番外編・笹尾峠2

昨日もちらっと書いたけれども、京都にいたころは東海道にしろ、中山道にしろ、街道なるものは知識として知ってはいた。しかし、身体ではわかってはいなかった。それが滋賀県へきて20年、30年たって、街道が体で感じられるようになってきた。去年だったか、一昨年だったか、東近江市蒲生岡本町を走っていて、えもいわれぬカーブを見て、道幅はちょっと広いけどここも旧街道だなと思ったそのとき、「御代参街道」の石標が立つのに気がついた。調子にのってもう1枚おまけ。
名前は知っていたが、こんなところを通っていたのか。改めて『近江の街道』--1982(昭和57)年発行・近江文化叢書13--なる本を読みなおした。御代参街道とは東海道土山宿を起点とし中山道愛知川宿近くの東近江市五個荘小幡町までを結ぶいわゆる脇往還で、”笹尾峠”は土山宿近くの難所だったという。そしてその時点で”廃絶瞬前の峠道”として紹介されていた。30余年前にすでに廃絶瞬前の峠道が今に残っているはずはない。残念。
2012年12月、「野洲川分水嶺峠道探訪」をはじめた。野洲市の国道8号・野洲川大橋畔から始めた探訪が、3年余りかかって土山町まで来た。笹尾峠を無視して通過するわけにはいかない。それが絶滅しているとしても、かつてそこに峠が存在したとしてその跡ぐらいは確認しなければならないのではないか。それにしても気になるのは、その峠のすぐ近くにまで住宅地になっていることである。現在のweb地図には番地だけが表記されているが、昭和56年(1981)11月発行の国土地理院2万5000分の1地形図(私が持っているこの地域の一番古い地図)には、点々と家屋が表記されている。峠はなくなっているとしてもその近くまでは行けそうだ。ある日そこを訪ねた。住宅はまばらだったが、地図の通り住宅地は存在していた。峠跡近くの北東隅まで行ってみた。ナニ?!・・・。
写真ステージ 「近江富士」
■近江非名所全集
■滋賀を歩けば


番外編・笹尾峠

ここのところ笹尾峠にうつつを抜かしていている。といっても何のことかと思われるはず。しかし、それは後回しにして、まず三上山のストックがなくなったという話。最近のがなければ、去年でも一昨年でも、古いのを使えばいいじゃないかと思われるだろう。実は私もそう考えていた。事実今までにもそういうことがなかったわけではない。ところが今年はダメだ。たとえば去年の同じ時期のを持ってくると風景が違う。一言でいうと季節が違うのである。例年この時期になると野洲川流域から比良山をバックにというのが定番になるが今年はまともな雪がない。難儀なものだ。
ということで思い切って番外編で・・・。「笹尾峠」、野洲川源流、甲賀市土山町と蒲生郡日野町との境の峠である。昭和56年(1981)11月発行の国土地理院2万5000分の1。最初の写真集『四季近江富士』(1982)を出版した後、野洲川源流を撮っていたことがある。このときに使っていたのだろう。私が持っているこの地域の一番古い地図である。これにこの名前がある。東海道と中山道だけが街道だと思っていたころの話である。
たとえば、鈴鹿峠や武平峠など、他府県との境の峠は明記されている。県内すべての地域を調べたわけではないが、県内郡境・市境などの峠が記載されているのはおそらくこの笹尾峠だけではないか。撮影のあとさきに地図を見るとき、この名がいつも気になっていた。30年以上も昔、古い話である。
写真ステージ 「近江富士」
■近江非名所全集
■滋賀を歩けば


地蔵さん

おなじみさくら緑地の地蔵さん。幅数m、奥行き2,3mほどのスペースに地蔵さんが並び石灯籠が立つ。三上山とのバランスもよく、いつでも写真になりそうである。とくに光が黄味を帯びる秋から冬にかけての夕方の風景は秀逸である。周りにはサクラの木が並び、その時期にこそと思われるが、世の中はそんなに単純ではない。地蔵さんのすぐ奥が駐車場。現に冬のこの時期にも左奥に1台の車が見えている。桜の時期にクルマを写さないのは、まさに手品である。夏には桜の葉が覆う。そんなことを考えると、写真になるのは冬のこの時期だけということになる。
写真ステージ 「近江富士」
■近江非名所全集
■滋賀を歩けば


