古武士を偲ぶ・2

何を書いているのかわからなくなってきた。できるだけ早くまとめます。もう少しご辛抱を。いつかも書いたようにフィルム時代の古武士が残っていないか、洗いだしてみた。そのときに思っても見ない写真(標題写真)が出てきた。山麓の集落が北桜。中央の白い鉄塔はいまも北桜・南桜連絡道路の近くに立っている。が、その道路はまだない。手前、ホッケーのスティックを寝かせたように続く森は大山川沿いのもの。
左下の空間はいまのさくら墓園に当たる。すなわち当時の大山川はいまのさくら墓園の外側を大きく迂回していたことになる。その川が直線に切り替わった時に、気がつけばその右岸に姿を現した。おそらくこの写真でいえば、左下の空間の外側に生えていたのだろう。田んぼの畦はくねくねモザイク模様。それはいいとしてこの高所からの写真はどこから撮ったのだろう。それの方が気になってきた。
もう1枚、こんな写真(1978年5月)。こちらは「近江富士百景」に収録して撮影日もはっきりしている。2枚は主峰と左のコブとの関係がよく似ている。名神を越した菩提寺山の中腹の展望岩から撮ったものである。きのうも少し述べたが、そのころのバス道路はいまの野洲慈恵会の角を曲がって名神下のトンネルに向かっていた。そこを抜けると第二びわこ学園の裏へ出る。そこから斜め右へ上りだしてちょっと登ったところに大きな岩の露頭があってそこから北桜の農地を前にした三上山が一望できた。標題写真もどうやらそこから撮ったものらしい。
写真ステージ 「近江富士」
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古武士を偲ぶ

古武士の桜について、私の手元に残っているもっとも古いのがきのうの標題写真である。何度も書くが1991年4月の撮影。忽然と姿を現した。ひょっとしてそれ以前にも目にしていたかもしれない。しかしその記憶はない。私が知っているのはその後半生、いやひょっとしたら老年期だけだったのかもしれない。その数奇な運命は大山川改修工事とともにある。
1枚の写真。「煙霧孤峰」(1978年6月撮影)。写真集『四季近江富士』の表紙に使った。来年が撮影40年に当たる。じつはきょうの標題写真、光線状態がまずくてはっきり見えないが、カーブミラーの右に大きな矢印が見える。このあたりが「煙霧孤峰」の撮影場所なのである。大きな矢印はバス道の方向を示す。左が南桜の集落、右が菩提寺、ハイウエーサイドタウンである。
左手前の角はGoogleMapによると社会福祉法人・野洲慈恵会となっているが、もちろんそのころは何もなかった。というより、大きな矢印より右への道もなかった。道は単なるL字路で、野洲駅からやって来たバスはカメラが立つ道に向かって右折。名神の下をくぐって(トンネルの中から振り返って見た三上山。大きな屋根は野洲慈恵会)サイドタウンへと向かっていた。いまバスはここで曲がらず、250mほど直進して次のトンネルをくぐっている。
こうして書くと、きっちりした記憶があってそれをもとに書いているように見えるかもしれないが、記憶はほとんどない。たとえば上で述べた「煙霧孤峰」、レンズの長さが合わないのである。矢印の横あたりから撮った現在の状況がこれ。全くレンズンの長さが合わない。松の木はどこに生えていたのだろう。以下明日。
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古武士追悼

昨日見てもらった写真と同じ構図である。撮影日も同じ。1991年4月14日。ただし撮影時刻が違う。私は1994年に定年退職した。現域時代、桜の撮影は難しかった。開花期間中におそらく1回しかない日曜日が好天であるという条件が必要になる。この年は開花が遅く、4月14日がその貴重な日だった。
午前中から撮影に出かけ、工事中の大山川沿いの場所にすっくと立つこの木を見つけた。初めて見る桜だった。それまではどうなっていたのか。おそらく周囲を木々に囲まれ、その姿を見ることができなかったのだろう。大山川の改修工事がなかったら、おそらく人目につかず一生を終えたのではなかったか。午前中のそのときは新しい盛土がけばけばしく、シャッターは切ったが満足はできなかった。午後夕日が背後に回るのを待って、改めて撮ったのが昨日の写真である。
今回この文章を書くにあたって、南桜・北桜周辺で撮ったフィルムを全部確かめてみた。この日以前にこの木の姿は記録されていなかった。あとで詳述するが、この桜は大山川の右岸に立っている。だから左岸(対岸)からワイドで撮るか望遠で撮るか、それとも標題写真のように、右岸からワイドで撮るかの三種類しかない。撮影距離が限定される。その中間の距離はあり得ない。ちなみにこれが現在の対岸からの様子である。当然、木はない。画面中央を横切る右下がりの稜線上に切り株が見える。下に見える大きな斑点ではない。右下に見えるコンクリートのでっぱりが、いつもの撮影位置だった。
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古武士逝く

