忙しい朝

朝起きて見た三上山は、山頂から3分の1ほどが雪をかぶり、子供のときに書いた富士山の絵にそっくりだった。きょうはこれだ。すぐには解けないだろうと考えたのが間違いだった。ちょっともたくたしている間に雨が降ってきた。すぐに山はもやに隠れてしまう。ダメだったかと2,3分してもう一度見ると、またぼんやりと見えている。変化が激しそうだ、これは現場へ行って待つしかない。
現場まで1分ほどだが、再び雨が降ってきた。もうちょっと待って見よう。雨粒が大きくなってきた。よく見ると何となく白っぽい。フロントガラスにもべチャッと当たるようになる。雪に変わりかけているらしい。車載温度計は4℃。山頂付近はおそらく3℃前後だろう。雨と雪の限界というところか。外へ出ての1枚。
標題写真は、この雨でいったん退散し、再挑戦した時のものである。現場へ着いたとき南西方だけが明るかったが、撮影を終えて帰るときには再び暗い空に戻っていた。その間2,3分、忙しい朝だった。
写真ステージ 「近江富士」
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遠い記憶

野洲市南桜。国道8号御上神社前から旧甲西町へ向かう県道27号が、菩提寺山にどんとぶつかるところである。いまは集落の手前に信号があって斜め右へ折れる。その信号の西側に家庭菜園が広がっている。そこを久しぶりに歩てみて、石仏主役の舞台が整備されているのに気がついた。比較的新しい2体の石仏に生垣のホリゾント、あまり立派過ぎて三上山とのバランスがとれない。ちょっとバックして柿の木を入れてごまかしたのが標題写真というわけ。
三上山を撮りだしたころ、40年前の淡い記憶でしかないのだが、いまの信号もバイパスもなく県道は細く集落内を大き遠回りしていた。そばに大きな木があってその下に地蔵さんが無造作に並べられていた。6×7判カラーで撮り始める前に、35mm判のモノクロームで撮っていた時代がある。ひょっとしたらそのころのことだったような気もするのだが、この古い地蔵さんを見ると遠く去った昔の風景を思いだす。
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1年が3秒

久しぶりの快晴で比良の雪がさわやか。南桜の農地からである。何度か書いたが、三上山を撮りだしたころ、雪の比良山を高く大きく撮りたかった。最初の冬はどうにもならなかった。それが分かったのは2年目だったか3年目だったか。うんと遠くへ離れたらいい、たったそれだけこのことを理解するのに、ずいぶん時間がかかった。
朝日放送で「ココイロ」というテレビ番組の制作を請け負っているというKさんから問い合わせがあって、先日、そのKさんがやってきた。一人である。番組は2分ほどだという。今までの例だと2,3分の番組なら、ディレクター兼カメラマンのような人が一人でやってきて、簡単な打ち合わせをして、適当にカメラをセット。ああやってくれれ、こうやってくれ、何かしゃべってくれ。半日近くの時間はかかるが、それでOKだった。
ところが今回は違った。「八田さんが写真をやりだし動機は?」から始まった。そして「三上山40年がぎゅーっとつまった写真はありませんかね」。・・・・八田さんの40年を2分に圧縮するのですよ。10年で30秒。1年3秒か・・・とひとりごと。いろんなディレクターとの出会いがあったが、そんな発想をする人は今回のKさんが初めてだった。言ってみればこの日乗がそれに当たるのだろうが。撮影はこの月の下旬だという。どうまとめるのかはまだ決まっていない。
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ちょっとした変化

旧野洲川南流跡左岸に皇太神社と阿弥陀寺という社寺が並び立つ。旧南流と国道477号がクロスする旧列系図橋から旧南流跡地を延々3Kmにわたって続くびわこ地球市民の森、その下流の末端部の駐車場に当たるところである。このあとさらに300mほど下流が昨日の美崎グランド旧大川橋跡である。
昨日も書いたけれども、ここまではよく来る。ここから三上山が見えることはわかっているし、なんだかだと公園付帯の工事が行われていて、風景が変わるからである。このときも画面右でトイレの工事が行われていた。それ以外にも三上山の真下。いま、道は平坦だけど、たかだか3,4年前まではこの道路は旧堤防への勾配を上っていた。こんなちょっとした変化が面白いのである。
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冬の風景

