ケヤキ逝く

竹生交差点から市三宅へ至る野洲川堤防上の道、詳しく言うと旧野洲川北流右岸堤防上道路の話である。最近とみに年月の経過が早くなり、2,3年前だと思っていると4,5年、いやもっと前の話であることが多い。だからうかつに何年前などとはいえないが、まあ数年前ということにしておこう。
これは工事中の竹生口交差点(2013年11月撮影)。バスが止まっているのが旧の交差点。現在は交差点そのものが街灯のポールの右へ移動している。それに伴う大きな変化が堤防上の道。細い田舎道(写真A)だったのが、立派な道(写真B)に生まれ変わったことである。写真Aをトリミングすると、写真A・Bほぼ同じ場所からの撮影であることが分かる。
その堤防上の道路だが、全長900mほど、そのうち竹生交差点側600mほどは写真のような工場が主役。後半の300mほどが標題写真のような竹ヤブである、いや竹ヤブあったというべきだが。以下明日。
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電線が消えた

野洲駅前である。ウイークデーの昼前、人影はほとんどない。長く電線地中化工事をやっていたが、ロータリーと駅前道路の朝鮮人街道交差までの電線がいつのまにかなくなっている。まだ電柱は残っているが、それでも風景はスカッとする。
電線があったころの写真は残っていないかと探してみたが、駅前の写真そのものが少なく、わざわざ電線を入れた写真を撮るはずもなく、結局こんな写真(2016年1月)が残っているだけだった。例の風呂屋が解体されたあと、現在のロータリーが工事のため、臨時のロータリーとしてその跡地が利用されていた名残である。今残っている電柱を無理に入れるとこんな写真になる。電線がいっぱいあったのだが、それははずして撮っている。これを撮っておくべきだった。右の広場に病院を作るというが、こんな狭い場所で、駐車場その他ほんまに成り立つのか。作るならもっと広い場所に作ればいい。それより駅前から唯一の三上山の視角を残したい。
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4度の差

県道2号が日野川を越える、近江八幡市と野洲市との境をなす仁保橋である。その野洲市側(左岸)に信号があって、そこからの道が400mほど堤防上を走る。その道が左へ曲がって広域農道へ下っていくところ。その曲がり角あたりからの撮影である。屋並み小南集落、は画面右端はそののはずれにある国主大明神社の森である。
山は春霞ではっきりしないが、三上山の右、竹藪に隠れているのが妙光寺山、左が田中山、三上山はその間から上半身を見せるという構図である。この構図の典型的なのは、野洲市辻町、新幹線と在来線の間の農地から見たところと類似している。ただ不思議なのは、辻町からだと、三上山から見た方位が大体5度ぐらい、今回、この小南からの方位が9度になっている。見たところほとんど同じ重なりに見えるのに、約4度の差がある。どうにも不思議である。
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アーチ橋もう1本

昨日見てもらった砂原大橋から左岸を400mほど下流に志津大橋がかかっている。この橋も川と斜交しているため、橋の両側でアーチの位置がずれている。この橋のすぐ下流で左から伯母川という妙な名前の川が合流していくる。そのため、さらに下流へ行こうとするとこの川を渡ることになる。
標題写真はその合流点付近から見たところである(ちょっと見にくいが右側河川敷の草が切れているところ)。両者よく似たアーチ橋で、写真ではどちらがどちらなのか訳が分からなくなる。幸いなことに、上流の砂原大橋はアーチから太い鉄棒で引っ張り上げている構造になっていて、その棒がX字型に交差する構造である。こちらの志津大橋は I 字型の鉄骨で組立てられている。もう1枚おまけ。
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アーチ橋

