晩秋・2

きのうの標題写真、水路沿いの道がなだらかに左へカーブしていく。その途中に可愛いいポールが1本立っているのが見える。今日の写真はそのポールに近づいたところから。昨日の場所から200mほど移動したことになる。何も変わってへんやんか、とおっしゃる方もおられるはず。しかしよーく見ていただくと随分変わっている。きのう三上山に対して斜めに走っていた承水路が三上山の方を向くことになり、中ほどに橋も見える。言い訳がましくていやだけど、橋脚の手前に鵜(オオバンかもしれない)が一羽ハネを広げて威嚇している(実際にに威嚇しているのかどうかはわからないが)のも見える。
実はこのコース、2,3日前に下見のつもりで車で走っていた。この橋の近くでクルマを止めバタンとドアを閉め、とととっと橋の上へ出た。よほど怪しい男に見えたのだろうか。遊んでいたカモが一斉に飛び上がった。どこかへ逃げるのかと思っていたら、こともあろうにこちらへ向かってくる。おいおい、本気かとカメラを構えるとひょいと方向転換。完全になめられた。
今日は天気もいいしもっとおるはず。レンズを伸ばして足音しめやかに。橋の上へ出ると・・・・またなめられた。気が抜けたような奴が1、2羽浮いているだけ。やけくその1枚。そうか、お前やな。と先ほどの鵜に八つ当たりをしてやろうと探したが、敵もさる者、とっくにいなくなっていた。
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晩秋

通常号に戻る。
湖岸道路を守山・野洲方面から近江八幡に向かって走るとき、岡山城址を越える手前でぐっと大きく右に曲がる。そのカーブの入り口で川をまたぐ。京都新聞社発行の「琵琶湖の釣り」という本で、「XX承水路」という名前を見た記憶があるが、そのXXが思い出せない。本を探したが見つからない。標題写真は湖岸道路から川沿いに100mほど入った農道のT字路あたりからである。
紅葉紀行を書いている間に季節が進んだ。この写真、撮影は10月下旬。いまごろは畑の大豆も多分刈り取られているだろう。
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番外編:紅葉紀行2014・12

きのうと同じ駐車場内にあった記念碑である。せせらぎ街道全線改良記念(平成9年11月)とある。「分水嶺の峠・・・」までは読めるけれど、後の”かな”が読めない。これぐらいは読めるようにしておかなければならないのだろうけれど、情けないことである。
西ウレ峠の近くである。路側にコーンが並んでいる。空き地へ車を置いて下りてみるとご覧の通り。おっとっとこれはこれは。もうちょっとで大事に至るところだった。その近くの状況をもう1枚。ひどい状況である。しかしよく見るとおやっと思うこともある。これなどはほとんど同じ場所の写真だけど、流れ来たであろうと推測される丸太の様子がおかしいのである。両端はきれいに切断されているし、木の皮もきのうやきょうめくれたものでないことは確かである。大きな傷もついていない。水害で倒れた木ならベキッとべきっと折れてしてしかるべきだし、表皮もついたままのはずだ。素人が憶測でものは言えないが、単なる水害だけの被害とは言い切れないものもあるのではないか、そんな気もしていくるのである。もう1枚。
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番外編:紅葉紀行2014・11

せせらぎ街道。高山市と郡上八幡を結ぶ道路で、途中の西ウレ峠は日本列島を日本海側と太平洋側に分ける大分水嶺が通っているのだという。新緑と紅葉の時期には多少遠回りをしても片道はここを通ることにしている、のだが今回は若干様子が違っていた。工事による片側規制が多いのである。
最初のうちは意味が分からず、なんやまたかと思っていたが、峠に近づくにしたがって、ただならぬ気配を感じるようになった。走っている道路そのものはほとんど問題はないのだが、枝分かれする細い道は大荒れしているのである。たとえば標題写真は西ウレ峠の少し手前にある駐車場から本線を見たところで、何の異常もない。しかし道路と反対側を見るとこんな状況である。もう1枚。壊滅的な状況といっていい。
帰ってからインターネット「せせらぎ街道」で検索してみた。紅葉関係の記事が載っているだけで何事もなかった様子。「西ウレ峠 災害」なら何か出るかと思ったが、これもほとんどなし。マイナスの要素を出すと客足に影響するということだろうか。
本線から見た支線の状況。西ウレ峠付近の落葉松。
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番外編:紅葉紀行2014・10