濃霧

外は濃霧である。200m先の新幹線高架が見えるか見えないか。正月ぐらいは朝の写真をと悪あがきをしたけれど、そんなことがいつまでも続くはずはない。もうぼちぼち日常の生活に戻れよという天の采配であろう。ここ3、4年は、朝のうちはこの日乗の仕事、午後はネタ探し、ずーっとそんな形で来た。ぼちぼちそのペースに戻れということである。
そのペースで一番しんどいのがここ。三上山の南に位置する。昼食後に出かけていくと背中からの太陽がガンガン来る。野も山も影がどこにもない。電車なんかもなんの味もなくピカピカ光っている。半逆光のつやのある光ではない。そんなにぼやくのなら朝か夕方に行けばいいじゃないかというこだが、”そいつーができれば苦労はなーい”、昔ありましたな植木等の歌に。それができないのが年寄りの証拠。
写真ステージ 「近江富士」
■近江非名所全集
■滋賀を歩けば


似てもにつかぬ
2016 明けましておめでとうございます。
野洲市三上
こんな写真を撮るつもりではなかった。朝、山を見るとモヤがかかって全体が淡いスカイブルー、中腹から右側にオレンジ色の横雲が輝いている。昨日の失敗の繰り返しになりそうだけど、とにかく出かける。現場へ着く。輝きは変わっていない。よっしゃ。・・・・カメラの電源が入らない。見るとバッテリーボックスのふたが開いている。昨日充電をしてそのままになっていた。とりに帰る。なんぼなんでもこんなことをしていてはアウトだ。
しかし、乗りかかった舟だ。現場へ引き返した時には、似てもにつかぬ風景になっていた。太陽が上がりだしたが、風景全体を変えるほどの力はない。雲がさらに下がってきた。太陽がその中へ入っていく。もう一度ワイドに戻した時、カラスが入ってきた(標題写真)。もう一回、アップ。あれまたカラス。さっきのヤツではない。どこから来たのだろう。
写真ステージ 「近江富士」
三上山撮影のついでに・・・
■近江非名所全集
■滋賀を歩けば


こんな写真を撮るつもりではなかった。朝、山を見るとモヤがかかって全体が淡いスカイブルー、中腹から右側にオレンジ色の横雲が輝いている。昨日の失敗の繰り返しになりそうだけど、とにかく出かける。現場へ着く。輝きは変わっていない。よっしゃ。・・・・カメラの電源が入らない。見るとバッテリーボックスのふたが開いている。昨日充電をしてそのままになっていた。とりに帰る。なんぼなんでもこんなことをしていてはアウトだ。
しかし、乗りかかった舟だ。現場へ引き返した時には、似てもにつかぬ風景になっていた。太陽が上がりだしたが、風景全体を変えるほどの力はない。雲がさらに下がってきた。太陽がその中へ入っていく。もう一度ワイドに戻した時、カラスが入ってきた(標題写真)。もう一回、アップ。あれまたカラス。さっきのヤツではない。どこから来たのだろう。
写真ステージ 「近江富士」
■近江非名所全集
■滋賀を歩けば


天空動画
2016 明けましておめでとうございます。
野洲市野洲
昨日、朝7時10分。太陽が昇りだす時刻である。外へ出てみるとちぎれ雲が空いっぱいに広がり、オレンジ色に輝いている。これは面白いと現場へ走ったが、追いかけてはダメなことは言うまでもない。あっという間に雲が消えて青空に。これだったら昨日と一緒。一、二枚撮って、帰ろうかと思ったが、せっかく出てきたのだから、どこかへ回ってみよう。走りながら、どこにしようかと考えた。太陽はすでに上がっている。しかし、もう一度三上山の裏側へかくして、改めて日の出を作れば何とかなる。
とにかく川田大橋から左岸を上流へ走ることにする。太陽は三上山より左にある。こんなに左だったかな。上流へ・・・。太陽は一緒に右へ動く。そうだ、左の鞍部からの日の出が今の近江富士大橋の下流だった(その当時は近江富士大橋はなかったが)。と現場へ近づくとたくさんの人だかり。何これ?。みんなカメラを構えて三上山の方を向いている。中には三脚を立てている人もいる。頂上付近が明るい。そうかダイヤモンド富士か。
最近、それが”ダブル・ダイヤモンド富士”だという。ダイヤモンド富士が湖面に写るらしい。そんな写真撮ってどないするねんとボクは思うのだが、それが人気だというから人それぞれだ。それにしても世の中変わった。こんな大勢の人は40年目にして初めてだった。そんな中へ入る気はしない。100mほど先で撮ることにした。ダイヤモンド富士を目的で来たのではないから、適当に日の出が撮れればよい。とりあえずの1枚が頂上から後光が射しているような写真になった。けったいな写真だけど、出発からしてすでにくるっているのだから仕方がない。
と、左の方から雲が動いてきて頂上を隠した。あれ面白いことになってきたぞ、というのが標題写真。そのときは何も思わなかったが、改めてPCで見ると、右上の方からウサギか、犬か、ヒツジかが群れをなしてやってくる。ラスコーの洞窟壁画を見るような。雲は左から右へ動いていたはずだが、イメージの動物たちは左向きに走っている。天空動画だ。新年早々神さんに助けてもらった思いだった。
写真ステージ 「近江富士」
三上山撮影のついでに・・・
■近江非名所全集
■滋賀を歩けば