草津川が金勝川と合流して、新草津川となって市街地の南部を横切り矢橋帰帆島の方へ流れ出る。その間新幹線と国道1号に挟まれたエリアの風景である。「追分口」という交差点があって、そこを原点として道路が2本Y軸とX軸をなすように直交する。その2本の道路を基準にして直角三角形の斜辺に当たる方向に新草津川が流れる。そしてその流路が下流側から見て三上山の方向と一致する、そんな関係の場所である。
標題写真はその間に架かる砂原大橋。下流に架かる柳橋(だったと思う)のたもとからの撮影である。砂原大橋は川に対して斜めにかかっているため、両側のアーチが大きくずれている。近寄ってワイドで撮ると大きく歪んで見える。左岸堤防を下るとこんな妙な重なり方も見えてくる。その上、柳橋とも重なってけったいな風景になる。もう1枚、1つ下流の志津大橋からの撮影である。やっぱり柳橋と重なって橋の右半分だけがアーチ橋のような、不思議な風景に見える。
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巨鳥羽ばたく

大津市坂本。南善坊の五大堂の濡れ縁からである。10数年前に設置したパノラマ案内板が傷んできたので改修しようという話があり、改めて撮影しなおす下見に行ってきた。基本的な風景は変わっていなかったが、一部近くの木々が大きくなり展望を妨げているところもあり、こちとらの体力と併せて年月を感じさせるところである。標題写真はそんな中で遊びに撮ってきた1枚。三上山の左上に雪をかぶった雨乞山が見えているのだが、雲に交じって存在感がなくなっている。で、今日はそれは棚上げにして別の話。
対岸の黒い山を見ると三上山を中心として巨大な鳥が羽を広げたように見える。左端のピークが鏡山、右はなだらかに高度を上げる十二坊連山である。きょうはこれを裏から見てみよう。まず、日野町西明寺から。この民家の屋根は何度も見てもらった。いつもは左半分だけを入れていたはず。当り前のことだけれども、前後左右が逆になって、左が十二坊、右が鏡山。その後ろから三上山が顔を出すという構図になっている。三上山の左後ろが比叡山。きょうの標題写真の撮影地が、この山の右山麓・坂本である。
もう1枚。これも日野町だけれども、細かい撮影場所がすぐに思いだせない。基本的な山の構成は同じである。最後に遊びを1枚。森の間に三上山が見え、両端に十二坊と鏡山が見える。三上山だけを撮ったのか、本気で3つの山を入れようとしたのか、いまとなっては何の記憶もない。
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この木の隣に

きのうのボートから道を挟んで反対側(三上山側)である。ご覧のように柿の木が1本生えている。ここへ初めてきたのは、2008年11月だったから、かれこれ10年近く前である。朝霧を追ってここへ迷い込んだ。この朝、といっても霧の日はいつもそうなのかもしれないが、ライトに照らされる霧が濃くなったり薄くなったり。あまり濃くても山は見えないし、適当な濃さのときはまわりの風景が合わないしで、たどり着いたのがここだった。
面白い形の木が生えていた。三脚をセットして、シャッターに手をかけたとき遠くからお寺の鐘が響いてきた。時計を見ると6時ジャストだった記憶がある。標題写真の柿の木の右だったか、左だったか。とにかくこの木のそばに生えていた。それからどれぐらいたったか、次に行ったときには上半分が切られて情けない姿になっていた。そのあと間なしに根もとも切られて姿を消していた。下半分の写真でも残っていないかと探したが、見つからなかった。
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ボート丘に上がる

春の光に引かれて、錦織寺の遠景をと比留田の入り口へ行ってみた。いつもクルマを置く空き地にボートが置いてあるのに気がついた。以前から置いてあったのかどうか、何ともあいまいな記憶しかない。置いてなかったということを証明する写真は難しい。ボートがあるから撮ろうかと思うので、何もない広場を撮るはずがない。
後ろからだと撮りやすいのだが、何ぼなんでも後ろからではね。その上に意味不明の石が置いてあるし。前へ回ってみた。おさまりはいいのだが、道の向こうにまた妙なものが置いてある。ここもアカンなと思っていたところへ女の子が自転車でやってきた。ボート丘に上がる。琵琶湖周辺ならではの風景なのに・・・・。道の向こうの雑物さえなかったら。
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