もう無理だ

明富中学のメタセコイヤである。これも”あっ、いいな”と思って何日か経っていた。もともと苦しいところだったが、行ってみればこれは無理といわざるを得ない状況だった。たとえばこれが一昨年の状況(2016年4月19日撮影)。今回、偶然だけど撮影日(2018年4月20日撮影)は1日違いだった。だけど見え方は大違い、ぐっと見えにくくなっている。両者比較。
ロープを見れば分かるが、撮影位置が一昨年の方が遠い。今年ももっとバックしたかったが、どうにもならない状況になっていた。前回の撮影位置だと思われるところがヨシ原になっていて、立ち入れない状況。前回は右の木の前へ出て撮ったのではないかと思うが、今回はどうにもならなかった。
それともう一つ考えられるのは、2年間での植物の成長。たとえば一昨年の写真で、左から3本目の木に重なって日の丸が見える。それが今年の場合はこんな状態。カメラの位置にもよるのだが、ほんの少し木が大きくなっているようである。それ以外に手前の桜の木。これの成長も大きい。最終的にヨシ原がどうなるかが一番影響が大きいが、おそらく小さくなることはなかろうから、来年はもう無理だろう。
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初夏

守山市立田町のラウンドアバウト(環状)交差点の近くである。見えている道路が旧野洲川南流堤防跡。(いまとなってはクルマが走っていたらよかったと思うが、そのときは全く意識になかった)。一週間ほど前、実に爽やかな早春のイメージで、”あっ、いいな”と思ったのだが、そのまま通り過ごしてしまった。思いついて、きのう(4月20日)にいったときにはもうもこもこと葉が増え、早春というよりは初夏のイメージになっていた。
現場は今年の1月にいった場所。道路に打ってあった鋲にけつまずいてコケたところ。今回は葉が増えて冬の構図では無理だった。田んぼの畦道をあっちへ行ったりこっちへ行ったり、撮影場所を探して300mほど歩いた。撮り終わって気がついたら、浜街道から里道を50mほどのところだった。どうも相性がよくないところだ。
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レンゲ畑

レンゲ畑が面として広がってきた。きのうの写真と比較する、きのうの方が山に近いように感じられるが、これはレンズを少し長くしたことによるもので、実際にはきょうの場所の方が近く、いまは昨日見えていた高圧電線を背にして立っている。高圧線はそれで解決するが、今度は普通の電線が邪魔をする。
レンゲの安定した色を出そうと、順光の時間帯を選ぶと、このように電柱がきっちり目立ってくる。それを避けようとすると、逆光時で目立ちにくい時間帯を選ぶか、それも避けたければ、電柱より内側へ入り込む以外に手はなくなる。4月13日のレンゲ畑などはその例である。
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電線に悩む

野洲市三上の麦畑。上空を電線が走る。昨日の写真にも電線が見えたが、同じともいえるし、違うともいえる。いままでこの三上の農地で写真を撮ってきたけれど、電線がこのように入っているのはそう多くはない。ここの場所での撮影を避けてきたからである。しかし今、カメラの後ろはバイパス工事中、それを避けるとどうしてもこのアングルになってしまう。
昨日の写真では電線が入っていることに気づかずに撮ってしまったのだが、きょうの写真ではそれが分かりつつやむを得ず入れたものである。結果がどう違うのかといわれても、返事のしようがないのだが。
◆4月4日の番外編で、倒れたサクラが花を咲かせている様子を見てもらった。珍しいものを見たつもりでいたのだが、先日(4月12日)、同じ状況の桜を見た。場所は東近江市の国道307号「御園」交差点の近く。こちらの方が幹は太いようである。クルマの中からの撮影で、これ以上詳しくは撮れなかったが、同じ状況であることは確かだと思う。桜の木にはこのようなことが起こりやすいのだろうか。
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情けない今

東近江市平林町、大まかに言うと石搭寺近く。山のふもとにある農業用水池から、十二坊と鏡山を結ぶ稜線の向こうに三上山が見えるという構図である。随分足が遠のいた。先日ふと思いついていってみた。周りは何も変わっていなかった。これは1995年10月の撮影。フィルム時代、まだPCは使っておらず日没の方位も地図に線を引いて予測していた。池を背にして撮影した記憶がある。そのあとデジタルになってからも何回か足は運んでいるが昔と同じポジションで撮っていた。
今回久しぶりに行ってみて、池の反対側に回れば、池を前にして撮れることに気がついた。何や、こちらから撮ればもっと面白い絵になるじゃないか。いままでなんで気がつかなかったのか。新しいポジションを見つけたことで意気揚々と引き上げてきた。
帰ってPCで拡大して驚いた。空の部分に高圧線が何本も。現場では山と水面ばかりを気にしていて、空のことなど何も気にしなかった。うかつだった。若いときはとにかく電線が気になった。これに気がつかないはずがない。池のこの場所から撮ればいい絵になることはわかっていながら電線があるがために涙を呑んでいたのだ。何とまあ、今の情けないこと。
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初夏へ

