しっかり見てね

昨日とほとんど同じ場所、石部の頭首工堰堤のすぐ下流である。画面左端に見えるのが名神高速道路野洲川大橋。3・4日の写真の撮影場所、栗東市伊勢落あたりから比べると名神を挟んで1Kmほど上流ということになる。たとえば3日の写真にくらべるとずんぐり感がなくなっている。きょうの写真の方がスマートに見える。3日の方が山頂の形もずんぐりだし、全体の姿もずんぐり。長方形のものが一番横長に見えるのが真横から見たとき、斜めから見ると長さが短く見える。たとえば横長の額を斜めから撮ると縦長に写ることがある。それと同じことである。
もっと上流、たとえば新しくできた国道1号バイパスの橋あたりまで行くともっとスマートに見えることになるが、残念ながら手前に菩提寺山が張り出して三上山は見えなくなる。標題写真で右端に見える手前の森が菩提寺山の裾である。念のため菩提寺山が大きくなってきたところをどうぞ。このあとすぐ三上山は見えなくなる。
写真ステージ 「近江富士」
■近江非名所全集
■滋賀を歩けば


曇る川原

不思議な天気だった。我が家周辺から見て北の方、比良山などはきれいに晴れているのに、南の方、三上山の上空はどんよりとした曇りだった。これでは南へ回って北向きに撮るしか手はない。石部頭首工堰堤から下流側を見たところ。やっぱり不思議な風景だった。北の方はスカッと晴れている。言うまでもなく空は青空。しかし上空の雲が影を作って手前の野洲川川原はしっかりした曇りである。
手前のフェンス沿いの細い流れは、一見すると小川が野洲川へ流入しているように見える。確かにそれに違いないのだが、実はこの小川は200m弱上流で野洲川から分かれた流れである。(広いところが本流、堰堤でせき止められている。手前のフェンス沿いが分流)。もう1枚。下流へ向かう分流。要するに野洲川本流から取り込んだ流れをすぐ下流で再び本流へ戻しているのである。何ためにそんな面倒くさいことを。実はこの分流から、農業用水を取水しているのである。写真に写っているのは左岸で、主として守山方面へ。右岸にも同じ構造があって、主として野洲市域へ。その著名なものが祇王井川である。
写真ステージ 「近江富士」
■近江非名所全集
■滋賀を歩けば


Posted by
八田正文
at
09:34
│Comments(
0
)
二重堤防

昨日とほとんど同じ場所である。昨日は堤防上を国道が走るという形の場所で、撮影場所も国道上だったが、今回の場所はそれが少しずれて、堤防のすぐ下を国道が走るという状況。国道の「伊勢落」という信号がすぐ真下に見えるという場所である。山のずんぐりした形もほとんど変わらない。しかし風景そのものは大きく変わる。川を前にしているはずなのに流れは一切見えない。そして少し奥に堤防状の壁が横たわり、その上から三上山が見えるという構図である。GoogleMapを拡大してみると淡い線でその堤防が示されている。航空写真に変換するとさらにはっきりする。流れのふちに見えるのがその堤防である。要するにこの部分左岸に関しては堤防が二重になっているのである。(左上が下流・画面真ん中付近の信号が伊勢落)。
いつの時代にも言えることだが、水を治めることは人間の重大事だった。ましてや野洲川のように上流が花崗岩質の川は大変だった。その結果がこの二重堤防だった。いま私が住まいしている野洲市あたりでも以前は二重堤防だったという。国道8号から下流では放水路工事で改修されたが、それより上流に当たるこの辺りはまだ以前の状態が残っているのであろう。堤防の片側はうっそうと茂る森である(画面左が川)。以前は外側も森、まさに昼なお暗い、これが堤防上の道だった。今は片側が解放されて歩くにもさして圧迫感はなくなっている。そんな藪の中に碑が立っていた。もう1基。薮こきをする準備をしてこなかったので近づくことはできなかったが、おそらく二重堤防完成記念碑か何かではないかと想像する。
写真ステージ 「近江富士」
■近江非名所全集
■滋賀を歩けば


