番外編:紅葉紀行2014・6

御嶽である。きのうの槍穂高(北西)から左へ90度ほど、初冬の夕日とほぼ同方向に、前山の稜線が重なる上にぼこんと大きく見える。両者の間、ほぼ真西の方向に乗鞍岳が見える。いずれも3000m級、高さはほとんど変わらず、距離にすると乗鞍のほうが近いはずなのに、御嶽のほうが大きく目立つ。
最初見た時、噴煙が大きく左へ流れているのかと驚いたが、よく見るとそうではなく同じ方向に横たわる雲があり、噴煙はそれより上へ出て左へ流れて、徐々に消えていく。もう1枚。
駐車場(といっても普通の学校のグラウンドより広い原っぱだけど)へ帰った時には夕日が西へ傾き、御嶽も乗鞍もセピア色の懐かしい風景の中に溶け込んでいた。
写真ステージ 「近江富士」
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番外編:紅葉紀行2014・5

富士山を見て後ろを向いたら一面ススキの向こうに槍・穂高である、なんとまあ贅沢な。向こうの山とこちらの山との間がもやでかすむ。これが明日の朝、有名な松本平・安曇野の雲海になるのだろう。
山が何層かに重なっているが、いちばん奥、左の高い山が奥穂高。その右、ちょっと低い涸沢岳。そして北穂高。そこから大キレットの切れ込みが売りなのだが、惜しいかな手前の稜線がそれをふさいでいる。槍穂高をアップすると、右の鉄塔の上がそれにあたる。ふさいでいるのが大滝・蝶・常念の稜線。当然その稜線に立てば・・・、見えるはずなんだが、今度は雲が邪魔をする。くやしいからもう1枚。これが50年前の大キレット。
イヤイヤごめんなさい、ついついおじいの昔話になりました。よかったですよ、今の風景も。かすみの上を夕方の光線が横に走ってね。そうそう常念の右のちょっと高い山が燕岳(つばくろ岳)かな。よくわからんけど。
写真ステージ 「近江富士」
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番外編:紅葉紀行2014・4

高ボッチの山頂(1665m)である。場所は諏訪湖の北東ということになろうか。初めて行ったときはびっくりした。こんなに眺望がきく山があったのかと。
駐車場から200mほどのなだらかな遊歩道を登ると、真正面にボーンと富士山が見える。それは以前から知っていたが、今日の富士山は一際高く見える。山頂付近に新雪が見えることによるのかもしれない。夕暮れ近く、誰も人はおらんだろうと高をくくっていったのだが、もう何人かの人が三脚を広げていた。少し離れたところで、どこかのテレビ局が撮影の真っ最中。あまり遅くなるのもと帰る途中、別のポイントではカメラを2台セットして、霜よけのカバーをして車の中で休んでいる人がいた。日が暮れたら星の写真でも撮るのだろ。三脚を立てるすぐ近くまでクルマを持っていけるのだから幸せなことだ。左の裾を引く山が八ヶ岳連峰。まさに至福の時。
帰途、落葉松の林道で先を歩く人がいる。ライトをハイにして確認したら、でかい鹿が2頭、逃げるでもなくこちらを見ているところだった。
★ちょっとした話。写真教室で守山のTさんが、地球の森で咲いていたと、四季桜の写真を持ってきた。いま咲いているのだという。訊けば、その近くのヨシモト段ボールという会社の社長だか会長だかが植えて育てているのだという。
そんな桜ならと、教室終了後でかけていくことに・・・。みんなでがやがややっていたら、一人の男性がやってきて、「皆さん見に来ていただいて、ありがとうございます」。聞けば当のヨシモト氏だという。話が盛り上がったことは言うまでもない。人間長いことやっているといろんなことがありますな。もう1枚サクラをどうぞ。
写真ステージ 「近江富士」
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番外編:紅葉紀行2014・3

