新しい風景

広い水田を撮ろうと総合体育館近くの童子川右岸へ。いつもよくいく場所である。ところが奥の田んぼが麦畑。広がりが出てこない。麦畑を通り越せばまた水田に変わるだろうと上流へ向かう。そういえばここまではあまり足が向いていない。北野小学校付近の高圧線鉄塔を無意識に敬遠していたのであろう。
法寺橋というしっかりした橋に出た。新しい橋である。そこから見ると上流部が左へきれいにカーブしていく。初めて見る風景である。しかし、さして遠い場所ではない。今まで来ていないことはないはずだが。キツネにつままれた思いでとにかく撮ってきたのが標題写真。帰ってから、地図で確かめてみた。総合体育館から上流側、童子川が左へ大きくカーブしていくところである。・・・ない。その大きなカーブがないのである。その付近と思しきところで川はくっと直角に曲がっている。?・・・。やっぱりキツネか。
もしやと思って航空写真に切り替えてみた。なるほどそういうことだったのか。直角に曲がっていた細い川が半径数10mのカーブの幅の広い川に付け替えられていたのである。三上山を撮りだして初めてのころ、バイクを使っていた。どんな道でも走れた。このあたりへ来なかったことはないはず。細い直線の川と高圧線鉄塔をみて、ここはダメだと決め込んでいたのであろう。風景は変わり続けている。
写真ステージ 「近江富士」
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ボツにする予定の

計算がくるって写真が足らなくなった。しかたがないボツにする予定の写真を引っ張り出した。実は先日、湖南市・大沙川の取材帰りにちょっと寄ってみた。あわよくば帰りの駄賃に、田植えが終わったばかりの水田の向こうを走る電車をというスケベ根性だった。現場へ着いた途端に警報機が鳴りだした。見れば前方は田んぼじゃない。何じゃこれは・・・・、しかし、せっかく来たのだから。細かい位置の選択もできないままやってきた電車を撮ったのが標題写真。せめて踏切まで走り切っておれば、まだ何とかなったのだが。とはいえ、これで電車はどこへ入れるかな。まあこれもボツやった。不純な発想の写真がうまくいくはずはない。
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林相の変化

先日、古武士(桜の木)のルーツを確かめるのに、昔のフィルムを引っ張り出して見直していたときに、撮っていないと思い込んでいた写真が出てきた。写真集『四季近江富士』で、倒立版を使って以来そればかりが前へ出て正立版は撮っていないと思い込んでいたものである。考えてみればおかしな話で、倒立版だけを撮って、正立像を撮らないということはあり得ない。出て来て何の不思議もない写真だった。
で、現在の状況と比較してみようと出かけてみた。田植えのあとを想像して出かけていったが、肝心のところは水は入っていはいるが田植えはまだという、中途半端な状況だった。右側に農道が1本できたこと。左側の民家に外塀ができてたことと、左端の例の大きな倉庫など、数え上げれば変化は大きいが、最大の変化は三上山の林相の変化だらう。30数年前、この山の斜面は人間の手できっちり管理されていたとこが見える。そのころ、絶対ありえない夢として、この山が全山紅葉したら・・・などと考えたこともあったが、今その兆候が始まりかけている。
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難しかった

日が長くなった。夕方5時ごろの撮影だったかと、プロパティを調べてみると17時56分とある。何と、そんな時間だったのか。そういえばデーゲームの野球放送が終わってから出かけたのだから理屈は合う。きれいな青空に月が浮かんでいた。
三上山を撮りだしたころ、大きな月を撮りたいと思った。天体と地上の風物との扱いが理解できていなかった。地上の対象物は近づけば大きく写る。月や太陽はいくら近づいても逃げていく。月や太陽のフィルム上の大きさはレンズの焦点距離に比例する。理屈は分かっていた。しかし実際に山と組み合わせて月を大きく写すにはどうすればいいのか。それが分かっていなかった。望遠レンズを持って本気で山に近づいた。写ったのは頂上の一角だけだった。当たり前の話である。
大きな月は山から遠ざかる。それも10mゃ20mではない、1Km,いや10Km,20Km。バックすればするほど大きな月が写る。それが分かったのに1年ぐらいかかっただろうか。理屈はわかったが、今度は月の出る位置が分からなかった。月が三上山の近くから昇ってくれなければ望遠レンズは使えない。理科年表を調べても月の出の方向のデータはなかった。手も足も出なかった。本気で挑戦できるようになったのは、カシミール3Dが使えるようになってからだった。湖西・雄琴からの夜明けの月。距離13.8Km。2008年11月撮影。
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電柱が消えた