昨日、朝7時10分。太陽が昇りだす時刻である。外へ出てみるとちぎれ雲が空いっぱいに広がり、オレンジ色に輝いている。これは面白いと現場へ走ったが、追いかけてはダメなことは言うまでもない。あっという間に雲が消えて青空に。これだったら昨日と一緒。一、二枚撮って、帰ろうかと思ったが、せっかく出てきたのだから、どこかへ回ってみよう。走りながら、どこにしようかと考えた。太陽はすでに上がっている。しかし、もう一度三上山の裏側へかくして、改めて日の出を作れば何とかなる。
とにかく川田大橋から左岸を上流へ走ることにする。太陽は三上山より左にある。こんなに左だったかな。上流へ・・・。太陽は一緒に右へ動く。そうだ、左の鞍部からの日の出が今の近江富士大橋の下流だった(その当時は近江富士大橋はなかったが)。と現場へ近づくとたくさんの人だかり。何これ?。みんなカメラを構えて三上山の方を向いている。中には三脚を立てている人もいる。頂上付近が明るい。そうかダイヤモンド富士か。
最近、それが”ダブル・ダイヤモンド富士”だという。ダイヤモンド富士が湖面に写るらしい。そんな写真撮ってどないするねんとボクは思うのだが、それが人気だというから人それぞれだ。それにしても世の中変わった。こんな大勢の人は40年目にして初めてだった。そんな中へ入る気はしない。100mほど先で撮ることにした。ダイヤモンド富士を目的で来たのではないから、適当に日の出が撮れればよい。とりあえずの1枚が頂上から後光が射しているような写真になった。けったいな写真だけど、出発からしてすでにくるっているのだから仕方がない。
と、左の方から雲が動いてきて頂上を隠した。あれ面白いことになってきたぞ、というのが標題写真。そのときは何も思わなかったが、改めてPCで見ると、右上の方からウサギか、犬か、ヒツジかが群れをなしてやってくる。ラスコーの洞窟壁画を見るような。雲は左から右へ動いていたはずだが、イメージの動物たちは左向きに走っている。天空動画だ。新年早々神さんに助けてもらった思いだった。
写真ステージ 「近江富士」
■近江非名所全集
■滋賀を歩けば


明ける
2016 明けましておめでとうございます。
野洲市三上
明けましておめでとうございます。
新年は例によって野洲市三上の農地から。薄く霜が降りた畑を前景として三上山が立つ。雄山と雌山の鞍部から朝日が昇る。30分ほど前には茜色の雲が広がっていたが、いつしかそれも消えて、いまは山頂近くにわずかな雲が遊ぶだけ。
冬至の前後のこの時期、夜が明けても太陽が昇らない。遠くのビルなどはすでに朝の光で輝いているのに、ここだけはまだ三上山の影の中にある。太陽が顔を出す直前、ふと後ろを見るとこんな風景が。カメラの場所はまだ大きな山の陰、新幹線のトンネルの部分が鞍部に当たり日が照りだしている。トンネルはたまたまそこにあっただけで全く意味はない。
トシをとるとつい昔話がしたくなる。1976年12月、三上山を撮るぞとマミヤRB67を買って帰った翌日、うまい具合に雪が降った。そのときの写真である。40年たったけれども進歩したのはカメラだけ。写真も人間もちっとも成長していない。
写真ステージ 「近江富士」
三上山撮影のついでに・・・
■近江非名所全集
■滋賀を歩けば


明けましておめでとうございます。
新年は例によって野洲市三上の農地から。薄く霜が降りた畑を前景として三上山が立つ。雄山と雌山の鞍部から朝日が昇る。30分ほど前には茜色の雲が広がっていたが、いつしかそれも消えて、いまは山頂近くにわずかな雲が遊ぶだけ。
冬至の前後のこの時期、夜が明けても太陽が昇らない。遠くのビルなどはすでに朝の光で輝いているのに、ここだけはまだ三上山の影の中にある。太陽が顔を出す直前、ふと後ろを見るとこんな風景が。カメラの場所はまだ大きな山の陰、新幹線のトンネルの部分が鞍部に当たり日が照りだしている。トンネルはたまたまそこにあっただけで全く意味はない。
トシをとるとつい昔話がしたくなる。1976年12月、三上山を撮るぞとマミヤRB67を買って帰った翌日、うまい具合に雪が降った。そのときの写真である。40年たったけれども進歩したのはカメラだけ。写真も人間もちっとも成長していない。
写真ステージ 「近江富士」
■近江非名所全集
■滋賀を歩けば

