水郷巡り

西の湖の西部、いわゆる水郷地帯の水路が入り組んだところで、水郷巡りの船が行き来する。その中で「西の湖園地」と標識のある小さい島が2つ、橋で結ばれた部分がある。付近全体は木が多くて遠望は利かないが、唯一島と島をつなぐ橋の上からだけ三上山が見える。橋の下の水路が遊覧船の航路になっており、舟は必ずそこを通過するという場所である。その橋へ着いたとき、3艘の手漕ぎ舟が帰っていくのが見えた。遅かった。あと10分も早く来ていたら、これらの船が橋の下へ向かってくるのが撮れたのだが。次はいつ来るのかわからない。こないかもしれない。待つしかない。
30分ほども待ったあだろうか。エンジンの音が近づいてきて、機動船がやってきた。手漕ぎに比べると風情に欠ける。いつ来るか分からない手漕ぎを待っていてもと、とりあえず撮っておいたのが標題写真。三上山は対岸の木と木の間から見えるという構図で、撮影位置はこの小さい橋の真ん中付近数mの範囲に限定される。自分は位置を変えられない。近づいてくる船に対して与えられた選択肢はレンズの長さだけという難儀なところである。
写真ステージ 「近江富士」
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種明かし?

きのうの西の湖岸から1Kmたらず市街地の方へ走ると堤防にぶつかる。「蛇砂川」。そうだった、そうだった。めったに来ないところなので忘れていたが、この妙な名前の川。永源寺の近くから流れ出て、近江鉄道八日市線に沿って流れ下ってここへ出てくる。去年、御代参街道を歩いたとき、八日市の少し南でこの川を渡った。さして大きな川ではなかったが、流れが速い川だった。もっとも春先の田植えの時期だったことによるのかもしれないが。集落が堤防の下に見えた。もう1枚。
さて現実に戻って、ここは蛇砂川の下流。標題写真は右岸堤防上から近江八幡市街地を前にして、三上山から鏡山への緩い上り勾配の稜線を見たところである。あわてて撮ったので、城山と鉄塔が妙な重なり方をしていたりするが、それはご容赦いただくとして、それより左の方に稜線が二重に見える部分がある。きのう書いた”消えてしまった十二坊の稜線”ではないか。だとしたら、さっそくここで手品の種明かしということになるのだが。でもアンテナが1本も見えないのがおかしいな。カシミールで調べてみた。十二坊よりもっと奥の金勝山地の一画のようだった。
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風景の手品

東近江市から県道2号を南に向かって走る。早い話が帰り道である。北腰越(観音寺山と安土山の鞍部、県道は峠を越え、JR東海道線はトンネルで抜ける)を経て近江八幡市に入る。以前は安土町だったが、いまは近江八幡市安土町、何とも長い地名になっている。そのあと旧安土町の中心部を越えちょっと進むと「香庄」という交差点に出る。長く”右折禁止”だったが1年ほど前から通行可になった。まっすぐ進むと西の湖にぶつかって左へ折れる。その曲がり角からの撮影である。
広い田んぼを前景として、近江八幡市市街地越しに見たところである。左に城山、右に田中山という構図だが、三上山は若干田中山寄りに見える。そのグループを起点として左へだらだら上りの地形になって左端が鏡山である。きのうの標題写真にも見えているが、近くなった分しっかり見える。湖西の坂本・南善坊あたりから見ると右側に十二坊連山が対象的に見えるのだが、ここから見ると影も形もなくなってしまう。風景の手品を見る思いである。
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農道会談

国道8号五個荘からきぬがさ山トンネルを抜けて琵琶湖岸へ向かう道路。県道2号とクロスして伊庭内湖近くまで進むと左手に安土山の山蔭から三上山が姿を現す。ふと見るとあぜ道でカモが3羽遊んでいる。飛んでくれたら写真になるのだがと位置を見極めた。待っているときは長い、なかなか飛ばない。と、向こうの農道を田植機が帰ってきた。そのときはまだカモはいた。あれ?、あのクルマ、車輪はどうなってるの?。前と後ろで種類が違う。どうでもいいことに気をとられてカモを見たときにはもう姿がなかった。バカもん、飛ぶなら飛ぶと一声かけてから飛べ。
しゃーないな。ワシの負けや。帰ろうとしたところで、田植機の後ろから軽トラが来た。追い抜くのかと思ったが、両方とも止まって会談が始まった(標題写真)。・・・共謀罪が強硬可決されたらしいで、こんなところで話していて怪しまれへんかな、と言うたかどうかは分からない。青空はどこまでも澄んでいた。
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天地爽明

