野の花

守山市浜街道・JAおうみんち横の畑。旧野洲川南流跡である。浜街道から琵琶湖側は地球市民の森として整備されているが、国道を挟んだ上流側は畑になっている。その片隅に数本のコスモスが咲いていた。いわゆるコスモス畑ではない。何かの拍子に種が飛んできてそれがそのまま地についてといった風情。まさに野の花。
詩人・尾崎喜八は石仏は野に置けという。旧街道などには、祠に石仏を閉じ込める。地蔵さんは野に置いてこそ造った人の魂が生きるという。三上山を前にして、道端の地蔵さんとコスモスの花。写真を撮りだしてからずーとイメージし続けてきたが、いまだに撮れていない。地蔵さんが一か所に集められて道端にはないのである。富士山を撮り続けた岡田紅陽はここというところへそっと花の種をまいたというが、花より前に地蔵さんを置かなければならない。
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去年のいまごろ

フィルムで撮っていたころ”去年のいまごろは?”と、フィルムを見直すのが一つの習慣になっていた。それをベースに今年の作戦を立てるのである。ところがそればかりにこだわっていると変化が出てこない。そこのところが難しかった。
デジタルになっていつの間にかその習慣がなくなった。フィルムよりPCのほうが作業が楽なのに不思議である。いつでも見られるという安易さが逆にズボラにつながっているのかもしれない。そして最近、意識をしていないのに、気がつかないのに同じ時期に同じところ行っていることが多い。このススキの群れ。北沼沢からの帰りに撮ったものだが、よくよく調べてみたら、去年の今ごろやはり同じコースで撮っていた。こうしていつの間にか定番になっていくのかもしれない。
きのう、午後2時から、オペラの放送が始まった。ちょっと車を降りて、2,3枚撮って戻ったら、「鳥取西部で震度6弱」だとか。夕方、TVを見ていたら、倉吉の白壁土蔵群にも被害が及んでいるとの映像が流れる。「あれッ、ここで写真撮ったぞ」。もう記憶が怪しいが、40歳前後ころ、職場の同僚数名と倉吉へ旅した。町中を歩いていて、この土蔵群にぶつかった。翌日はバスで人形峠を越えた。「ここでウランが…」と話し合ったのを思いだす。地震の放送が40数年前のことを思い出させた。何とも皮肉。できるだけ早く地震の終息を祈るのみ。
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北沼沢今昔

きのう見てもらった大津市堅田の内湖。地図では真珠養殖場と表現されている。おそらく昭和40年、50年代には淡水真珠の養殖が行わてていたのだろう。残念ながら今はその形は残っていない。同じ真珠養殖池でもう一か所。近江八幡牧町の北沼沢。白鳥川と湖岸道路が出会う「湖岸白鳥川」という信号。その交差点の南に広がる池である。これは1981年8月の撮影。このときはまだ撹拌機が回り池は生きていた。 もう1枚、2005年5月。動きはなくなっていたが、少なくとも水面は青空を写していた。
そして標題写真、これがあの北沼沢である。一面紫がかった茶色の水草で覆われている。池全面この状態である。たとえばこの写真、標題写真の撮影位置から350mほど離れた場所である。状況は変わらない。池全体の大きさでいえば最長550mはある。その端から端までがすべてこの状態。30数年前、攪拌機が水をはねていたあの美しさはいまはない。今年、草津のハスが消滅した。こちらは水草でいっぱい。すべてのものは常ならず。
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堅田内湖

堅田の町中を走っていて驚いた。三上山が見えたのである。こんなところから?、一瞬、我が目を疑った。しかし、間違いなく三上山だった。国道161号のもう1本琵琶湖側の通り。普段走っている向きに見るとこのような風景の場所である。どう考えても三上山と縁があるとは考えられない。ところがふと横を見ると内湖が目の前まで入り込んできていたのである。
帰って地図を確かめると、堅田内湖がくだんの交差点近くまで入り込んできている。その向こうは湖岸沿いの集落。間違いない、これは見える。改めて出直してみたのがこの写真。標題写真は赤帽?のクルマが渡ろうとしている橋から撮ったものである。
堅田内湖。昭和44年編集の国土地理院地形図には「真珠養殖場」とある。赤い矢印の先端が今回の撮影位置。琵琶湖大橋は架かっている。鉄道は一切ない。江若鉄道が廃止され湖西線開業前の期間のようである。国道より琵琶湖側は田んぼ。三上山を撮りだしたのはこの少しあとということになる。地図を見なかったはずはないし、内湖の存在にも気はついていたはず。なのになぜこの風景を撮ろうとしなかったのか。民家の屋根を気にしていたのだろうか。自分自身よくわからない。
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三上山噴火?

