残った桜

例の祠が撤去され、後に残った桜である。4月11日に桜が咲いたところを一応は紹介しておいたが、昔日の力はなかった。その後、葉はつけてはいるがまだまだというところ。回復には年単位の日にちを要するだろう。麦秋のこの時期、畑は目立つけれども、山をバックの構図では、木は浮き立たず何ともつらい。秋の紅葉を待つしかない。
風景としては祠の再建がベストだが、もしできないならば、祠があった場所(木の左)に、(木とのバランスを考え)ちょっと大きめの石仏を並べることか。(場所は全く違うがこんなイメージである)。石仏も不可能だとすれば、この構図はあきらめ別の絵を探すことになろう。田んぼや畑の中を自由に動けないのがつらい。
写真ステージ 「近江富士」
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天地快明

守山市水保町、明富中学校前の道路。校門を後ろにカメラを構えていると部活帰りの生徒が「エエの、撮れましたか」と声をかけていく。ここ3点ほど同じ題名で5月の快晴の日を見てもらっているが、場所がわずかずつ変わっている。過去2点は神社の森と組合したため、三上山の左右が狭い。きょうの標題写真にも森は見えるが山のほうが大きいため、視界は広い。特に右、雌山に重なって菩提寺山が見える。その結果、右のコブが1つ多いように見える。今見えている右端の2つのコブは、5月22日に見てもらった写真の、右端に薄く小さく見えている菩提寺山である。左、もっこりとした台形状の山が妙光寺山である。
風にそよぐ水田が美しい。畦道に男性が一人、肥料をまいているのだろうか。ミレーの「種まく人」を思わせた。
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天地快明

一面の麦畑である。2,3日前の撮影だが、早めに使っておかないと賞味期限切れになる。刈入れが始まるとガラッと風景が変わってしまう。麦そのものが刈り取られてしまうことによる変化も大きいが、それと同時に刈り跡に火がつけられ、空気の透明度が落ちてしまう。この雲一つない青空も期間限定である。
前方に見えている集落が守山市幸津川町の街並み。昨日の標題写真の撮影場所がこの集落の向こう側ということになる。三上山の左、集落の手前に見える森が大水口神社。同じく右に見える集落の中の森がすし切祭りで有名な下新川神社。集落の手前(琵琶湖側)の道路が477号のバイパスとして拡張工事が一部完成、走りやすくなっている。
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天地快明

田植えが終わると天地が急に明るくなる。浜街道、立田町と幸津川町のちょうど境。浜街道はこのあたりでは国道477号ということになっているが、幸津川町の街並みを抜けてきたところで風景が急展開する。植えられたばかりのイネと刈り取りが近い麦。ところどころに森が見えるが風景は広い。写真では分からないが、地図に線を引いてみると、視界の先は、新野洲川放水路と旧南流との分岐点に重なる。広い風景の原点はこれである。大きな川は広い風景を生む。
以前、青春切符で富士山を見に行ったことがある。さて具体的にどこへ行けばいいか。地図を見て富士川の堤防に決めた。正解だった。夾雑物もなく大きな風景が広がっていた。近くの店からシャチョウが魚を買ってきた。富士山を見上げながらビールを飲んだ。途中の電車、2両だったか3両だったか、これが東海道線かとあきれるようなロングシートには辟易したが。
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麦秋

県道2号、野洲市北あたり。麦が色づき刈り取り近きを思わせる。近江平野は麦の黄色、成長が始まった水田の緑、この2色で覆われている。かつてはこの時期、三上山の上から見ると黄、緑にレンゲの赤が加わって「それはそれは見事なものだった」と話に聞く。
きのう見てもらった左斜面の段差の構図。手前に田中山と妙光寺山が並び、その後ろから三上山が上半身を見せる。その構図が実はきょうの標題写真にも見えている。昨日の場所に比べて、うんと近づいているため、前に横たわる田中山、妙光寺山が大きくなっているだけでその背後から三上山がのぞくという構図には変わりはない。意識して撮ったわけではなかったが、結果として同じ構造の並びになっていたわけ。
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段差が消えた

