わからない話

日野川の左岸(野洲側、三上山側)を歩いてみようと思った。上り口は自分だけが分かっているだけで、いわく言い難い。そこへ近づいた時、堤防上に数台のクルマが止まっているのが見えた。草刈りかなと思ったが、なんとなく雰囲気が違う。上ってみると河川敷に草野球場ぐらいの草つき広場があって、そこがパラグライダーの発着場になっていた。なるほどここだったのか。
ときどき琵琶湖周辺でパラグライダーを見ることがある。三上山と組み合わせてと思うが、簡単にはいかない。離着陸の場所が分かれば、考え方によっては何とかなる。たとえばこの写真、もちろん三上山ではない。行き当たりばったりで近江八幡方を向いて撮って来たものである。要は反対側から見ればよいのである。だから右岸堤防へ行けば・・・。とにかく行ってみることにした。とは言うものの、その場所すらも口で言えない特徴のないところである。右岸へ回ってそこがはっきりわかるはずはない。しかし数台のクルマという目印がある。すぐにわかるだろうと誰でも思うはず。もちろん私もそう考えた。ところが実際にはクルマは忽然と姿を消して、長い堤防が続くだけである。
どこまで歩いたか、きょうは諦めよう。帰って地図を見て復習しよう、と出発点の大畑橋まで戻ってきた。・・・?、どこからかエンジン音が聞こえてくるのである。しかし、振り返っても何も見えない。何回か振り返って、遠くで動いているトラクターの音かなと思ったとき、見えたのである三上山の上に。ここからだと着陸地点は必ず見えるはず。よし着地するまで粘ってやろう。結局その着陸地点は、きょうはダメだと引き返してきたその点の、さらに向こう200~300mぐらいの場所だった。いやー、分からなかったな。分かっているのは、こんな写真を撮ろうとしたのではないということだけである。
写真ステージ 「近江富士」
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季節は進む

JR野洲駅を発車した電車が野洲川鉄橋へ向けて勾配を上っていくところ。電車に気をとられていると、電車が水平になり、田んぼが右下がりになるという意地の悪いところである、が、きょうはその話ではない。
このときは午後2時前、電車に斜め右前からの光が当たるだろうと予測していた。電車はほぼ南西に向かって走っている。太陽がカメラの後ろへ回られては困る。あくまで電車に右斜め前からの光がほしい。付近に建っている住宅には向かって右面からの光が当たっている。怪しいかなとは思ったが、まだ何とかなるだろうとの思いの方が強かった。しかしやってきた電車の側面にはほとんど光が当たっていなかった(標題写真)。
そういえば、もう11月も近い。太陽が南へ寄っていく。念のためと架線の支柱部分をトリミングしてしてみた。支柱本体、それに下がっている架線の張力を調整する錘の部分。その光と影、わずかに影が多いか。思った以上に季節は進んでいた。
きのう具合が悪かったHD、教室のKさんの来診を得て解決した。引っ張り出した三上の堤防の写真。やっぱり I R10(昨日の8より2Km上流)だった。数字の意味はわかったが、それ以上のこと何もわからず。
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これは何?

野洲川右岸、中山道野洲川橋と近江富士大橋とのほぼ真ん中あたり。堤防の舗装道路上に白の文字で I R8との大きなレタリングが施されている。つい2,3か月ほど前、三上の国道8号の少し下流、河川敷に草野球場があるあたりにもこのレタリングがあった。 I Rまではまず間違いがないが、その次の数字が何だったか。たしか撮影しておいたので、データを見直そうとしたが、HDの調子がおかしくて出てこない。これだけの文字ならば、航空写真でも読めるだろうと確かめてみたが、2か所とも文字は写っていなかった。航空写真の撮影がいつかはわからないが、そのあとにかかれたものらしい。
で、もう少しよく見ると I の字のところに、8.0との数字が見える。三上のおよその位置は読めるので、堤防上の距離を測ってみた。2.063Kmと出た。ということは両者の距離が2Kmということらしい。8.0の数字の意味は、おそらく湖岸からの距離だろう。測ってみたら7.9Kmと出た。どうも1Kmごとに I RXという刻字がされているようだ。思わせぶりなことを書いたが、分かったのは数字が湖岸からの距離であるということだけ。あとは全く意味不明。
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屋根光る