朝、6時過ぎだったか。三上山を見ると頂上部が霧につつまれている。それ以外は晴れてオレンジ色の雲が点在。ちょっと珍しい風景である。雨上がりに雲をかぶるのは珍しくないが、こんなに晴れているときに・・・早速飛び出した。
いつものことだが、こうのは大概手遅れになる。現場へ着いた時に最初の状況が残っていることはまずない。このときも頂上が現れ最初の神秘的な雰囲気は消えていた。でも不思議、頂上を隠していた雲が右へ動き、どういう加減か波うって、噴煙がただよッているように見える。その昔、北アルプス燕岳から遠く望んだ浅間山が、小さな煙を右に流していたのを思いだす。
新幹線の一番列車が通過する。6時24分のはずだ。その時には噴火終了、ふだんの姿に戻っていた。
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旧南流跡

野洲川旧北流跡、中主吉川緑地であるが、カメラの場所はその外側。この写真でいえば、左の森が緑地ということになる。画面奥が上流。旧の流れでいうと奥から手前に向かって流れていたことになる。旧南流跡が「びわこ地球市民の森」として公園化されているのに対してこちらは中主吉川緑地。写真に見られるように黒々とした森に囲まれている。地球の森に比べると圧倒的に木が多い。当然、内部に入ると遠望はきかない。そんな事情で、せっかくきれいに整備された公園へ行きながら、私としてはわざわざ外へ出て写真を撮るというけったいな話になる。
蛇足だけど、反対側、右岸には旧堤防がそのまま残っている。当然カメラ位置は高くなるが、残念ながら三上山は森の陰に隠れてしまい見ることはできない。
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十二坊と

日野町へ行くと道に迷う。特に町中。いつも方角が90度狂ってしまう。そのあとどこを走っているのか分からなくなる。このときもそうだった。ところどころ見覚えはあるのだが、はてどこだったか。道の流れが思いだせない。しかし、手前に見えている横長の山は十二坊だ。山頂に何本かのアンテナが見える。これはちょっとした風景だ。こうして十二坊を手前に置いてその向こうに三上山を見る風景は難しい。それがこうして1枚の枠に収まる。結構貴重な場所だぞ。
と考えてきて、やっと思いだした。この前来たのは確か正法寺山からの帰りだったはず。藤の花で有名な正法寺の裏山だ。登ったのは3,4年前だと思っていたが、調べてみると2006年、なんと10年前だった。鏡山から十二坊に続く・・・と、頭の中だけでイメージしていた風景がそこにあった。左が十二坊、右が鏡山。十二坊の左上、遠景の山が比叡山。きょうの標題写真ではその左半分だけが見えていたわけ。
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もう1本

時刻表を見ると20分遅れで、上り電車が来るという。20分ぐらいなら、なんだかんだとすぐに過ぎてしまう。ということでもう1箇所、絵になりそうなところを探す。朝日大塚駅から300mほど桜川の方へ寄ったところ。ビニールハウスが目立つがここしかない。線路沿いにススキが生えているが、電車の向こうか手前かが遠目にはわからない。出たとこ勝負だ。
先ほどから10何分しかたっていないのに、右の方から空が明るくなって比叡山が見えだした。すぐ右側、架線支柱と重なっている。高さは三上山とほぼ同じ。それはそうだろう、ここより2Km弱南の梵釈寺の近くまで行けば、2つのピークが1点に重なるのだから。今回は空いた時間に偶然飛び込んだような形になったが、よく考えればもともと縁が深い場所だった。
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