ずんぐり山

国道1号石部のほうから名神の高架をくぐって下流へ下ったところである。野洲川の堤防林に邪魔されてほとんど山は見えないが、伊勢落という信号までの手前50mほどの間だけ藪が切れる。条件としては決して悪くない場所だが、惜しいかな山がずんぐり見える。左右に圧縮されてスマートさがないのである。たとえば昨日の山の形に比べれば、はるかに鈍重である。それともう一つ苦しいことが、この区間歩道は川と反対側についている。だから歩道から撮るとこんなイメージでガードレールが邪魔をする。往来の激しい国道で、左右を確かめクルマの隙間を探して向こう側へ渡り、シャッターを切って戻ってこなければならないのである。
さてこの日は、ふと思いついてずっと下流の国道8号あたりから歩いて遡ってきた。以下はその帰り道の話である。その間距離にして2Km近く、ずっと竹藪が続き山は見えない。歩いている目の前へオニヤンマがやってきて何事もないようにすっと枯れ枝に止まった。1,2歩進めば手が届くような距離である。とりあえず1枚撮ってそーと近寄ってみた。まだ逃げない。その昔、ぎおう教室にいて、鳥や昆虫を撮っていた西岡さんはいっていた。「身体を近づけると逃げるが、手を伸ばしてカメラだけなら近づけても逃げない」と。いわれた通り手を伸ばしてカメラを近づけた。羽化したばかりかと思ったが羽などは結構汚れている。お互い生きるということはつらいことなんだ。
写真ステージ 「近江富士」
■近江非名所全集
■滋賀を歩けば


我と来てあそべや

近江富士大橋を歩いていたときのこと。遠くはよく晴れているのに、近くは上空の雲にさえぎられてしっかりした日差しが来ない。影の状況を見ようと横を見たときにカラスが2羽飛んでくるのが見えた。先回りして三上山を狙う。その画面に入って来るか来ないか。注文通り飛んでくれることはめったにないが、このときはまあそこそこのところを飛んでくれた。それだけの話である。こういうことをやると、写った鳥はたいがい現場で見たイメージより小さくなる。人間の目が動くものを強く感じるためだろう。写真になってしまうと鳥は止まる。現場でのイメージよりはるかに小さく写っている。
このときもう1羽、先の2羽を追うように目の前を通り過ぎた。気がついた時には通り過ぎていた。ぎおう教室の野口さんがコサギを狙っていて、その前を通り過ぎた鵜が大きくシルエットになった写真を仕留めた。鳥を撮りだして10年目にして初めての体験だったという。ボクにはそういうチャンスはまだない。
写真ステージ 「近江富士」
■近江非名所全集
■滋賀を歩けば


窓ごしに

水の森植物園本館の中にある喫茶店か休憩室か、名称はわからない。その窓際の一角から三上山を見たところ。縦長(だったと思う)の窓が並んでいる(横長の窓でも斜めから見ると縦長に見えることがある。そういうことではなかったはず)。その窓の1つを通して三上山が見える。いちばん大きな左の窓へ入れたかったが、左側に障害物があってこれ以上左へ寄ることはできなかった。次善の策ということでこれは仕方がない。部屋の構造上カメラは一段低い位置で山が低く見える。椅子に腰を掛けて見るほうが若干高く見えるはずである。
しかし、手前の樹木が邪魔をして上半身しか見えない。やはりここに座って風景を見るとき、湖面まで見えたほうがいいに決まっている。植物園とか、公園とかいうところは木々1本1本は大切にするが、全体の風景に対しては結構無頓着なところがある、と、常々思っている。この木はそのまま伸ばすのだろうか。
写真ステージ 「近江富士」
■近江非名所全集
■滋賀を歩けば