日野川に架かる野村橋。最下流、湖岸道路・日野川大橋から上流へ向かって次の橋である。秋の日の昼前、橋の真ん中あたりから見た野村集落の屋根がきらきら光っていた。いわゆるコンクリート建築に見られない日本的な風景である。橋の面の高さが堤防より高く、さらに身長が加わるから、カメラ位置は堤防の高さよりかなり高い。その位置から見て、2階の屋根より少し低いところまで見える。だから堤防の高さはほぼ2階建ての民家の軒ぐらいか。
上流の県道2号あたりから、ずっと日野川が野洲市と近江八幡市の市境をなしている。しかし、この少し上流・大畑橋あたりから、市境が川をはみ出して蛇行しだし、この野村橋あたりからは近江八幡市域が、大きく野洲市側へ広がっている。現在の川もかなり蛇行しているが、市境を決めた時点ではそれ以上に蛇行していたということだろう。
最近、この堤防に桜が植えられた。まだ木は小さいが、遠からず成長して桜並木になるだろう。そのとき花はこの光る屋根をどう演出するのだろうか。
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カラスが一羽

湖岸道路・鮎家の郷の前。横雲がたなびき、その上にポコポコと大小いくつかの雲が鏡餅のように積み重なっている。それも三上山の真上に。自然というやつは時々こういう面白いことをやる。広い農地に小さい木が3,4本並んでいる。何の木かわからない。遠くの集落まで何もないところだから、せめてこの木でも入れておこうか、と、何も考えずにシャッターを切った。帰ってデータを見直したらいつ飛び込んだのか、カラスが一羽写っていた。
教室でもときどきこういうことがある。私そんなの撮ったつもりはありません。勝手に入っていたんです。その偶然に泣くこともあれば笑うこともある。世の中すべて神さんまかせ。
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水道橋

うっかり見ていると昨日の写真と見間違うが、このアーチ形の橋は水道橋である。中山道・野洲川橋の下流側に並行にかかっている。山の稜線から何本か出ている出ている照明灯ポールは中山道橋のもの。い水道橋に手すりがついているように見え、ちばん右のポールのところを車が走っているが、これらはすべて中山道のもの。画面右端水道橋の橋脚の真上、逆三角形の隙間から、JR線の鉄橋が見え、その中にさらに小さく遠くトラス橋が見える。これが新幹線の鉄橋。ということで、左岸堤防の長さで測れば1.2Kmほどの間に合計4本の橋がかかっていることになる。
一番左の妙光寺山と三上山の鞍部、見えているのは天山だけど、その奥に雨乞山と綿向き山が見えるはずだが、この画面には写っていない。微妙にずれているのかな。まあしかし橋も山も、見えても見えなくても人生には何の影響もないのだけど。
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野洲川鉄橋

昨日(25日)、一日中雲が見えない快晴だった。午後9時過ぎ、中山道・野洲川橋から見た東海道線・野洲川鉄橋。ちょっと変わった構造で両側のそれぞれ3分の1弱がコンクリート橋。残る真ん中の部分がトラス構造のいわゆる鉄橋になっている。このときも下り列車の先頭車両がトラス部分へ出たところだが、大部分はコンクリート部に隠れて見栄えがしない。騒音が出る部分を極力少なくしようとする周辺への配慮によるものかとは思うが、少なくとも、「見る」ということに関してはもう一つである。
シルエットになっている山の部分、いちばん左が妙光寺山の一部。その右の低い部分が天山、希望が丘の南に位置する山である。三上山の右が菩提寺山。トラス部に入って、遠く小さい山が三雲の烏が岳。その右が横に長く飯道山。さらに石部の阿星山と続くが、トラスと重なって稜線は見えない。
流れは穏やかだが風が動くのか、そのたびに水面の光がさわさわと移動する。
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天神川河口

大津市の天神川河口。1980年ごろ、日の出撮影のポイントとしてよく通った。浮見堂の南1Km弱の小さな岬で、左岸が堅田なぎさ運動公園になっていて、その当時はテニスコートだったような気がするが、いまは草野球のグランドになっていた。右岸には20年ほど前までは名鉄マリーナホテルがあったが、いつの間にかなくなった。ホテルの前から運動公園へ渡る橋があったはずだと行ってみたら、川が荒れて昔日の面影はなくなっていた。
考えてみれば、あれもやはり20年ほど前の話になる。ここへテレビ東京のスタッフを案内した。冬の寒い日で、グランドの北の入り江で、ヨシを前景に三上山へカメラを向けていた。その後、その入江が荒れ出して撮りにくくなった。グランドを取り巻くように遊歩道があったが、当時は湖岸に生えた木が細く間隔が狭いため、撮りにくい場所だった。結局足が遠のいた。
そして今回である。公園全体の構成は変わっていなかったが、湖岸の木が太くなり、2,3か所、木と木の間隔が広くなっていた。冬、木の葉が落ちたらいい絵が作れるだろう。楽しみである。
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