太陽が左へ

国道1号・高野から金勝山へ向かう県道12号が、日向山の麓をかすめるところである。先ほど街道の正面に見えていた山である。三上山に似ているが頂上付近の形がわずかに異なる。山麓の斜面、道路より数mの高さのところに墓地があり、写真はその高みから見たところである。そんなことで、視界が若干高くなっている。ここ3,4日見てもらった写真は、旧東海道から見て、三上山側の農地であったが、きょうの場所は東海道から見て三上山の反対側である。したがって画面を横切る集落が東海道沿いの家並みを裏側から見ているということになる。草津線はこの集落の向こう側を通っている。
ここへきて、やっと太陽を左手に見ることになった。山をアップしてみると、尾根の影が見えている。頂上の下、アンテナの右上に見るのが雌山の影、頂上から右下へ下るのが、南桜へ向かって下る南尾根である。そうそう、その右下に城山が見ていますぞ。当然のことだが日向山の山頂まで上ると城山はもうちょっと離れて見える。
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つまらん写真

和十散本舗の草津寄り200mほどのところに一里塚ポケットパークがある。旧東海道と県道116号が作る三角形の土地を利用している。写真は東海道側から撮ったもので、碑のうしろ側、ブルーの屋根の民家との間を県道が通っている。側面には”間の宿・六地蔵 西へ至る目川一里塚”とある。左、木と重なっている山が日向山である。旧街道と県道とはこのあたりでは数m離れているが、すぐくっついてしまう。隙間はゼロであるが両者は他人同士。片方から他方への移動(車線変更)はできない。旧街道の独立性を重視したのか、交通安全上の処置なのか事情は分からない。
一里塚のことをくどくどと書いてしまったが、その一里塚のところで街道から見て三上山側の住宅が切れる。そこがきょうの標題写真の撮影位置である。GooglMapを航空写真に切り替えてもらうと、その間の事情がよくわかる。田んぼ側から一里塚側を見たところ。電柱は街道(手前)と県道(奥)との間に立つ。その向こうの山が日向山。
標題写真は、その隙間から見た三上山。白い雲が水平、手前のビニールハウスも水平。つまらん構図だけど、めずらしい隙間から見たところということでお許しを。左端、クリーム色の建物の右にぽこんと小さな山が見える。あれは何やろな?。撮っているときから気になっていたが見当がつかない。カシミールで調べてみたら長命寺山だった。
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カタンカタン

畦道といえばいいのか農道といえばいいのか。田んぼの一応の仕切りのような線が三上山の左裾へ向かう。2羽のシラサギが舞い降りて先ほどからほとんど動かない。遠くでかすかにカタンカタンと電車の音らしい。最近とみにあやしくなった耳に、聞こえたり消えたり。普通は踏切の警報音が先に聞こえてくるのだが、このときそれは聞こえなかった。電車じゃないのかなと思った時、急に音が大きくなって、青大将が森の向こうから飛び出してきた。普段とは風向きが違ったらしい。それにしても久しぶりに電車の音を聞いた。たとえば、新幹線や東海道線では、ロングレールを使っているからこのカタンカタンは聞こえない。よほど注意していないと気がついた時にはすぐそこまで来ていることになる。
シラサギはそのカタンカタンにも知らぬ顔。もうちょっと近づいてやろうか・・・、2,3歩前へ出るのと飛び立つのとが同時だった。
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点滅信号が

六地蔵を進む。両側に立派な塀が見えるあたり、よく見ると点滅信号が見える。普通の信号が一定時間、たとえば夜間だけ点滅仕様になる場合はよく見るが、これは交差点の真ん中にぶら下がっている一灯式のやつである。なーんやといわないでほしい。実はこのあたりの旧東海道、あくまで地図で見る限りの話だけど、JR手原駅近くの「手原一丁目」に信号があって、その次が石部の「西庁舎前」交差点、その間6Km弱、草津線でいえば手原から石部までの一駅間、信号がない。そういう信号の過疎区間、ぶら下がり式の点滅信号も貴重なのである。
なぜそんな話をここで持ち出したか。実はこの点滅信号を左(三上山の方)へ折れるとこんな風景が見えてくるのである。三上山の右に天山が並ぶという構図である。葉山中学校はそこに見えるのだが、ファインダーからは外すことができる。実はこの場所、江戸時代の画家・谷文晁が三上山を描いたと私が勝手に決め込んでいる場所である。江戸時代といまと、交通事情が同じであるはずはないが、研究者でも何でもない素人の私の勝手な想像であるが、このあたりで一番にぎわったのは、もうちょっと進んだところにある和中散本舗のあたりだろう。さすがにそのあたりでスケッチすることはばかられる。といって全く人がいない野原の真ん中でやるのも、ということで適度に人の往来もあって…というのが私の身勝手な想像である。
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見えない境界

昨日の撮影場所より150mほど右へ移動した。陸上競技用のトラックがあり、かなり年輩の方が、1人黙々と走っていた。正面の松の木だけが光と影でそこそこの表現になっているが、これは上からの光で、実際の光線は真後ろから来るという難儀な状況には変わりはない。走っている人の後ろ2本目、背の低い松の幹などは影がなく、べた光線に変わりがないことを物語っている。
で、その松の木の右上、三上山の斜面に段差が見える。昨日の写真ではそれが結構大きい。150mの移動距離でこれだけの差が現れる。それはいいのだけれど、こちらの写真の場合、三上山本体と、手前の雌山との前後関係がはっきりしない。今の場合は、本体より雌山が手前にあるのだけれど、真正面から光を受けている場合、それが分かり難い。物体の立体感が乏しくなるという話である。
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真正面からの光

昨日の撮影場所より150mほど右へ移動した。陸上競技用のトラックがあり、かなり年輩の方が、1人黙々と走っていた。正面の松の木だけが光と影でそこそこの表現になっているが、これは上からの光で、実際の光線は真後ろから来るという難儀な状況には変わりはない。走っている人の後ろ2本目、背の低い松の幹などは影がなく、べた光線に変わりがないことを物語っている。
で、その松の木の右上、三上山の斜面に段差が見える。昨日の写真ではそれが結構大きい。150mの移動距離でこれだけの差が現れる。それはいいのだけれど、こちらの写真の場合、三上山本体と、手前の雌山との前後関係がはっきりしない。今の場合は、本体より雌山が手前にあるのだけれど、真正面から光を受けている場合、それが分かり難い。物体の立体感が乏しくなるという話である。
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