湖岸道路、岡山・長命寺間にある「湖岸白鳥川」交差点から白鳥川左岸を遡る。その堤防上かを走るバスの中からの撮影。注意して見てほしいのが、三上山左斜面にあるちょっとした段差。ところが続けて撮ったコマではその段差が消えている。(画面に写る薄い影は窓ガラスの反射)。その間、時間にして1分足らず(カメラのプロパティが「分」までだから秒は読めない)。距離にして100mそこそこか。
肉眼で見ていてはほとんど気がつかない現象だが、このあたりから見る三上山は前に見える田中山の奥に立つ。その重なりがバスの移動によって微妙にずれていくのである。標題写真の山の部分をアップすると前山(田中山)と三上山が重なっているのが見える。面白いのはその左斜面が同じ勾配で、きっちり重なった場合1つの山に見えてしまうことである。その部分をアップ。赤い矢印から下は田中山の斜面。上はもちろん三上山。
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信号が消えた

野洲市・近江八幡市の境、日野川に架かる仁保橋の上である。以前は幅が狭くしかも野洲市側へ渡り切ったところで90度に折れ曲がるという通りにくいところだったが、新たに架け替えられて走りやすくなった。標題写真は近江八幡市側から野洲市側へ向かうところ。橋の中ほどから見たところ。田中山から妙光寺山に続く前山の向こうに三上山が顔を出しているところである。
が、なんとなく雰囲気がおかしい。よく見ると信号機のランプが点っていない。信号機の照明がLEDに代わってからうっかりするとこれに泣かされる。簡単に言えば、LEDはついたり消えたりしているわけで、消えている間にシャッターが切れいると、このように信号が消えた状態になってしまう。やっぱり信号機は点いていてこそ絵になる。点いて写る確率は5割だが、これもある程度の数が集まっての話。2枚撮って1枚は必ずついているという話ではない。今の場合は4枚撮って3枚がついていた。当然、4枚撮って全滅もありうるわけで…。
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環水平アーク

一昨日(5月22日)、道の駅「水鳥ステーション」のあと、余呉湖へ移動した。バスの中から例の彩雲はどう見えていたかきっちりした記憶はないが、湖の北端、レストラン余呉湖へ着いた時には、またといっていいのか、まだといっていいのか、とにかく水鳥センターで見たのとほとんど変わらない状態で見えていた。標題写真・余呉湖畔から見た「環水平アーク」(2015.05.21.11:38)。
昭和30年代だったか、「彩雲」という臨時列車が中央線を走っていた。たしか大阪発だった。乗ったのか、乗りたかったのか、細かいことは忘れたが、そのとき彩雲というのはどんな雲なのか、暇に任せて調べてみた。淡い記憶では「周辺が色づいた雲」がその時の解説だった。何や、そんなエエ加減な雲か、と思った記憶がある。ところが今回のは雲の縁なんて中途半端なものではない。青空の中で色づく雲、人生80年を越えて初めて見るものだった。
昔の彩雲の解説と、今回見たのとでは確かにちょっと違う。その差が一般的な彩雲と「環水平アーク」との差なのだろう。湖北町で見たのと同じように、太陽に近い円弧もその気になってみれば見えた(11:44)。太陽がまぶしくて全景を見ることはできなかったが、とにかくはっきり見えていた。ただこのときは、その正式名称を知らなかったから、カメラの水平保持にはこだわらなかった。この写真もカメラをちょっと傾けて撮ったはず。知らないことの怖さである。ただこの写真で見る限り、内側の環と外側の円弧とは同心円ではない。とすると、内側のは太陽を中心とするいわゆる傘をかぶった環、外側の「環水平アーク」とは成因が違うのかもしれない。以上基本的知識のない素人の感想である。
食事を終えて外へ出たときには、いつの間にか消えていた。
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