田植えが終わって天地爽明。ちょっとでも高いポジションがほしくて愛知川の堤防へ上がってみた。山の形でいえば左に城山、右に田中山というスタイルで、簡単にいえば三上山から近江八幡に向かう方向の延長線上で、写真を拡大するとはるか遠くにその街並みが見える。愛知川に架かる橋でいえば、JR東海道線を基準にして、すぐ下流が県道2号、そして少し距離があって県道194号・葉枝見橋、ここはその少し下流というところである。県道沿いでは阿弥陀堂町とあるが、写真の左に見えているのは新宮町の集落である。
平地を見下ろす最初の目には水田の明るさが飛びこんでくるが、落ち着いてみると方々に麦畑がある。山の形は変わらないが、見る場所がほんの100mほど違うだけで別の風景に見えてしまう。折しもその麦畑の中、直線状の農道をこちらへ向かって歩いてきた2人の女性、まっすぐ来るのかと思っていたら、くっと右へ(2人の立場から見て)曲がってしまった。
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棚田

百済寺の南西、東近江市上山町から角井峠への登り口に広がる棚田である。棚田というのは難儀なもので、下から見上げると田の面は見にくいし、逆に見下ろした場合は、段差のきつい棚田だと手前は見えてもその下の田んぼが見えるかどうか。いまの場合は結構下まで見えるのだが、これが果たして棚田に見えるかどうか。田んぼだけを撮るのなら、段差がはっきりする角度から撮ればいいのだが、私の場合はカメラの向きまで限定される。ぼやいていても仕方がない。”だから面白い”のだと開き直るしかない。
このあたりの特徴である左に雪野山、右に鏡山が並ぶそのちょうど真ん中に三上山が見える。雲の多い日で、その上空気の透明感が結構強い。結果、黒い山が団子に写る。面の濃淡で山の遠近が表現されるといいのだけど。それでもさすが遠くの山は薄く見える。左の方音羽山から千頭岳に続く府県境の山々である。
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消失点

日野川下流右岸、近江八幡市側である。画面右の方、三上山と重なっている堤防が日野川である。手前の田んぼは田植えも終わって稲が伸びてきているが、隣では水が入りかけているところ。遠くの田んぼではきょうが田植えというところだろうか。
畑の畦もそうだけど、このような田植え直後の田んぼなども、田畑の面に方向性が強くなる。苗の線が完全に三上山に向かう場所を探しているが100%これだというポイントにはいまだに出会っていない。いまの場合だともう少し右へ寄りたいところだが、この”少し”が簡単な話ではない。いまカメラの真正面は三上山の左裾。それを頂上の真下まで移動するとなると、その距離は三上山の半径、約700mということになる。
たとえば今の場合、左から右へ向かって歩いてきたが、1枚前のシャッターはこの写真である。堤防の奥に見える2階建ての大きな家、これが三上山の右に見える。それが標題写真ではうんと左へ寄っている。それぐらい歩いているのだがイネの線はほとんど動いていない。イネの線の消失点に三上山が立つ風景、口で言うほど簡単な話ではない。
写真ステージ 「近江富士」
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落差工

きのうの続き。カーブの外側を進めばその接線方向に三上山が立つ場所があるはず。少し歩くと正面に落差工が現れた。山の中の傾斜地ならいざ知らず、こういう平地にも落差工が必要らしい。そういえば、総合体育館近くの中の池川にも斜面状の落差工がある。野洲川放水路の近江富士大橋下流にもでかいのがある。
現場ではさほど気にならなかったが、対岸の堤防上の道を見ると、カメラの位置とほぼ同じ高さ。こちらの地面は対岸より身長分ぐらい低いことになる。堤防というよりは原っぱの感じで、そこが一面のクローバ畑である。かつて直角に曲がっていた部分と、カーブになっている川との間の土地がかさ上げされたままようだ。いま、そこが一面のクローバ畑。これはこれで見事なものだった。
標題写真の遠くに見えるブルーの横線。橋のようだけど念のためと見に行った。別の農道の橋の架け替え工事だった。風景が変わっていく。
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