野洲駅前のロータリーから電柱が消えた。前回、電線が消えたのをレポートしたのが3月22にだった。残った電柱が撤去されたのが4月になってすぐだったような記憶がある。これは一応撮っておかなければと思いつつひと月がたってしまった。何回か書いたが、なくなったものを撮るのは難しい。いや単に”なくなったもの”ではない。なくなったもののうちの嫌われ者だ。嫌われものは無意識に外して撮るから写真には残らない。ここのところが難しい。嫌われ者を残す。これが本当の記録なのかもしれない。
幸い今回は3月の写真が撮っていた。やっぱりあるよりはないほうがスカッとする。両者比較をもう1セット。撮った場所がちょっと違う。前回のほうは残っている電柱につられてバックしたらしい。記録としてはともかく、写真としては前回のほうがよさそう。また何かのときにしゃきっとしたのを撮っときます。
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琵琶湖測定施設

空も湖面もにび色一色。こんな日にスキ好んで出かけてきたわけではない。シャチョウのお伴の空き時間である。何かネタはないかと考えて、以前、京都新聞に載っていた「琵琶湖測定施設」のことを思いだした。滋賀県が水質を監視するために湖上に設置している自動測定施設で、老朽化により近々撤去することになったという。新聞には唐崎沖1.5Kmとあるが、たしか雄琴川河口の南の岬からも見えたはず。
行ってみて驚いた。そこにあったのは似てもにつかぬアメンボ―のような・・・。灯台が何かだったらしい。探してみると例の施設はもっと左に見える。おかしいな、唐崎ならもっと南(右)のはずだが。実はこんなことはしょっちゅう起こる。湖岸線が屈曲していため沖に見えるものが右に行ったり左に行ったりする。
結局このとき探し出したのが、数100mほど北へ行ったマリーナ雄琴の近くだった。お互いが離れた妙な構図だが、これ以外にポイントは見つからなかった。と、カメラを構えていたら、鳥が一羽入ってきた。カラスではないし、トンビかなと思っていたが、帰ってよく見たらアオサギのようだった。ヤツが湖上をこんなに高く飛ぶのを見たのは初めてだった。
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道路予定地

湖南市吉永の大沙川(おおすながわ)下流を歩いた。旧東海道がトンネルでくぐる。その少し上流の部分で大きな工事が行われていた。道路を造るとかで大げさに言えばいったん天井川の部分を取り除いて、半円形の枠をはめ込んで…といったところだろうか。こうして見ると、上が道路で下が川に見えるが、そうではなく逆である。ここまでやるなら天井川の部分を取り除いて、新しい川を造ったほうが早いように思うのだが、そうはいかんのかなー。
と、反対側を振り返ったら、道路予定地の先に三上山が見えた。数年前、三雲城址を探してクルマで二三度通り過ぎた場所だが、そのときはただ通り過ぎただけだった。歩いてみて初めて見えた三上山。しかし屋根の上に覗く姿で、全体の姿が見えるわけではない。いわば記録だけのものだが、とりあえず撮っておこう。
撮って帰って、さてどれを使うか。たとえばこれ、三上山そのものは一番しっかりしているが、それだけで周囲が見えない。こういうのはあとで困る。もう1枚。二三日前にも、ちょっと書いたが、城山が右(右から2本目の電柱の右下)に見える。しかしこれは無理だろう。ということで結局、菩提寺山とのコンビのありきたりの写真でけりとした。
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胡宮神社から

胡宮神社からもう1枚。神社そのものが高台にあるのだが、本殿が建つエリアはさらにもう1段高くなっている。そこからの1枚。道を挟んだ建物(地図には胡宮福祉会館とある)の屋根越しに見た三上山である。左の杉の木が高い。画面そのものは広いのだが、山が見える範囲は狭い。手前の屋根も特に特徴があるわけではない。いまは撮ったばかりで記憶が新しいが、古くなると撮影場所が分からなくなる部類にはいる。左右の山をもう少し見せたかったのだが。まあしかし、本殿の高台からも見えるという記録の意味で取り上げた次第。
◆どうです? 当たりましたやろ。新聞休刊日の前日の阪神。昨日はともかくとして、いままでも”昨夜はエエ試合やったな”と思って新聞をとりに行くと、休刊日やったことがけっこうかあった。どうです、こまかいデータでっしゃろ。わざわざ新聞を見なくてもPCで見ればいいというヤカラもいるけれど、我々年寄りはやっぱり新聞や。しかしこうなれば背に腹は代えられん。新聞休刊日を増やす運動を始めるぞ。
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