同じく水槽広場から穂高に向いて左を見たところ。見えているのは焼岳の頂上部である。峠へ登って来る途中でもよく似た見え方をしたが、カメラの標高が上がった分、標題写真のほうが多少見やすくなっている。それでも至近距離から見上げる形には変わりない。左のピークと中央のコブとの間に噴気孔があるらしく、時々白い噴煙を出している。
焼岳は私の最初の山だった。山の入門コースとして、1955(昭和30)年夏、今振り返るとよくあんな無茶なことをやったな思う。1915(大正4)年の大噴火で大正池が作られたことは知識として知ってはいた。池に立つ枯れ木も今では想像できないぐらい多かったし、山頂付近にも枯死した樹木がたくさん残っていた。しかしそれはその時点で40年も昔のことであり、まさかその山が7年後(1967年)現実に噴火するとは思ってもみないことだった。
火口壁を越えて、旧(休)火口原へ下りて、火口湖(池)の岸を歩いたりした。有毒ガスの噴出があれば、それだけで命にかかわることだったし、ましてや噴火そのものが起これば死は間違いないことだった。登山規制はなかったとはいえ、大きく言えば前回の噴火と、前々回の噴火との間の登山ということになる。今回(9月27日)の御嶽山噴火で多くの方がなくなったが、私の場合、今こうして生きているのは、こと焼岳に関してはただ単にマンがよかったというだけだったといえる。
写真ステージ 「近江富士」
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番外編:紅葉紀行2014・2

安房峠、昔は村と村の境だったが、いまは岐阜県高山市と長野県松本市の市境である。クルマが数台止められる広場があって、わーととやってきて5分か10分でわーと去っていく。標題写真はわーとやってきた状態、このときだけにぎやかになる。
穂高に見飽きてふと後ろを振り向くと、10mほどの丘の上に高圧線鉄塔が建っている。それを目指して道幅1人の、保安用道路が熊笹を分けて登っていく。いくら急いで登っても、息が切れる前に上りつく。その横に水槽があって、周囲が広場になっている。そこまで登ると槍が見える。水槽の広場まで登った人だけが槍が見えるという至福の時間が味わえる。神さんも味なことをやる。わーと来てわーと帰る連中には槍は見せない。
別冊:わーと来てわーと帰った人のための槍ヶ岳講座。
標題写真の左半分ぐらいを撮った写真。この写真で見つけた人は「槍の達人」。槍が見えるとわかっている人だけにしか見えないはず。
さらに半分ぐらいの範囲を撮った写真。その気になって探せば必ず見える。
さらにもう半分ぐらいを拡大すると、「大槍」は見えて当たり前、その左下に「小槍」が見えてくる。例の、・・・・アルプス一万尺、小槍の上で、アルペン踊りをさあ踊りましょ・・・・という歌に出てくる小槍である。
反対側、燕岳付近から見た大槍・小槍(赤外線写真)。近くから見ら大槍・小槍。以上2枚は50年ほど前。
撮影を終えて高圧線鉄塔から下る私。(シャチョウ撮影)。これは現在。
写真ステージ 「近江富士」
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番外編:紅葉紀行2014・1

今年の紅葉は早いという。それにひきかえ例年10月20日前後が恒例になっていた紅葉紀行、今年は10月末になってしまった。多分上の方はダメだろうな。しかし年に1回はあの穂高が見たい。ということでいざ安房峠へ。
中の湯側も平湯側も低いところではかろうじて残っていたが、(もう1枚おまけ)、半分から上では標題写真のように、ほとんど葉を落としてしまっていた。中ノ湯からのカーブの最後あたり。安房峠へ向かって、いったん姿を隠す直前の場所である。(左のピークが奥穂高。釣り尾根を挟んで右いちばん奥のピークが前穂高。その右が明神岳。正面を真っすぐ下るのが岳沢の上部。この下が上高地河童橋。)
このあと道は、焼岳の山頂部を仰ぎ見ながら山の北側斜面を進むが、山からしみだした水が路面に流れ出てカンカンに凍っていた。幸い道路が水平な直線部で事なきを得たが。
写真ステージ 「近江富士」
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