ある程度予測はしていたが、開田高原は噴火口の反対側に当たっていた。人間というものは業が深いもので、見えないとなると見たくなる。といっても御嶽山の周囲を熟知してるわけではない。多少時間があったので「三岳王滝村」とある標識に沿って走ることにした。三岳まで走ってみたが、多少山の形は変わったかなという程度。山はそんなちっぽけなものではなかった。
T字路に出くわした。さて、右か左か。行き先が決まっているわけではない。山を見るなら遠ざかって望遠でというのが鉄則だが・・・・と思いつつ山に向かって走っていた。紅葉の前山が高い。それを抜けると山が大きくなるように思えるのである。結局それを抜ける手前で道路は通行止めになっていた。といっても小さな立て看板があるだけで、道路が閉鎖されているわけはない。後ろから来た車が知らん顔をして通過していった。
標題写真はそこから見上げた御嶽山である。飛行機が2機、彗星のように西に向かっていた。山を大きくと考えている間に右の1機が木の陰に隠れてしまった。
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番外編:紅葉紀行2014・9

地蔵峠展望台から見た御嶽である。山頂部の左端、稜線の向こう側から盛んに白煙を吹きあげている。(昨日の標題写真も同展望台から)。
木曽谷を走る国道19号から分かれた国道361号が、新地蔵トンネルを抜けて開田高原へ入る。それとは別に、入り口手前から分かれた旧道が地蔵峠を越えて開田高原へ向かう。ちょうど安房トンネルと安房峠の関係に似ている。私はほとんどトンネルは使わずに峠を越えることにしている。展望風景とは別に峠越えウォーキングのための「旧飛騨街道」の大きな標識が所々に立っていて、林の中を行くグループを見ることもある。
地蔵峠から開田高原側へ下り、集落を前にして見た御嶽も秀逸である。方向としては高ボッチの山頂から見たのとほぼ同じ方位に当たる。山の見え方もほぼ同じだといえる。
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番外編:紅葉紀行2014・8

さて御嶽山である。我が家を基準にすれば、安房峠や高ボッチに比べると御嶽山は一番近い。実は今回も最初に訪れていた。しかし50名以上の方がなくなった山である。物見遊山の取り上げ方でいいのかとの思いがあった。決断がつかないまま、安房峠から始めることにした。結果はご覧のとおり、時期が遅かったこともあり、「紅葉紀行」にはならなかった。その点御嶽山は南に位置するのと、いつも訪ねる開田高原あたりの標高が安房峠あたりに比べて低いことによるのだろう。紅葉はかろうじて残っていた。亡くなった方には申し訳ないが、これを加えなければ「紅葉紀行」にはならないと決断した。正直いって勝手な決断である。
御嶽山は怖い。今でも本当にそう思っている。これは今から40年前、1974年秋の御嶽山である。槍や穂高と違って山が広い。いってみればどこでも歩ける。知らぬ間にどこを歩いているのかわからなくなるのである。実はこの後、寒冷前線の直撃を食らった。打ちつけるアラレで顔を上げられずメンバーの確認すらできなかった。御嶽山は怖い。広い山は怖い、と今でも思っている。その種類の怖さは感じたが、自分が歩いているこの山が噴火するとは思ってはいなかった。焼岳のところでも書いたが、私が今生きているのは、マンがよかっただけである。紅葉をもう1枚。
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番外編:紅葉紀行2014・7

南アルプス。諏訪湖の向こう、富士山の右に見える。方位でいえば南南東になるのか。諏訪湖が眼下に見え、それをベースに見るためか一際高く見える。名だたる高峰が並んでいるのだが、残念ながら一度も歩いていないため、山がわからない。パノラマ案内板には甲斐駒岳、北岳、間ノ岳の名が並ぶのだが。それと忘れてはならないのが杖突峠、諏訪湖の奥、一番手前の峠のどれかだが、残念ながら判然としない。
もう1枚、富士山の左に見える霧ヶ峰方面。方位でいえば東北東というところ。ちょうど初冬の夕日を真正面から受ける形になる。いわゆるビーナスラインで包括される地域で、有料の時代も、無料になってからも何度も走っているが、一向に身につかない。蓼科山と車山の区別がつかないのである。結局ここもパノラマ案内板のお世話になる以外手はない。一番左の高い山が蓼科山。車山は赤白鉄塔の右上、茶色の山らしい。
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