春は名のみ、風景はまだ冬である。写っているグランドは美崎公園のグランド。野洲川南流が守山市今浜でさらに大川と新川の南北2流に分かれる。その分岐点に位置する。かつてはここに大川橋がかかっており、2006年秋、琵琶湖一周WKでここを訪れたときには橋は使われてはいなかったが、その姿は残っていた。2012年に南北両流跡レポートのときには、橋脚の台座だけになっていた。いまもその台座は残っているが三上山と同じ画面には難しい。
もう少し上流の分岐点跡あたりまではよく来るが、この場所へはめったに来ない。三上山が見えないと思い込んでいたからである。念のためにと、当時の南北両流のレポートを確かめてみたが、三上山は写っていない。そうかもしれない。たとえばきょうの標題写真を緑いっぱいの夏の風景に置き換えれば、やっぱり山は見えないだろう。
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新しい道

ガードレールを境にして、右側が野洲川放水路右岸堤防、左の道は川田大橋畔から竹生口交差点へつながる道で、新しく開発された竹ヶ丘住宅地への進入路を兼ねている。道路の左側に見えるのがその住宅地である。この道路が開通するまでは、画面右端遠く(堤防上を歩いている人物より右)に見えるような堤防林がこのあたりまで伸びてきており、手前の方では竹藪とまじりあったりして全く三上山は見えなかった。
3月08日の標題写真は、川田大橋上からの撮影であるが、右岸堤防(写真では左側)に新しい住宅地が見える。川の流路が変わるまではもっと右の方から撮影していたことと、住宅地がなかったこととが相まって、野洲川放水路工事が創った最高の風景だと思っていたが、残念ながらその風景はいまはない。
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稲妻型に

タイミングがずれたことは上の川田大橋で分かった。ずれたものは仕方がない。相手が太陽だからどうしようもない。遅れついでにもう1つ下流の新庄大橋へ行ってみよう。これら2つの橋(川田大橋・新庄大橋)の間は流れの向きが三上山への視線と一致する。流れの真正面に三上山が見える。その一直線を基準として稲妻型に流れてくる。川面そのものは波一つないが、川幅が狭くなって流れが乱れるところだけキラキラが少し見える。
この放水路が完成した時、水は河床一面に広がって流れていたが、いつの間にか流路が定まり、流れのない部分に木が生えだす。10年ほど前、河床に生えていた樹木が伐採されたが、こうして見るとまた木が生えだしている。
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Posted by
八田正文
at
09:26
│Comments(
0
)
遅かった

ご存じ川田大橋からの撮影である。しまったー、遅かったかというのが実感。何が遅かったのか。実は川の面のキラキラがもうちょっと向こうに生じているだろうという計算だった。この場所からの日の出は、1年のうちで一番南による冬至の時期でも画面の左外になる。だから上った太陽は右上への軌道を描きながら三上山の上を通過していく。冬の時期はそれが低い。当然キラキラはずーっと奥の方に見える。それが高くなるにしたがって手前へ移動してくる。立春を過ぎて光が明るくなったことは実感していいたが、もうこんなに高くなっていたのだ。考えてみればもうすぐ春分、当り前のことだった。
あとはつけたしみたいなことだけど、流れの道が変わった。以前はこの上流で、こちらから見てぐっと右へ折れて川を斜めに横切っていた。それが結構絵になっていたが、今はご覧のようにずぼーんとまっすぐ流れてくるだけ。何とも芸がない。同じ場所で回れ右をすると雪の比良山が見える。その手前で川筋が右から左へ移っている。以前はこの流れが、橋の上流で起こっていたわけ。この位置が増水のたびに少しずつ下流へ移っていくものらしい。
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