さくら墓園の古武士、と書いて分かってもらえるかどうか。とりあえず現役時代の姿(1991年4月14日撮影)から。20数年前の撮影だが、背筋を伸ばしてすっくと立つ姿に、そのころから古武士の風格があった。『近江富士百景』に収録し、”かつては松の老木を中心とした林になっていたが、大山川改修工事・公園墓地の造成のため伐り払らわれてしまい、この桜の古木だけが残された。古武士を思わす風格のある木である。”と文章を付した。その古武士が伐採された。
標題写真の撮影は今年の4月4日。コブシの撮影に行って、何んとなく大山川沿いの風景が違うぞと、この木がなくなっているのに気がついた。しかしサクラの時期に取り上げるにはしのびず、今までとっておいた次第。
切株の状態からして、切られたのはつい最近だと思われるが、私が記録しているいちばん新しい姿は、昨年春の4月4日のものである。20数年前に比べて木そのものは太くなっていたが、折れた枝が横たわり、形ばかりのロープで括り付けられていた。枝はすたすたに折れ古武士まさに逝かんとすという姿であったが、それでも花はつけていた。以下明日。
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荒れる

日本列島に強風が吹き荒れた。長かった今年の桜も終わる。風景は一気に新緑に。
きょうの写真は開花直後の長雨のときに撮っておいたもの。右からの強風に花を咲かせたばかりの細い枝が、引きちぎれそうになびいていた。今年はもう一度花を散らす強風が吹くだろうととっておいたもの。たまにはこういうズボラが生きる場合もある。
名残の桜を何枚か。まずさくら緑地の定番写真を。道を挟んださくら墓園からの1枚。最後に三上の西林寺から。
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僅かなずれ

御上神社前から北桜へ向かう県道27号が、三上山の麓、近江富士団地の近くで大山川を斜めに渡る。その左側にできる三角形の農地である。上流部から続いてきたさくら緑地の下流部に当たる。木の大きさが上流部よりは小さいが、それでも最近はしっかり目立つようになってきた。
実は、この写真が1981年4月の撮影である。三上山を撮りだして5年ほど経過したころの撮影である。最初のころはうっそうとした樹木に覆われ、到底カメラを向けられるような状態ではなかったが、その後、その森が伐採され、やっと堤防の姿が現れてきたといった時期で、うれしくなって何度か通ったうちの1枚である。山の形はほとんど同じだが、左下に見える畦の位置が、山に対してわずかに食い違っている。両者比較。2枚田んぼの高さの差など瓜二つだが、山に対する畦の位置が微妙に食い違う。注意して見なければわからないぐらいのずれだが。
川の改修と前後して、圃場整備が行われた。それによる移動かとは思うが詳しいことはわからない。
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夕日に映える

爽やかに晴れ上がった春の日の夕方、写っている道は南桜集落から旧甲西町へ向かう県道27号旧道である。御神神社前から旧甲西町へ向かうとき、以前はいったん南桜集落の中へ入り、この道経由で旧甲西町へ向かっていた。その旧道沿いの斜面に植えられた数本の桜が、最近ぐんと成長してきれいな花をつけるようになった。バイパスを通るたびに気になっていたが、旧道へ入る面倒くささが先に立ち、ついつい素通りしてしまうのが常だった。
このときは夕日の美しさに引き寄せられたのだが、現場に立ってみるとワイド(標題写真)と望遠との2種類の絵が可能な場所だった。もちろん両方のアングルを撮ってきたのは言うまでもないが、さて実際に使う段になってどちらをとるか。あれこれ悩んだ末ワイド版を使うこととした次第。
その理由は2つ。
1.望遠版では桜の向こうの住宅が引き寄せられてその明るい壁が目立つこと。
2.同じく望遠版で、花が陰影を失い全体にべたっとダンゴになって見えること。
皆さんはどう考えられるだろうか。両者比較
写真ステージ 「近江富士」
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遠い桜

見慣れたこの風景が新鮮だった。湖南市正福寺、野洲川右岸と十二坊に挟まれた農地。その中を国道1号バイパスが走る。広々とした田んぼの真ん中に最近信号がついた。撮影場所はその信号のすぐ横。大きな建物は右が生田病院、その左、小ぶりな建物が”ケアセンターこうせい”。以前は梨畑だったこの場所、県道27号のバス停も「果樹園前」だった。それに替わってこの建物が建ったときには、余りの変化にこの風景も終わったと思ったものだが、いつの間にかこれがランドマークになってしまった。
いつの間にか現れた大きな雲の影が手前の田んぼに落ち、遠くの桜が浮かび上がった。この桜の散らばりよう。一列に連なる桜並木も悪くはないが、この点在もまたよし。左に大きな菩提寺山、その右裾にちょっと右に傾いた三上山が見えるという構図である。菩提寺山をはずした絵も考えてみたが、今の場合はなぜかこの「遠さ」に意味を感じる。
写真ステージ 「近江富士」
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