南桜の農地に水が張られていた。そして、濃い緑の山肌に混ざる新緑、すっかり初夏の装いである。今年は季節の推移が早いといわれる。しかしこの風景は、季節の推移とは別の話。全山常緑樹の山肌に落葉樹が混ざり始めて何年になるのだろうか。少なくとも40年前にはなかった風景である。このまま進めば全山黄葉の山に変わることもないとは言い切れない状況である。
そして、そこに遅咲きの桜が混じる。天国もかくあろうと思われる風景だった。
◆忘れていた話 昨日(4月16日)、クルマの中で聴いていた”クラシックカフェ”が終わって、そのあと4時までの間、”名曲スケッチ”だったか、短い5分ものの曲が2本流れる。そこで思わぬ名前に出会った。「巖本真理さんのバイオリンでシューベルトのピアノ五重奏曲”ます”」。ピアノ五重奏曲ならピアニストの名前が出てきそうなものだが、そのときのアナウンスは確かに巖本真理といった。しかしいまはそんな話ではない。
巖本真理のバイオリン。これが私が生まれて初めて”観た”音楽だった。昭和29(1954)年秋、理科助手として勤めていた大谷高校の創立80周年記念行事の一つとして彼女の演奏会が開かれた。いまと違ってラジオだけの社会である。日常生活で音楽に接するのは、学校の音楽の時間に担当の先生が弾くピアノが精一杯。そんな環境の中での一流バイオリニストの”演奏”、それを”観た”のである。私の生涯の大事件だったといっていい。これを『昔語り音楽夜話』に入れることも忘れていた。間抜けた話である。
曲目は何も覚えていないが、バッハのシャコンヌ。バッハの名は知っていたが、シャコンヌて?と思ったことが記憶の彼方にある。しかしそんなことはどうでもよい。曲と曲の間のチューニング。神業を見る思いだった。バイオリンを肩と顎に挟んで、左手で弦を締めなおして、2本の弦を同時に小さく鳴らす。それを息をひそめて観ていた記憶がある。彼女は1926年生まれという。演奏会のころは28歳前後だったはず。若さできらきらしていたはずだが、その記憶もない。ただただ神業を”観る”だけで精一杯だったのだろう。
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カラ歩き

昨日と同じ家棟川堤防。実はこの日、ナノハナと川面の組み合わせをイメージして出かけたのだが、思ったほどには咲いていいなかった。ずーっと上流の方で咲いているのが見える。とにかくそこまで歩いてみた。ところが当たり前のことだけど、このあたりでは川の表情は場所によって変わる。ナノハナの多いところでは水面は見えず、それが見えるところは、橋とそれに続く道路のガードレールが邪魔をする。
結局、このときは往復2Kmのカラ歩きに終わった。標題写真はクルマを降りたすぐ近くで撮ったもの。泳いでいる3羽は、最近、琵琶湖でとみに増えたというオオバン。先ほど足音に驚いて枯れアシの中から逃げ出したヤツである。その前にエンジンの音もしたはずだし、ドアーの開け閉めも聞こえたはず。それには知らん顔で、足音にだけ反応する鳥の独特の感覚が不思議である。
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新緑

サクラが散って、はや山笑う季節である。家棟川の古いヤナギの木。確かめたわけではないが、冬の間はすべての葉を落としつくした裸だったはず。それがもう若葉がもこもこ。それに対して対岸の竹は黄色を越えて褐色といえばいいのか。そして枯れたヨシ。これは最後まで残る。新しい芽が出てから消えていく。
見えている山は手前に横たわる妙光寺山の向こうから、三上山が上半身だけを見せているのだが、その右に携帯電話のアンテナが見える。この種のアンテナはいつの間にか珍しいものではなくなったが、これはずいぶん早くに建った。そのときにはえらいものが建ったと気になって仕方がなかったものだが、今はもう当たり前になってしまった。「当り前」のこわさ。
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