左岸堤防

ついでに水保町側(左岸)へ回ってみた。ずーと荒れ放題という感じだったけど、たしか2年ほど前に整備された。おそらく現役の時に比べるとうんと低くなっているとは思うが、前回の整備された状況からはほとんど変わっていなかった。現在の堤防がビニールハウスより高く、2階建ての家屋よりは低いという状況だった。
ここへ来ると思い出すことがある。三上山を撮りだして間なしのころ。夏のある日、高い入道雲が出た。それをどう撮っていいかわからず、あれこれ走り回って気がついたらここへ迷い込んでいた。その時は結局何も撮れなかった。今思うと、三上山は大きく、雲は高く撮ろうとしていた。山は望遠で、雲は広角で、そんなことできるはずはない。そんな基本的なことが分かっていなかった。懐かしい思い出だ。
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堤防が消えた

旧南流堤防700mほどの中ほどである。こうしてみると堤防が消えたといえるかどうか。下の麦畑を基準にすると堤防がないとか、消えたなんてことは義理にも言えない。それでも走ってみると結構楽になったなと感じるのである。
たとえばほぼ同じところから撮った以前の姿。白い車が走っているのが旧堤防のトップだった。そこを左へ延長して円形の民家の高さを見るとほとんど2階建ての屋根の高さに相当する。今の状態はと見ると1階と会の境あたりというところだろうか。もう1枚、旧堤防上から見たところ。木立の少し奥から下りということで、自分の身長を考えてみると視界は下向きということになる。そういうことを勘案して堤防の高さはやっぱり2階の中ほど、から少し上ということだろうか。結局、削られたかさはたかだか1mちょっとだと思うが、それが大きいのである。視界が広がったことは確かである。
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堤防が消えた

旧南流堤防から平地へ下っていたところである。前方の住宅地はいわゆる平地。軽トラの右に「P]のマークがあって、その奥に駐車場があった。「あった」といえば今はないように聞こえるが今もそれはある。カーブの一番左、赤いコーンが置いてあるあたりから上りになって、堤防へ上がっていたところである。といくら口で言っても分からない。軽トラの方からこちらを見た写真があったはずだが急に見つからない。代わりにこんな写真が出てきた。
現在の低くなった道路上から駐車場を見たところである。道路を後にして撮った。道を入れなかったのは失敗。不思議なところで、駐車場とはいえ車が止まっているのを見たことはない。堤防は低くなったとはいえいくらかの高さは残っていて、駐車場よりは高い。もう1枚、これは旧堤防上から撮った写真。先端に蝶のようなものをつけた鉄柱が4本立っている。新旧の写真において位置も高さも変わっていない。変わったのはカメラの高さ。この鉄塔の見え方で旧堤防の高さが見えてくる。まさかこの鉄塔の高さが、旧堤防の高さを証明することになろうとは思っても見ないことだった。
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堤防が消えた

つい先日、今浜町から旧野洲川南流の堤防を越えようとして驚いた。いつの間にか堤防がなくなっていたのである。いま手元にないのできっちりした内容は指摘できないが、地球の森のパンフレットで最下流域はできるだけ元の状態を残すことを目的とするということだったと記憶している。だからここの堤防は現状のまま残すのだと勝手に決め込んでいた。それが消えていたのである。堤防上の道路は狭くて走りにくかったから、走る立場からするとありがたいことは確かなのだが。
この堤防の写真で一番新しいのを探してみた。2014年3月3日。1年以上前のことだった。河川敷等では工事が始まって変化が見えだしていたが、その時点でもまだ堤防は残すのだと勝手に決め込んでいた。もうちょっと古いところで2013年7月20日。このときはまだ工事が始まらず、河川敷では木が茂るに任せられていた。現在の状況は写真に見る通りである。ご覧のとおり、完全に平坦化されたわけではない。元の状態の3分の1ぐらいは残っているのだろうか。それでも堤防跡地がこんなに広いのか。驚くばかりである。
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お旅所・補遺

「もうちょっとバックできればいいのけど、後が田んぼでそれができない」。きのう最後の文章である。書いてから気になりだした。昨日のままだと石灯籠の写真であって三上山の写真ではない。確かに後ろは田んぼだった。バックしたかったがそれができなかった。それは間違いない。しかし田んぼの広さは無限ではない。だとしたら、田んぼの向こう側へまわれば可能性はゼロではない。もう一度行ってみよう。それでだめなら仕方ない。
そのまままっすぐバックすることは無理だったが、迂回すれば行けそうだった。畦道があって細い踏跡もついている。年齢とともに足が怪しくなってきている。クローバが咲いている畦道を慎重に歩いた。田んぼ1枚分バックしたのがこの写真。この背後は建物、これがぎりぎりの構図だった。
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お旅所

昨日の写真の森には参った。この正福寺の田んぼからは、1号バイパスが開通する前から撮っていたけど、あの芸のない姿は初めてだったような気がする。結局、もっと左の広域農道の方から撮っていたということになるのだろう。
ということで、手前にお旅所を入れて森の左右を隠してみたがけど、今度は石灯籠の写真で、山は付け足しになってしまう。こういう集落の施設を作るときには、そこの周辺だけの前後関係だけを考える。何キロも離れた山まで計算に入れない。当り前のことだけど。早い話が、もうちょっとバックできればいいのけど、後が田んぼでそれができない。難しいところだ。
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稲妻

田んぼの中に生垣に囲まれた記念碑らしきものが見える。近寄ってみるとお旅所とある。神社名は一切なし。おそらく「お宮さん」で通じるのだろう。それはいいとしてその生垣の外に面白い道路がある。農道が稲妻型に折れ曲がっているのである。地図で見ると鈍角に折れているようだが、レンズを長くして撮るとくっくっと大きく鋭角に曲がっているように見える。これは面白い道やな。初めて見たような気がするがと、気をよくして何枚か撮ってきた。
帰ってPCで見てげっそりした。遠くの森がどてっと毛虫を置いたようにのさばっているのである。気がつかなかったわけではない。生田病院の建物もあることだし気にはなっていたがこんなにとは思はなかった。どうしようもないな、こればかりは。
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家庭菜園

バイパスから離れて集落沿いの小道を歩いてみた。いわゆる農道となるとほとんど直線である。軽トラで走るのには向いているが、写真の対象となると何とも味のないことになる。ところがここのところは直角に曲がるところが得も言われぬカーブになっていたりしてなかなか味がある。それはいいのだけれど道がいろいろと込み入っていてどこをどう歩いたのか記憶の整理ができない。あとで撮影場所を特定しようとしてもはっきりしない。難しいところである。今の場合も、ちょっとした家庭菜園があり、一面の青田よりは絵になりやすい。ひもにぶら下がったビニール袋がなかったら、もっとよかったのだが。
左の山は菩提寺山。その下をよく見るとバイパスを走るトラックが見えている。
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