖岸道路”鮎家の郷”から”ちゅうずドリームファーム”へ向かう道路を走る。野洲川沖積平野の中一直線の道路である。木1本ない広い農地が広がる。吉川の集落が近づく。お寺の屋根が3棟。最初この風景を撮った時はお寺の屋根は2棟だった。ある日そこへ行ってみたら3棟に増えていた。キツネにつままれた思いでフィルムを調べてみた。夢でも何でもなく間違いない事実だった。風景は変わる。その中でお寺の屋根は変わらないものとして風景の変遷の中の基準ポイントとして理解していた。それが変化したのである。確かその時は何かの事情で撤去され、その後再建されたものらしかった。お寺そのものが新たに作られたのではなかったと記憶している。ここまではどうでもエエ話。以下必読。
以上は標題写真について今までの経緯について記憶を呼び起こしながら書いたものである。びっくりしたのはここから。念のためと思ってグーグルマップを確かめてみた。吉川集落内の寺院は3つではない。1,2,3,4、合計5ケ寺が明記されていたのである。今までなぜそれに気がつかなかったのか。それとも気がつきながら忘れてしまっていたのか。最近こういう曰く不可解なことが増えてきた。
と、これで終わりにしようと思ったが、念のためと地理院地図を調べてみた。なんとなんと、それが6ケ寺になっている。もう堪忍して。クソ暑いのに。でもここでやめたら男がすたる。Yahoo地図。6つ。こればかりは多数決というわけにないかないし。
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ヒマワリ迷路

野洲市野田のヒマワリ迷路。きのう8月8日が初日。23日まで土・日開催という。野洲市青年農業者クラブが開いた。きのうたまたまJAの写真教室の当日で、8月は室内でと予定していたが、近くだから行きませんかという。ということで牛に連れられて行ってきたが、いやいやとにかく暑かった。
場所は兵主大社から近江八幡へ向かう国道477号の家棟川と日野川のあいだの畑地。三上山を撮りだして間なしのころよく通った場所だった。梅林があったり、背の高い木が並んでいたりと、結構面白い場所だった。それがいつの間にかあまり行かなくなった。梅林もなくなり、木も切られてしまった。この木などは、ええ木やなと1枚撮って、もう一度と思って半月ほどおいて行ってみたら2本とも切られていた。その後、奥に電柱が目立つようになった(梅林にも、2本の木にも電柱はない)。まあ、今となってはこれぐらいの電線は目をつむらないとというところだけれど。
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とかくこの世は

なんとまあ、この暑さは。きっちり確かめてはいないが、確か今日あたりが立秋のはず。京都の大文字までは例年暑い盛りではあるが。暑いことは仕方がないと気をとり直し、秋来ぬと目にはさやかに見えぬども…という絵を求めて出たのだけれど。
9時過ぎに家を出たのだが、何やかやと時間を費やして、現場へ来た時は11時を少し回ったころだったろうか。山の上に白い雲が青空の中で結構目立っていた。空は晴れているのに、山の手前の斜面だけが陰になっているのである。周囲は晴れているのに、なんとなく不気味に見える。これでは困る。晴れてくれないかな。昼の11時ごろだから太陽は真上にある。三上山の上にある雲が影を落としているらしい。山の陰をなくすためには上の雲がなくなればいい。ところがその雲はそのままじっとしていてほしい。なくなっては困るのである。まさに矛盾。
結局、三上山に日が当たりだしたころには、白雲は四散。とかくこの世は難しい。
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